「美しすぎるボクサー」と話題を呼んだ伊藤沙月。五輪を目指して...の画像はこちら >>

現在はパーソナルトレーナーとして活動する元ボクサーの伊藤沙月

「仮にボクシングをしていなかった人生を考えると、苦しいことも多かったけれどやってきてよかったなって思うんです。特に女性にはなかなか経験できないことですし、"何かを極める"のに近いところまでできたというのは私の人生において大きかったなって」

 充実感を漂わせた涼しげな眼つきで、伊藤沙月はそう語った。


 現在、彼女は東京・西麻布の会員制トレーニングジム「デポルターレクラブ」でパーソナルトレーナーを務めている。だが、その正体は2009年の全日本女子アマチュアボクシング選手権大会のライトフライ級Bで金メダルを獲得した元選手。当時は、ボクシングを始めてわずか1年、17歳という若き才媛(さいえん)だった。また、その容姿端麗なたたずまいから「美しすぎる女子ボクサー」と呼ばれ、衆目を集めていた。

 ボクシングに初めて接したのは、地元・宮崎の日章学園に入学した時だ。類まれな身体能力が認められ、特待生として入学した。
「負けず嫌いだったもので......」と本人は苦笑するが、体格やパワーが上回る男子に混ざり、試行錯誤を重ねトレーニングを積むことでメキメキと実力を向上させ、1年でタイトルを獲得している。勝ち気な性格でないと格闘技の世界を生き抜いてはいけない。

 しかしなぜ、女性にとってはハードコンタクトなスポーツであるボクシングを始めることになったのか?

「まずは父親が格闘技好きでよく見ていた影響はありましたね。まさか自分でやるとは思っていなかったんですが、(日章学園から)お話をいただいて、ひと目見た時にカッコいいなって」

「美しすぎるボクサー」と話題を呼んだ伊藤沙月。五輪を目指していた当時と自衛隊退官後の今を語る

高い能力と負けん気の強さで実力を磨いていった

 人生何が起こるかわからない。ハードワークを強いられるボクシングではあるが、グローブを着け、リングに立ち、1対1の勝負に挑むーー。

 伊藤は、このプリミティヴな競技性に魅了されていった。


「男子と混じってやっていたので、力で勝る人間にどう技術で勝つことができるのかを考えるのが楽しかったんです。あとは単に殴り合っているように見えて、見えない部分での駆け引きがあって、そこも魅力かなって。恐怖心ですか? あまり感じなかったです。それよりもボクシングは準備が9割のスポーツで、減量や調整とか他の競技にはないぐらい繊細にやらなければいけないこともあって、いわば自分との戦いでもあるんです」

 ストイックに自分に向き合うこと。伊藤にはそれが性に合っていた。

 だが一方で、前述したように周囲はボクシングスキルに加え、伊藤のルックスに強い関心を向けることも多かった。
この点についてはどのように考えていたのだろうか。

「いや、そこは自分では何とも言えないところですね(苦笑)。ただ注目されるということはプレッシャーがかかることですし、先ほども言ったように『自分の敵は自分だ』と思っていたのでプラスに働いたと思います。あとは大学へ進学する理由にもなったのですが、私としては女子ボクシングを広めたいといった思いもあったので、どんなカタチであれ注目してもらえればいいなと考えていました」

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現役のボクサーだった2012年以来、9年ぶりにスポルティーバの取材に応じた伊藤

 高校を卒業すると彼女はボクシングの名門である拓殖大学へ進学。さらにその後、エリートアマチュアボクサーを育成する自衛隊体育学校に入学する。目標はアマチュア最高峰である五輪出場だった。


「シンプルにオリンピックに行きたいというのが当時のモチベーションでしたね。だからボクシングを極めたいと思って拓大と自衛隊へ進んだんです。特に自衛隊の練習はきつかったですね。普段のトレーニングしかり、日常生活から大変でした。訓練を受けるわけではないのですが射撃検定を受けたり、また、集団生活なので連帯責任や団体行動をあらためて学んだり。大学時代はひとり暮らしだったのが、4人部屋になりましたから。
みんな、私より5歳ぐらい下でしたし(笑)」

 拓大時代にはロンドン五輪の強化選手に選ばれ、自衛隊に入隊した15年に全日本大会バンタム級で銅メダル、さらに翌16年全日本大会同級で銀メダルを獲得した。実力はあるものの、結局、万人が納得する結果を出すことができず、ブレイクスルーを果たせずに、18年に自衛隊を退官すると、約10年にわたり続けてきた競技から身を引いた。

「退くといった感じではなく、本当はちょっと休みたいなと思ったのがきっかけだったんです。少し距離を置こうって。そうしているうちに戻れなくなってしまったのが正直なところなんです」

 どんなスポーツでもそうだが、やりきった満足感を得て引退できるのはひと握りの人間だけである。ましてや過酷な格闘技の世界、一度切れた糸をつむぎ直すのが困難だったのは想像に難くない。
またプロへの転身は考えなかったのか、という質問に彼女は「タイミングと縁がなかった」と答えた。

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ボクシングを通じて自分らしさを認められるようになったという伊藤

 競技の世界から社会へと出て行った伊藤は外資系の保険会社に入社し、1年間サラリーマンを経験する。そしてある日、大学時代にトレーニングでお世話になっていた、トレーニングジムの関係者に声を掛けられパーソナルトレーナーへと転身。現在に至っている。

「とてもやりがいのある仕事ですよ。今は一日に5人、多い時には8人くらいの指導をしています。とにかくお客様には、やる気になって、楽しい時間にしてもらえればなと思っています。もちろんトレーニングにボクシングを取り入れたいという方もいますし、選手時代に減量をしていたので痩せたいという方に私の経験をお話したりしています」

 現在もボクシング業界と完全に離れたわけではない。時間があれば興行を見に行ったり、コロナ禍が終息したら体調管理のためにジムに通おうと考えているという。

 あらためて伊藤にとってボクシングとは何だったのかと問うと、艶のある風情を漂わせ彼女は力強く言うのだ。

「昔は全然自分に自信が持てないというか、隣の芝生が青く見えてしまうというか......、他人と自分を比較してしまう人間だったんです。ボクシングを経験して、最近なのですが、ようやく自分に自信が持てるようになってきたんです。だからやっていてよかったなって。『自分は自分だ』って思えるようになったんですからね」

 そう語ると彼女は柔らかい表情で微笑んだ。

【profile】
伊藤沙月 いとう・さつき 
1991年、宮崎県生まれ。高校1年でボクシングを始め、2年時の全日本女子アマチュアボクシング選手権大会ライトフライ級Bで優勝。拓殖大学在学中にはロンドン五輪の強化選手に選出された。2015年に自衛隊体育学校に入校し、同年の全日本大会バンタム級で3位、16年には2位。18年に現役引退し、19年から東京・西麻布の会員制トレーニングジム『デポルターレクラブ』でパーソナルトレーナーとして活動している。

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撮影協力●ASICS Sports Complex TOKYO BAY(東京・豊洲)