羽生結弦は未来を創る~絶対王者との対話』
第Ⅵ部 類まれなメンタル(4)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。

世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。

羽生結弦のメンタルコントロールのすごさ。世界最高得点を連発し...の画像はこちら >>

2015年12月のGPファイナルSPの羽生結弦

「自らの失敗の経験を活かす」

 羽生結弦がそう口にしたのは、2015年11月のNHK杯だった。4回転ジャンプを2本入れる構成に初挑戦したショートプログラム(SP)で自身が2014年ソチ五輪で出した歴代世界最高得点を4.88点上回る106.33点を出した。そして、その後のフリー。史上初の合計300点台突破は、周囲のみならず、自身も期待するものだった。

「ソチ五輪では(フリーの)演技が終わった瞬間、『これで優勝がなくなった』と思いました。
その時に、自分が金メダルを意識して緊張していたと気がついたんです。その経験が今回のNHK杯ではすごく活きて、会場に来る前から、『自分は300点超えをしたいと思っている』『ノーミスをしたいと思っている』というふうに、自分で自分にプレッシャーをかけてしまうようなことを考えていると認識できていた。『緊張しているんだな、それならこうしよう』と意識できました」

「一番よかったのは、コントロールできた精神状態でフリーの演技ができたこと」と振り返った羽生は、それまでの最高点を19点以上も上回る216.07点を出し、合計を322.40点にしたのだ。

 だが、いい結果を出せば出すほど、周囲の期待は高まる。「ノーミスの演技は毎回のようにできるものではない」と話していたが、この記録が、これから自分自身にのしかかってくることも羽生は認識していた。そんな状況で再度歴代世界最高得点を更新した次の15年12月のグランプリ(GP)ファイナルは、彼のメンタルコントロールのすごさを証明するものだった。



「NHK杯の時は『やったー!』と素直に喜べたんですが、今回(GPファイナル)は『よかったー!』という感じですね。何かホッとしたというか、安堵感というか......。そういうものがちょっとありました」

 GPファイナル男子フリーで、NHK杯の得点を上回る219.48点を獲得し、合計も330.43点に伸ばしてこう語った。

 出番を待っている間、前の選手一人ひとりの演技へ送られる大歓声が聞こえていた。直前のハビエル・フェルナンデス(スペイン)が出した、史上2人目の200点超えには焦りさえも感じた。だからこそ自分の演技に対して出された得点を目にした時、あらためてプレッシャーと戦っていたことを思い、「やっと終わった」との安堵感とともに涙が流れ出てきた。


 大会直前には怖さも感じていた。NHK杯の結果を考え、「今回も同じような演技をして優勝しなければいけない」と、そんな気持ちになっていた。GPファイナルSPでの自己最高を上回る110・95点獲得がさらに拍車をかけた。しかも、その演技は要素を完璧にこなすだけではなく、『バラード第1番ト短調』という、ピアノ曲の旋律をそのまま表現して、自らが発する力強さまで加えた完成された演技だった。

 度重なるアクシデントに見舞われた前シーズン、羽生は「体としてはマイナスかもしれないが、精神的にはプラスになっている」という言葉を口にした。現実を受け入れる諦観(ていかん)にも似た思いと、進化への挑戦ができないもどかしさが交錯した。

そんな状況で自分を鼓舞して勇気づける言葉でもあった。

 前シーズンに実現できなかった演技構成にあらためて挑戦したこの15-16シーズンだったが、オータムクラシック、スケートカナダと2試合連続でミスが続いた。そこで気づいたのは、「前シーズンに挑戦するはずだったプログラムに挑戦できなかった」という過去にこだわっている自分だった。

 そのわだかまりを吹っ切るために選んだのが、SPの演技後半の4回転ジャンプをやめて、2種類の4回転を入れる新たな構成だった。それがNHK杯での自身初の、『バラード第1番ト短調』のノーミスの演技につながった。一気に解放された羽生は、GPファイナルでは、SPを振付師ジェフリー・バトル氏の『バラード第1番ト短調』から自分の表現へと昇華させたのだ。


 しかし同時に、歴代世界最高得点という成果は羽生に試練も与えた。「さらなる期待に応えなければ」とのプレッシャーと、積み重なった疲労だ。これまでのGPシリーズとは違い、SPからフリーまで中1日空くスケジュールで、羽生はSP翌日の公式練習でどこか気持ちが入りきっていないように見え、フリー当日の練習でも、4回転トーループに若干の不安定さがあった。

「練習は見た目にはよかったかもしれないけれど、自分の中では感覚がつかみきれていないところがあって、すごく不安だったんです。それに加えて前の選手のいい演技が、自分を追い込んでいた。でもよかったのは、今回も『本当に不安なんだな。
できるかなと思っているな』と自分で気づけたこと。それでノーミスでなくてもいいから、一つひとつ頑張ろうという気持ちになれました」

羽生結弦のメンタルコントロールのすごさ。世界最高得点を連発した当時の思い

2015年GPファイナル、フリー演技の羽生

 自己分析ができていたGPファイナルでの羽生のフリーは、NHK杯のような気迫を前面に出すようなものではなかった。それでも「しっかり演じよう」という思いが伝わってくる、とても丁寧な滑りだった。

「ショートの前は優勝にこだわっていたけど、フリーの前になって『優勝だけじゃないな』と思えたんです。やっと自分の周りが見られるようになってきたからこそ、点数だけじゃないと思えてきた。もちろん点数にこだわった時期もあるし、得点を上げるためのプログラムも意識した。でも今はこのプログラムでジャンプがやっと決まるようになってきたからこそ、芸術性に関しても自分らしい表現ができるようになってきたのかな、とも考えるようになりました」

「表現が難しいから選んだ」と彼自身がいうSPの『バラード第1番ト短調』とフリーの『SEIMEI』。羽生はそのプログラムを得たからこそ"表現"をより深く考え始めたのだろう。

 GPファイナルのエキシビションで演じたのは、東日本大震災の被災者への鎮魂の意も込める『天と地のレクイエム』。NHK杯の時の高揚感に支配されたものとは違い、感情を抑えてプログラムに込めた思いを表現しようとする意志が伝わってきた。

 その滑りは彼の300点超えをしっかり消化して次への歩みを始めようとする、「絶対王者」としての力強さを感じさせるものだった。

(つづく)

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13~16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。