ラグビー日本代表に約10年——。計66試合にわたって桜のジャージーに袖を通し続けているのが、FWの要「2番」を背負うHO(フッカー)堀江翔太だ。



堀江翔太は代えのきかない選手。2023年W杯はトンプソン式で...の画像はこちら >>

日本代表チームの骨格を支えるHO堀江翔太

 2015年W杯の南アフリカ代表戦、そして2019年W杯のアイルランド代表戦など、日本ラグビー界の歴史を変えた大金星の数々は、縁の下で支えた堀江の存在なくして得られなかったに間違いない。史上初のベスト8進出を成し遂げた「陰の立役者」である。

 今年1月、堀江は34歳になった。日本代表のFW陣の中では、当時38歳で引退したトンプソン ルークに次ぐベテラン選手である。体力的な負担は相当なものであり、昨年のW杯出場の際には「年齢的に今回が最後になるかもしれない」と妻に伝えていたという。

 それでも、日本代表チームには堀江が必要である。
代えのきかない選手だからだ。

 堀江のプレースタイルは、ひと言で言えば「トータルフットボーラー」だろう。HOとしてセットプレーを引っ張るだけでなく、ボールキャリー、パス、キック、タックルのスキルにも長けている。


「クオリティの高い選手。フィジカルもセットピースも非常にいい。FL(フランカー)のようにジャッカルし、PR(プロップ)のようなプレーもしてくれる」

 日本代表を率いるジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)も、堀江に高い信頼を置いている。



 サンウルブズ、日本代表、そして所属するパナソニック……堀江はすべてのチームでキャプテン経験を持つ。昨年のW杯では率先してFLリーチ マイケルたちのサポートに回る姿があった。

 昨年のW杯では全5試合に出場し、そのうち4試合で先発。HOとしてセットプレーへの貢献はもちろんのこと、持ち前のフィールドプレーのよさも発揮し、日本代表の快進撃に大きく貢献した。

 準々決勝で南アフリカ代表に敗れ、2月から行動をともにしてきたチームが解散となった時、堀江は感慨深くこう語った。

「2011年からW杯に出ていますが、年を重ねるごとにいいチームになった。
最後まであきらめない姿勢を全員が持っていた。最高のチームでした」


 堀江にとって初めてのW杯となった2011年大会はもちろん、日本代表は2015年大会まで24年間、W杯の白星から遠ざかっていた。その大きな要因のひとつと言えるのが、スクラムやラインアウトといったFWのセットプレーの弱さにあった。

 2012年、エディー・ジョーンズHCが日本代表指揮官に就任すると、さっそくFWの強化に着手した。

「セットプレーでの(マイボール)成功率が90%以上ないと、W杯では戦えない」

 その重要なセットプレーにおいて、スクラムでは先頭でコントロールする役目を担い、ラインアウトではスローワーを任されるのが、HOというポジションだ。

 また、世界トップレベルのHOには、FLのような機動力も求められる。

そんな日本代表FWの要となるポジションを、ジョーンズHCは堀江に託した。

 ただ、堀江はもともとHOの選手ではなかった。小学校5年でラグビーを始める前はサッカーに興じ、中学校ではバスケットボール部にも所属するなど、昔からアスリートとして器用な選手だったのだろう。帝京大ではFLやNo.8(ナンバーエイト)としてもプレーしていた。


 転機を迎えたのは大学卒業後、三洋電機(現・パナソニック)を経てニュージーランドにラグビー留学をした時。そこで世界のレベルを体感し、将来を見据えてHOのポジションに転向した。



 帰国後、三洋電機に再び加入すると、ルーキーながら目覚ましい活躍を見せて、2009年に日本代表初キャップを獲得。HOとしての経験はまだ浅かったものの、アタックの突破役としてメキメキと頭角を現していった。

 2011年W杯を3敗1分で終えると、堀江は再び海外でのプレーを選ぶ。そして2013年、レベルズ(オーストラリア)の一員となって日本人FWとして初のスーパーラグビー選手となった。

 この地で2年間、プレーした経験は大きかったようだ。現地のコーチから指導を受け、海外選手のスキルを盗んだことで、「やっとHOらしいプレーができるようになった」という。


 2016年、日本チーム「サンウルブズ」が作られ、スーパーラグビーへの参入を果たす。しかし立ち上げ当初、スケジュールの問題もあって選手が集まらない状況が懸念された。


 そんな時、日本ラグビー全体を考えて「この経験は絶対に役に立つから」と、選手を説いて回ったのが堀江だった。サンウルブズの初代キャプテンを務め、2016年秋にジョセフHCが日本代表監督に就任した際に共同キャプテンに指名したのも、堀江のキャプテンシーを考えると当然だろう。

 HOとしてのスキルや判断力の高さだけでなく、これほどのリーダーシップを併せ持つ選手は、余人をもって代えがたい。果たして今後、堀江の後継者となるのは、いったい誰か。

 坂手淳史(パナソニック/26歳)、北出卓也(サントリー/27歳)、堀越康介(サントリー/25歳)、庭井祐輔(キヤノン/28歳)……高校や大学にも将来有望なHOはいる。ただ、2023年W杯まで残り3年と考えると、それまでに堀江の経験・能力を超える選手が出てくるのは難しいかもしれない。

 2023年W杯を37歳で迎える堀江は、引き続き日本代表にコミットするかは態度を保留している。


「いつもジャパンのことを考えていたが、今は考えていない。(ジョセフHCは)若い選手をどんどん起用するだろうし、自分自身もそこ(日本代表)にいって戦えるかどうか、まだ自分の中で疑問なので」

 堀江は10年間、日本代表、トップリーグ、そして海外挑戦と、休みなくラグビー漬けの生活を送り続けていた。ただ、身体は正直である。2015年W杯前には首を痛め、2019年W杯前は右足の甲を骨折し、それぞれ手術を経験した。

 世界のHOを見れば、身長180cm・体重105kgの体格は決して大きいほうではない。身体を酷使してきた結果、身体の金属疲労はかなりのものだろう。

 ただ、堀江はかねてから「40歳まで現役を続けたい」とも公言している。自身4度目のW杯となる2023年に関しては、「トンプソン式が一番いいかな」とも話していた。

 昨年、トンプソンはW杯イヤーになってからサンウルブズで猛アピールして再び日本代表入りし、4度目のW杯出場を果たした。堀江もこの方式なら、身体への負担を軽減できるかもしれない。

 ジョセフHCもまた、堀江を2023年W杯の戦力として考えているだろう。自身を超えるような存在が現れなければ、兄貴肌である堀江は最後にきっと、力を貸してくれるはずだ。