女子バレー日本代表
佐藤美弥 結婚インタビュー

 元女子バレーボール日本代表のセッターで、今年の春に引退を発表した佐藤美弥。東京五輪後に、男子代表のセッター・藤井直伸との結婚を公表してファンを驚かせた。

バレー選手同士の結婚はそれほど珍しくはないが、セッター同士はなかなか例がない。今回は佐藤本人に出逢いからプロポーズ、夫の東京五輪でのプレーをどう見ていたのかを聞いた。

「私のことを知ってたんだ!」佐藤美弥が驚いた夫・藤井直伸から...の画像はこちら >>

婚姻届けを出す時の佐藤美弥と藤井直伸(写真:本人提供)

 馴れ初めは現代的で、佐藤のインスタグラムに藤井からフォローリクエストがあり、佐藤もフォローバックしてメッセージのやりとりが始まった。

 佐藤は秋田、藤井は宮城とともに東北出身。佐藤は大学の頃から男子選手のプレーを参考にするようになり、日立リヴァーレ入団3年目に監督に就任した松田明彦が男子バレーの練習を取り入れたこともあって、徐々に頭角を現していた藤井のプレーを見る機会も多かったという。ただ、インスタグラムでつながるまでは話をしたこともなかった。


「『女子選手がこんなプレーができたら面白いんじゃないか』と思って、男子選手のプレーを見るようになりました。日立の監督が松田さんになってからも参考にしていたんですが、ちょうどその頃に彼が東レアローズに入団して、3年目のシーズンにはリーグ優勝もしていたのでプレーを見る機会が多くなったんです。

 彼の速いクイックを参考にさせてもらっていたので、私は勝手に『頑張れ』と思っていました。直接話をしたことはなかったんですが、2019年の春くらいに突然、彼のほうからインスタグラムで連絡があって。その時は『藤井くんも、私のことを知ってたんだ!』と思いましたね(笑)。そこからいろいろバレーの話をするようになりました」

【五輪前のサプライズ】

 当時はともに日本代表ということもあって、ふたりで会えるタイミングはそこまで多くなかったが、2019年末くらいにつき合いが始まった。セッター同士、どんな話をしていたのか。



「セッターは司令塔のポジションですし、チームではあまり弱いところを見せたくないんです。そういう難しさとか苦しさを周囲に理解してもらうのは難しいんですけど、彼には弱音も吐けて相談もできました。プレーに関しても『このトス、どうやって上げてるの?』『この場面は何を考えてるの?』といろいろ話をしましたし、精神的に支え合っていたのかなと思います」

 逆に同じセッターとして、「なんでこんなトスを上げたの?」といった疑問をぶつけてしまうこともありそうだが、佐藤は「それはないですね」と首を振った。

「よほどありえないミスだったら『どうしたの?』って笑うこともありますけどね(笑)。そんなに気になるようなミスはないですし、あってもその時の気持ちがわかるというか、共感できることが多いです」

 結婚前は、クリスマスにイルミネーションを見に行ったり、お酒を飲んだりとデートを重ね、いよいよプロポーズ。タイミングは東京五輪に向けた日本代表合宿が始まる前で、「向こうにしていただきました」と照れ笑いを浮かべた。


「リーグが終わったあとでしたが、バルーンなどを使ってこっそり私の部屋を装飾してくれていて、すごくびっくりしましたよ。そんなこと、彼はできなそうじゃないですか(笑)。玄関を開けたら封筒が置いてあって、そこに『この手紙を読んで覚悟ができたら部屋の扉を開けてください』と。なかの手紙を見たら『結婚してください』とだけ書いてありました。それで私が扉を開けて部屋に入ったあとは、別で準備していた手紙を読んでくれたんです。

 つき合い始めた頃からお互いに結婚を意識していました。
でも、タイミングは『オリンピックが終わって、落ち着いてからかな』と気長に待っていたので、そこも含めて驚きましたね。合宿からオリンピック終了後まで会えない時間は増えるし、私は引退して生活環境も変わる。彼は『そういう状態で不安な思いをさせたくないから、オリンピック前に伝えたかった』と言ってくれました」

【五輪に出る夫への複雑な思い】

 五輪イヤーの2021年、選手としての道は大きく別れた。藤井は最終12人のメンバーに残ってオリンピアンに。一方の佐藤は、度重なるケガによりその道を諦めた。自分のオリンピックへの思いを藤井に託すことはあったのか。

佐藤は当時の記憶を辿るように、ひとつひとつ言葉を噛み締めながら話した。

「引退も決めてオリンピックを諦めたつもりでも、簡単に気持ちの整理はできませんでした。まだ出場できる可能性があった時から、これまでにないくらい精神的にキツくなってしまって、彼のことを素直に応援できない時期もありましたね。オリンピックメンバーに残るまでの努力や苦労、出場することの重みなども一番理解できるはずなのに、どうしても羨ましいというか嫉妬のような気持ちが湧いてきてしまって......。大事な時期なのに、それを彼にぶつけてしまうこともありました。

 それは今でも、『本当に申し訳なかったな』と思っています。
そこから気持ちを整理して、素直に頑張ってほしいと思えるようになりましたが、『私が出られなかった分も』という気持ちはなかったです。東京五輪はあくまで、彼の努力によって、自分で掴んだ舞台ですから」

 東京五輪では、藤井はベンチスタートで「2枚替え」で使われるケースが多かった。それでも、一緒にコートに入った清水邦広、東レのチームメイトである李博に正確なトスを上げ、勝利に貢献した。

「オリンピックで生き生きとトスを上げる彼に安心しました。もっと試合に出たいという思いもあったでしょうけど、しっかり自分の仕事を全うしていましたね。出場時間は長くなくても『チームのために』という強い気持ちが伝わってきましたし、チームが勝った時に心から喜ぶことができるのも、本当に尊敬できる部分です。

 むしろ緊張していたのは、大会が始まる前でした。彼は試合前でもあまり緊張しないタイプなんですが、オリンピック初戦の前日には、珍しく『やばい!』というメッセージがきて。その分、勝ったあとはすごくテンションが高かったですよ(笑)。大会が終わって帰ってきた時には『疲れたー!』という感じでしたが、実感がこもった言葉だったと思います」

 現在、佐藤は日立Astemo株式会社で働き、藤井は東レで現役を続けている。遠征で家を空ける時以外はふたりで食事をするが、ふだんは現役アスリートの夫のために栄養バランスも考えた手料理も作るという。

 ひとり暮らし時代からよく作っていた料理は肉じゃが。藤井も大好物だったようで、「ちょうどよかったです」と顔をほころばせた。

「彼は、『新しい家庭を持って初めてのVリーグで優勝することが目標』と言ってくれています。うれしいし、私も優勝する姿を見たいので、少しでも力になれればと思いますが、それを『ふたりの夢』と言うのは、なんとなく"おこがましい"ようにも感じます。もし目標を達成できたら、彼自身の努力がより評価されたらいいな、と思います。私はそばで応援できるだけでも十分。今後も、バレー以外のところも含めて支え合っていきたいと思っています」