海上自衛隊艦艇の引き渡し式典において外国旗を掲げることは、2020年現在ではあり得ません。しかし海自の黎明期には、国内の造船所で作られた日本名の護衛艦なのに、アメリカ軍人が乗り込み、アメリカ国旗を掲揚した船がありました。
海上自衛隊が使用する護衛艦は、竣工から退役までのあいだ、日本国旗や自衛艦旗を掲げます。2020年現在、国産護衛艦については退役後に外国に供与された例がないため、他国旗を掲げた艦はありません。しかし過去には、アメリカ国旗を掲げた国産護衛艦がありました。どういう経緯でそうなったのか、その理由を紐解きます。
1966年10月5日、当時アメリカ軍の施政権下にあった沖縄の那覇港に入港する護衛艦「あきづき」(画像:沖縄県公文書館)。
海上自衛隊は1954(昭和29)年7月1日、それまで海上警備を担ってきた「警備隊」を母体にして発足しました。当初はアメリカ海軍から引き渡された各種の中古艦艇が主体でしたが、徐々に国産艦艇の数を増やしていきます。
しかし、当時の日本はようやく太平洋戦争による国内の荒廃から立ち直り始めたばかりで、防衛予算の規模は小さいものでした。そのため国産の新造護衛艦をそろえるにも限界がありました。
日本の海上防衛力を強化するため、アメリカ政府もまた、自国の中古艦艇を日本へ供与するのとは別に新たな一手を模索していました。そのなかで取られたのがOSP(域外調達)と呼ばれる手法です。
OSPは、アメリカが国外において自国予算で物品を調達する際にとられる手法です。
トラックなどはかなり厳格に米軍規格に合うことを求められ、部品などは互換性が要求されました。一部の車種についてはアメリカ本土に運ばれテストまで受けたほどです。
それに対し護衛艦の方は、計画から設計、建造まで日本独自に行ってよい、となりました。当初はアメリカ政府内にも、艦の設計についてはアメリカ海軍が関わった方がよいという意見もあったものの、最終的にすべて日本に一任するという異例の決定がなされたのです。

護衛艦「あきづき」の艦尾(画像:海上自衛隊)。
予算内であれば自由に設計できるということで、日本側は知恵を絞ります。その結果、「はるかぜ」型や「あやなみ」型といった従来の国産護衛艦よりも排水量で約3割大きくなった船体に、旗艦として運用可能な司令部設備を完備し、護衛艦として数々の新型装備も備えた、ある意味てんこ盛りの護衛艦となりました。
こうして1960(昭和35)年2月13日に引き渡されたのが「あきづき」です。同艦は前述したようにアメリカの国防予算で建造され、それを日本に供与するという形だったため、式典では国産護衛艦ながらアメリカ海軍の軍人も乗り込み、いったん星条旗を掲げたのち降ろし、新たに自衛隊員の手で自衛艦旗が掲げられるというステップが踏まれました。
ちなみに、このような経緯の艦であるため、書類の上ではアメリカ海軍駆逐艦の艦番号であるDD-960も付与されていました。
なお、同じようにOSPで建造された2番艦「てるづき」も約2週間後の2月29日に完成し、同様の流れを踏んで護衛艦に編入されています。
「あきづき」は、充実した司令部設備により、引き渡し直後から海上自衛隊の実戦部隊のトップである自衛艦隊旗艦として用いられ、その後も護衛艦隊旗艦になるなど、常に海上自衛隊の中枢艦のポジションにあり続けました。
また他国の駆逐艦に引けを取らない装備と余裕のある船体サイズから、遠洋練習航海にも重用され、世界一周やヨーロッパ訪問などを早い段階で行っています。

初代あきづき型護衛艦が船体中央に装備する533mm4連装魚雷発射管(画像:海上自衛隊)。
1985(昭和60)年、老朽化などで「あきづき」は護衛艦隊旗艦から外れ、支援任務がメインの特務艦に種別変更されました。しかし、25年ものあいだ艦隊旗艦であり続けたのは、稀有な例であったといえるでしょう。
特務艦になったあとも、8年間海上自衛隊を支え続け、1993(平成5)年12月7日に除籍されました。艦歴は33年10か月を数えましたが、それだけ長寿だったのは、やはり船体サイズに余裕があった証左なのかもしれません。
なお、OSPによる護衛艦の建造はあきづき型2隻のみで終了し、以後行われることはありませんでした。そのため、日本製の護衛艦で星条旗を掲げたのは2020年に至るまで、「あきづき」と「てるづき」のみとなっています。