7月27日、ノエビアスタジアム神戸。ヴィッセル神戸がバルセロナを迎えた試合後、表彰式が行なわれていた。
バルセロナ守備陣に切り込むアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)
セレモニーが終わると、ひとつの現象が起きた。
世界に冠たるバルサの選手たちがこぞって列をなし、イニエスタに挨拶をしに向かう。ひとりひとり、順番を守りながら、言葉を交わし、抱き合い、礼を尽くした。それはスターのサイン会、あるいは寺社に参拝する光景にも近かった。最後に元チームメイトであるセルジ・ロベルトは記念撮影をせがみ、イニエスタはにっこりとツーショットで収まっていた。
やはり、イニエスタはイニエスタである。まさに、それを感じさせる夜だった。
イニエスタは16シーズンにわたって、バルサひと筋でプレーしている。下部組織のラ・マシアで育ったことを考えれば、”バルサの権化”と言っても過言ではない。UEFAチャンピオンズリーグ4回、リーガ・エスパニョーラ9回、スペイン国王杯6回、FIFAクラブワールドカップ4回と、あらゆるタイトルを手にし、その間、スペイン代表としてワールドカップ、欧州選手権も制覇した。
英雄的な足跡を残したイニエスタが、バルサを相手に戦ったとき、どのような感覚になったのだろうか。
「バルサを相手に戦うということは、奇妙で不思議な感覚だったよ」
人生初のバルサ戦後、イニエスタはスペイン人報道陣の質問にそう答えている。
「仲間ではなく、敵だからね。
この日、前半の45分間に出場したイニエスタは、いつものように”マジックアワー”を作り出している。彼がボールを触るたびに、プレーが旋回する。
そしてイニエスタ自身、決定機を作っている。序盤、ダビド・ビジャの足元に鋭いパスを送るが、これがわずかに合わず、相手ボールになる。その瞬間だった。
大げさに言えば、イニエスタひとりでバルサと互角に戦っていたような印象だった。事実、前半は0-0と健闘。神戸は押し込まれ続けたものの、イニエスタがカウンターから際どいで好機を作っている。
「(バルサ退団を)後悔は少しも感じなかった」
イニエスタはその胸中を明かしている。
「バルサでもっとプレーしたいという気持ちが強かったら、よかったのかもしれないし、バルサの選手としてヴィッセルの選手たちを相手にプレーできたら、それも悪くなかったんだろう。でも、バルサでの僕の時間は去ってしまった。今は、違った形でフットボールを楽しみたい」
イニエスタは静かな声で言った。試合後、バルサの選手たちからユニフォームを預かったという。リュックは満タン。自分というより、チームメイトに渡すためだという。
「自分はバルサというクラブでプレーする幸運があった。でも、チームメイトは違うから」
イニエスタは説明したが、その謙虚さと優しさが彼の人間性で、それがプレーの深淵をもたらしてきたのだ。
今後、イニエスタのような選手は出てくるのか。 スペインの名将で、神戸でイニエスタを指導したフアン・マヌエル・リージョに聞いたことがある。
「ほとんど不可能だ。アンドレスはそれほどの領域にいる」
イニエスタは不世出の選手と言えるだろう。Jリーグは、イニエスタという伝説を迎えているのだ。
「試合の前日に家族は到着した。どうにか、試合に間に合ったよ。おかげでみんなが揃って、完璧な1日になった」
イニエスタは穏やかな表情で語っている。
結局、試合は0-2でバルサが勝利した。下部組織ラ・マシアの出身者、カルラス・ペレスの2ゴールだった。
「イニエスタのような選手と戦えるのは特別な気持ちだ」
勝利の殊勲者であるペレスは、後輩としての敬意を忘れなかった。
しかし、イニエスタは今を生きる。神戸はリーグ戦3連敗、15位と降格圏内で喘ぐ。バルサ時代には考えられない日々だろう。元バルサのDFトーマス・フェルメーレンを加えたチームは巻き返せるか。
祝祭は終わったが、熱気に似た蒸し暑さはなかなか収まらなかった。