泥濘や砂漠、雪原などの悪路を走るのに適したいわゆるキャタピラを、アメリカでは飛行機にも用いようとしました。これを使えば大重量の大型爆撃機も安全に離着陸できると考えたようですが、そう簡単にはいかなかったようです。

概念自体は第2次大戦前から 履帯を履いた飛行機

 滑走路を使って離着陸する陸上機の場合、滑走を含めて地上移動する必要があるため、降着装置には車輪を付けています。しかし、車輪は接地圧が高く、不整地や雪原では埋もれてしまうため、最前線で用いる軍用機では車輪に代わる降着装置が昔から研究されていました。そのひとつが車輪の代わりに履帯、いわゆるキャタピラを用いる案です。

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履帯式降着装置を付けたC-82輸送機(画像:アメリカ空軍)。

 飛行機の降着装置を履帯にする概念自体は1930年代からありましたが、本格的に開発が始まったのは、第2次世界大戦が始まった1940年代に入ってからでした。

 アメリカ軍は、第2次世界大戦の勃発によって4発エンジンの大型爆撃機を数多く運用するようになります。

これらは機体重量がかさむため、運用には整備された飛行場と長い滑走路が必要であり、逆にいうとそれらを整備しなければ前線に大型爆撃機を展開させられませんでした。

 もし、不整地でも離着陸可能な大型爆撃機があれば、前線展開は容易になります。そこでアメリカ軍は履帯式降着装置の研究をスタートさせたのです。

 当初は、双発エンジンのA-20「ハボック」攻撃機で、履帯式降着装置の開発が始まりました。グッドイヤーやファイアストンなどアメリカの大手タイヤメーカーも開発に加わり、1942(昭和17)年6月に最初の試作品が完成しますが、従来の車輪式のものと比べて2倍近くの重量で、約15%も滑走距離が伸びてしまいます。また降着装置を引き込み式にもできず、A-20を用いた試験機の脚は飛行中も出たままでした。

 結局、不整地や氷上、雪原などでの離着陸は可能であるものの、履帯式降着装置には様々な問題が残りました。開発自体は大戦後も継続されますが、試験は構造を実証するところまでとされ、A-20「ハボック」による研究開発は1947(昭和22)年8月に終了となりました。

大型機の脚をキャタピラ履きに 試験は成功したけれど…

 一方アメリカ軍は第2次世界大戦後、A-20「ハボック」攻撃機を用いた開発とは別に、フェアチャイルドやボーイングにおいて履帯式降着装置の各種テストを並行してスタートさせます。

 フェアチャイルドは、C-82輸送機を用いた履帯式降着装置の試験を1945(昭和20)年秋から開始します。C-82は引き込み脚の開口部が大きかったこともあって、A-20を用いた試験機とは異なり、降着装置は収納可能でした。

「キャタピラをはいた爆撃機」があった テスト結果は良好も実用化されなかったワケ

A-20「ハボック」攻撃機に取り付けられた初期の履帯式降着装置(画像:アメリカ空軍)。

 履帯式降着装置に付け替えたC-82は、1949(昭和24)年4月末より10機がアメリカ軍に納入され、各種テストが行われたものの、その降着装置は耐久性に劣り故障が続発したため、採用には至りませんでした。

 ボーイングは、大型のB-50爆撃機が履帯式降着装置を取り付け、テストすることになりました。このとき、機首の前脚はファイアストン製のものに、主翼下の主脚はグッドイヤー製にして、比較できるようにしています。

 しかし機体が大型化したことで地面との摩擦力も増大、ゴム製履帯の強度不足が問題になりました。またB-50はC-82と異なり引き込み式にできなかったため、脚は出したままの固定式で、これにより機体下部の機関銃座の射界をさえぎるデメリットが生じます。

 それでも開発を続けたボーイングは1949(昭和24)年初頭、サスペンションの構造など含めアメリカ軍が満足する引き込み可能な履帯式降着装置を作り上げます。

試行錯誤の結果、やっぱり飛行機は車輪がベスト

 ボーイングがB-50爆撃機を使った履帯式降着装置の開発や試験を行っている最中、アメリカ軍はさらに欲張ります。より大型のB-36爆撃機で履帯式降着装置をテストすることを決めたのです。1948(昭和23)年4月に決まると、テスト機の改造は1950(昭和25)年2月に完了し、実証試験が始まりました。

「キャタピラをはいた爆撃機」があった テスト結果は良好も実用化されなかったワケ

履帯式降着装置を取り付けたB-50爆撃機の前脚。A-20攻撃機のものよりも複雑化している(画像:アメリカ空軍)。

 B-50の降着装置よりも巨大化したため、B-36のものは引き込み式にできなくなりましたが、とりあえず1950(昭和25)年3月26日に初飛行します。

しかし、これが最初で最後、唯一の飛行となりました。

 この唯一の飛行ののち、履帯式B-36の試験は取り止めになり、最終的にキャタピラを履いた飛行機の開発自体が中止になりました。明確な理由は不明ですが、一説には大型爆撃機の航続距離が延び、もはや前線で使うことがなくなったこと、また耐久性や整備性、コストなどの問題から、結局タイヤがベストという結論に至ったのが理由のようです。

 ただし在アラスカ・アメリカ軍は、雪上で運用する飛行機に履帯式降着装置は有用と考え、北極圏における救助活動のためにC-47輸送機の脚を履帯式に変更したいと、のちに要望を出しています。