丸みを帯びた流線型の先頭が印象的だった、東海道・山陽新幹線の0系電車。営業運転の最高速度が世界で初めて210km/hに到達した新幹線の初代車両です。
1964(昭和39)年、世界初の本格的な高速鉄道「東海道新幹線」が開業。在来線より大きな規格を採用したことから、車両も専用のものが開発されました。それが世界初の高速鉄道車両である「初代新幹線」こと0系電車。のちに開業した山陽新幹線にも導入されました。
世界初の高速鉄道「新幹線」の専用車両として開発された0系(2019年8月、草町義和撮影)。
丸みを帯びた先頭部は飛行機の機種に似ていますが、実際に元航空技術者が開発に関わっています。先端のおわんのようなものは連結器のカバー。当初は半透明のアクリル樹脂を使っていたため、脇にあるライトから漏れた光でほんのりと光っていました。当時としては斬新な青と白のデザインは、たばこの「ハイライト」のパッケージにヒントを得たといいます。
ちなみに、0系の白は当初「アイボリーホワイト」という色を使っていましたが、のちに「パールホワイト」という色も使われるようになりました。0系のあとに登場した100系電車が「パールホワイト」を採用したことから、これに合わせたもの。
編成中の車両の大半が2等車(現在の普通車)で、ほかに1等車(現在のグリーン車)と、軽食類を提供するビュッフェを設けた車両も連結。当初は12両編成でしたが、のちに増強されて16両編成になりました。
普通車の座席は在来線より大きい車体を生かし、在来線の車両より1列多い5列にして、輸送力を大幅に向上。最初のころは席の向きを変えることはできましたが、背もたれはリクライニングしませんでした。また、車内での火災の発生を想定し、車両なかほどの窓の下には非常用の脱出口が設けられていました。
0系は東海道新幹線の開業後も利用者の増加に伴い、改良を重ねながら追加製造されました。1975(昭和50)年に山陽新幹線が全通すると、東京~博多間を最短6時間56分で直通するように。食事の時間帯にかかるため、ビュッフェとは別に本格的な食堂車も製造されました。
古い0系を新しい0系で置き換え1976(昭和51)年には最初に製造された0系が引退しましたが、これの代替として製造された車両も0系でした。

普通車の座席は在来線の車両より1列多い5列になった(2019年4月、草町義和撮影)。
0系は編成単位ではなく車両単位で追加製造され、編成の組み替えも頻繁に行っていたため、ひとつの編成中に新しい0系と古い0系が混在するように。
こうして0系は窓の小型化やリクライニングシートの導入、最高速度の引き上げ(210km/h→220km/h)などの改良を重ねながら、国鉄分割民営化直前の1986(昭和61)年まで約20年にわたり、合計3216両が製造されました。これは在来線の103系通勤形電車(3447両)に次ぐ多さです。
ちなみに、山陽新幹線では1988(昭和63)年に「ウエストひかり」という列車が登場し、車内を中心に改造された0系が使われました。普通車は4列のシートを採用してスペースを広くし、ビュッフェや映画を見ることができる「シネマカー」も連結するなど、サービスの改善を図っています。
しかし、0系の本格的なモデルチェンジ車となる100系が1985(昭和60)年にデビューし、翌1986(昭和61)年から量産化。その後も300系や500系など新型車両の導入に伴い0系の廃車が進み、1999(平成11)年には東海道新幹線から0系の姿が消えました。山陽新幹線ではその後も4両または6両の短い編成で運転されましたが、これも2008(平成20)年に引退しました。
0系は世界初の本格的な高速鉄道である新幹線の基礎を作った車両として、非常に大きな意味を持つ車両です。京都鉄道博物館などで引退した0系が展示されているほか、鉄道発祥の地であるイギリスの国立鉄道博物館にも0系の先頭車1両が寄贈され、蒸気機関車として世界最速の203km/hを記録した「マラード号」とともに展示されています。