連載第29回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・荒木雅博(3)

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 かつて、中日で32年にわたり現役生活を送った山本昌が、笑顔でこんなエピソードを教えてくれた。

「僕は毎年ルーキーが入ってきたら『どんな選手かな?』と見に行っていたんです。

でも、ドラフト1位で入ってきたのに『この子は大丈夫か? 誰が獲ってきたんだ?』と思わされたのは荒木でしたね。バッティング練習ではほとんどの打球がどん詰まりで、内野の頭を越えない。線は細いし、『これは無理だろう』と思ってしまいました」

元中日・荒木雅博は「イップスも生活の一部」にして名二塁手とな...の画像はこちら >>
 荒木雅博は1995年のドラフト1位でプロ入りしている。だが、1位指名といっても、福留孝介(日本生命を経て3年後に中日入団)、原俊介(元巨人)と連続してクジを外した上で指名した「外れ外れ1位」である。

 荒木本人は「漠然と入ったプロ野球」と当時を振り返るように、入団時には特別なこだわりや高い意識があったわけではなかった。俊足という武器はあったものの、打撃面ではスイング軌道が外側に大きく回る「ドアスイング」という悪癖があった。

「ボテボテのゴロが多くて、淡白な凡打を減らすことと、いかに(体の)内側からバットを出すかをいつも考えていました」

 そう言う荒木だが、体に染み込んでしまった悪いクセはなかなか治らなかった。さらに変化球を器用に打ち返すだけの技術もなかった。そこで荒木は「1打席に1球は必ずストレートがくるのだから、その1球を確実に打ち返せるようにしよう」と思いつく。

 荒木はピッチングマシンのボールをセンター返しする特訓に明け暮れた。どんなコースにボールが来ようと、マシンの上部を目がけて打ち返す。ピッチングマシンの投じるボールを、荒木は「センター返しマシン」と化して打ち込んだ。

この努力が実り、荒木は代走や守備固めから得た少ないチャンスをものにしていく。

「数字(通算2045安打)だけ見れば、『なんでこんなに打てたんだろう?』と自分でも思いますよ。バッティングは最後まで自信が持てませんでしたから」

 荒木は淡々とそう語る。ただし、自信がないことは必ずしも悪いことではないとも付け加えた。なぜなら、「自信がないからこそ、練習できる」からだ。

 試合前のバッティング練習では、あえてセカンドの頭上にライナーを打つ練習を繰り返していたという。

「バッティングピッチャーのボールなら、どのコースでもセカンドの頭上へ持っていけるように調整していました。どうしてそんな窮屈なバッティングをしていたかというと、毎日同じことをやってルーティンにしていかないと、その日の調子がわからないから。『今日はここのコースはバットの出がいいな』と点検していくことで、自分の体調やバッティングの状態が確認できるんです。とにかく毎日、同じことを繰り返すことで見えてくるものがあります」

 毎日同じことを繰り返し、点検する──。

 それはイップスを発症した荒木が、その後10年以上にわたってプロの一線級で戦えた要因でもある。

 荒木は「1回イップスになってしまったら、野球をやめるまで治らない」と断言する。

だから、荒木は引退するまで「イップスを克服した」と思えた日はなかった。

「もう、日々のルーティンをしっかりやるだけでした。キャッチボールからノックまで、『これとこれとこれの形の練習をやる』と毎日繰り返して、気をつける。練習で意識し続けて、初めて試合では無意識でプレーできるわけですから」

 キャッチボールでは自分のフォームやボールの回転。ノックでは足のステップ、送球時の左肩の角度やリリース位置を確認する。もちろん、それは捕球した位置によって微妙に異なってくる。

気の遠くなる作業を毎日、欠かさずに繰り返した。

 イップスを改善するにあたって、もっとも注意しなければならないこと。荒木は「100パーセントを目指さないこと」だと考えている。

「人はなんでもかんでも、ゼロから100を目指していくものですけど、イップスは最初から100を目指してしまうとうまくいかないんです。僕はまずゼロから50のところを目指して、試合に出ながらうまくしていったほうがいいと思う。そうしないと、『うわ、まだ治らない。

