東海道・山陽新幹線の100系は、新幹線のイメージを大きく変えた電車です。青と白の塗装や5列の座席は0系を踏襲しつつ、先頭のデザインはシャープなものに。
東海道・山陽新幹線は1964(昭和39)年にデビューした0系電車が改良を重ねながら製造され続けていましたが、1980年代に入ると古くささが否めなくなりました。そこで新幹線のイメージアップを目的に、全体の構成やデザイン、車内設備を大幅に変えた新型車両を導入することになり、1985(昭和60)年に100系電車がデビューしました。
デザインや車内設備を0系から大幅に変えた100系(2016年4月、草町義和撮影)。
先頭部は丸っこいデザインの0系に対し、100系は直線を強調したシャープなデザインに。塗装は0系と同じ白と青ですが、青のラインは太い帯と細い帯を組み合わせたものになりました。検討されたデザイン案のなかにはオレンジ色を使ったものもありました。
100系の特徴といえば、新幹線初の2階建て車が挙げられます。16両編成中に2両が連結され、このうち1両は食堂車。1階に厨房があり、2階の食堂は車窓を楽しみながら食事できるよう、大きな窓が設けられました。もう1両はグリーン車で、1階には新幹線初の個室を設置。食事のルームサービスを頼め、グレードの高いサービスが提供されていました。
ほかの車両も大きく変わりました。0系普通車の座席は、最初のころはリクライニングしないタイプで席の間隔は狭く、のちに改良されてリクライニングするようになったものの、3列の席は向きを変えられませんでした。100系の普通車は席の間隔を1040mmに拡大(0系は980mm)。3列席も回転して向きを変えられるようになりました。
また、客室内には停車駅案内やニュース、天気予報などの情報を提供する電光掲示板を設置。音楽やラジオ番組の配信サービスも提供し、グリーン車は座席にオーディオ装置を設置し、普通車でも客が持参したFMラジオで聞くことができるようにしました。
このように、100系は新幹線のサービスを大きく改善。電光掲示板を使ったニュースの配信など、いまの新幹線で当たり前のように提供されているサービスも、この100系から始まっています。
2階建て車を導入できた理由新幹線のイメージを大きく変えた100系でしたが、その性能は0系とあまり変わりません。最高速度は0系と同じ210km/h。のちに0系は220km/h、100系は230km/hに引き上げられたものの、大差ないといえます。

100系の2階建て食堂車(2019年4月、草町義和撮影)。
ただ、100系はモーター1個あたりの出力が大幅にアップしたため、0系と同じ性能にするならモーターの数や、モーターを制御する装置などの機器類を減らせます。これにより客室スペースを大幅に広げることが可能に。2階建て車を導入したり、普通車の席の間隔を広げたりすることができ、編成全体の定員も0系より増えたのです。
100系は1986(昭和61)年から本格的に量産され、国鉄が分割民営化された1987(昭和62)年以降もJR東海とJR西日本が追加で導入しました。
JR東海の100系2階建て車は1両がグリーン車(2階)とカフェテリア(1階、軽食類の販売スペース)、残り1両は1階に個室を設けたグリーン車になり、食堂車がなくなりました。一方、JR西日本が1989(平成元)年に導入した100系は「グランドひかり」という愛称が付けられ、2階建て車が4両に。1両は食堂車で、残り3両は1階が普通車、2階がグリーン車でした。
ちなみに、JR東海は1987(昭和62)年の発足後、東海道新幹線を舞台に遠距離恋愛をテーマにしたテレビCMの「シンデレラ・エクスプレス」や「クリスマス・エクスプレス」を展開して話題になりました。これらのCMに登場した車両が100系です。
100系は1992(平成4)年までに合計1056両が製造されましたが、2000(平成12)年から廃車が始まりました。2004(平成16)年に東海道新幹線での運転を終了。その後は2階建て車を除いて4両か6両に短縮した編成が山陽新幹線で使われましたが、これも2012(平成24)年までに引退しました。