個人的なことで申し訳ないが、私は来年定年を迎える。TSRに入社して33年が過ぎた。
今思えば、当時の情報部の職場環境はとても緩い環境で17:00には終業。先輩社員に連れられ、新橋での夜の付き合いに積極的に参加した。当時、先輩社員が主催していた飲み会には連日、マスコミや金融機関、大手商社の審査担当者などが顔を出していた。こうした飲み会は参加メンバーを変えながら連日続く。ハードだったがこれが私の土台を築いている。
先輩社員が毎日行っていたこの飲み会は、開催回数は少なくなり、場所も4~5回変わったが、今でも金融機関やマスコミの方など毎回15~16名のご参加をいただき、初心を忘れないよう月1回、新橋の店で開催している。
入社から10年が過ぎ、大手商社を担当するようになった。審査担当者との情報交換でよく聞かれたのは「信用不安企業についての噂」の真偽確認についてだ。
TSRへ転じる前の勤務先は、三洋証券(株)(TSR企業コード:290984637)だった。バブル時代、コンピューターや「東洋一」と称するディーリングルームなどへの過剰投資、グループのノンバンクの経営不振などの影響で1997年3月期まで6期連続で赤字を計上。経営に行き詰まり、同年11月3日、東京地裁に会社更生法の適用を申請した。
三洋証券の倒産に続く形で11月15日には、北海道拓殖銀行が破たん。さらに同年11月22日、山一證券(株)(TSR企業コード:291010687)が自主廃業に追い込まれるなど(その後1999年6月破産)、金融危機が本格化した。
1998年には日本長期信用銀行(現:SBI新生銀行)、日本債券信用銀行(現:あおぞら銀行)が一時国有化されるなど金融業界の混乱が続くなか、2000年以降は上場企業の倒産が相次ぎ、企業倒産は1万9,000件台と高水準が続き、倒産取材に追われる日々だった。忙しい中でも情報マンとして充実感を得ることができた。
日々、倒産取材を続ける中、いまでも「張り紙」に過剰反応してしまうのは情報マンとしての「あるある」だ。倒産企業の不幸を差し置いて、倒産のお知らせ(張り紙)を見つけようと立ち回ってしまうのは心苦しいが、現場取材で弁護士名が記載された張り紙などを見つけたときは、メモと写真を撮らずにはいられない。
あと9カ月で定年を迎える。これまでの倒産取材の経験から全国の情報マンに伝えたいことは、「現場の臨場感をユーザーに伝えられるのは我々の特権であり、ユーザーはその情報を待ち望んでいる」ということだ。数々の取材現場から情報を発信し続けていただきたい。
情報マンが集う新橋