まだ治らない......』と苦しくなってしまう。どこかで妥協点を見つけることが必要だと思います」

 とはいえ、前述したルーティンを毎日続けることもハードには違いないのではないか。荒木にそう水を向けると、こんな答えが返ってきた。

「毎日、歯を磨くのにしんどいとは思わないですよね? イップスもそこまで持っていったら本物です。朝起きる。ご飯を食べる。トイレに行く。歯を磨く。これって何一つしんどいことなんてないじゃないですか。毎日の歯磨きと同じような感覚で、イップスを治すために回転を確認できれば、それはもうしんどくないですから」

 もちろん、ルーティンとして定着させるまでは骨が折れたそうだが、いつしか荒木のなかで「イップスも生活の一部」という感覚が芽生えていた。それは苦痛を伴う生活ではない。荒木は「特別なことをやっていると思うから、しんどく感じる」と語った。

 歯を磨くのも、ボールの回転を確かめるのも、セカンド頭上にライナーを打つのも、荒木にとってはごく当たり前の日常だったのだ。

 自身がイップスを抱えていたこともあり、周囲のイップスにも過敏になった。ある球団の捕手の投げ方を見て、荒木はすぐ「イップスだな」と悟ったという。

「見ていたらわかりますよ。ちょっと手首の使い方が硬かったんですよね。『あぁ、苦労してるなぁ。わかるよ、わかるよ』と思っていました」

 そして、荒木は一転して口調を強めてこう続けた。

「だからといって、彼をバカにするような走塁はしませんでした。アウトになるタイミングなら行かなかったし、『(捕手が)イップスだから行ってみよう』という走塁は絶対にしなかった。それは相手に対して失礼だし、そんなヤツは野球をやる資格がないですよ」

 過去にこの連載記事に登場した赤星憲広(元阪神)は、自身が現役時代にイップスに苦しんだことを告白している。赤星は中日戦が憂鬱でたまらなかったという。それは、中日の選手はセンターに打球が飛ぶと大きくオーバーランをするなど、足でプレッシャーをかけてきたからだ。ショートスローでのイップスを抱える赤星にとっては、苦痛でしかなかった。

 赤星は亜細亜大の先輩である井端弘和が中日に所属しているため、チーム内で赤星のイップス情報が共有されているのだろうと考えていた。だが、荒木にその件をぶつけてみると意外な反応が返ってきた。

「それは今、話を聞くまでまったく知らなかったです。たしかに浅いセンターフライでも『タッチアップしてみようかな』と動いたら、赤星さんがたまにカットマンに悪送球していました。そこでイヤなイメージがついたのかもしれませんね」

 コーチから「あの選手はイップスだから、いつも以上に一生懸命に走れ」と指示されたこともあった。だが、荒木はそのたびに「イップスだろうが何だろうが、一生懸命に走るべきだ」と考えていた。相手をバカにしてやっているうちは、強くなれない。それが荒木の信念だった。

 打撃には自信を持てず、守備面ではイップスを抱えている。そんな野球選手が23年間もプロ野球で現役生活を続けられた理由。それは「野球は怖い」という危機感を常に持ち続けられたからだと荒木は言う。

「打つことが怖いからバットを振るし、捕ることが怖いからノックを受けるし、投げることが怖いからボールをちゃんと投げる。一つひとつのことを疎(おろそ)かにしないようになりましたね。特別な練習をしたからよくなったということではなく、日頃の練習から意識していけばいい。それで最終的にはすばらしい野球人生を送らせてもらった、ということだと思います」

 イップスをいつ克服したのかと問われれば、「最後まで治りませんでした」と荒木は答える。「いやいや、普通にやっていたじゃないですか」と驚かれることも多いそうだ。

 毎日イップスと、そして自分と向き合ってきた積み重ねが、通算2045安打、ゴールデングラブ賞6回受賞の名二塁手をつくり上げたのだった。

(文中敬称略/つづく)