【短期連載】令和の投手育成論 第10回
第9回はこちら>>
今季のメジャーリーグではロックアウトで春季キャンプが期間短縮された影響により、シーズン序盤、先発投手の球数が全般的に少なく抑えられた。
ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平を例にとると、昨季は1試合平均88.1球だったが、今季は初登板から「80→70→81」球。
こうした起用法にはどのような根拠があるのだろうか。裏づけのひとつと考えられるのが、大谷がふだんの練習でヒジに装着している"黒いバンド"だ。
大谷翔平が投球練習時に右腕に巻いている黒いベルトがパルスだ
ヒジの負担を可視化
「パルススロー」(以下、パルス)----以前は「モータス」として知られたウェアラブルテクノロジーで、ヒジにかかるストレス値や腕を振る角度、速度を計測できる。日本で販売するオンサイドワールド社の八木一成ジェネラルマネジャーが説明する。
「センサーをアプリと連携させて、投げると数値が出てきます。パルスの目的を大きく分けると、投球フォームやトレーニングのために使うパターンと、負荷量を見ながらコンディショニングをつくっていくパターンとがあります」
もともとIMGアカデミーでパフォーマンスアップや故障予防のために研究開発され、昨年、シアトルの野球トレーニング施設「ドライブラインベースボール」に買収された際に名称が変わった。
パルスの画期的な点は、ヒジへの負荷を可視化できることにある。じつは昨季、大谷は右ヒジの張りで9月17日に予定されたアスレチックス戦の先発を前日に回避したが、"根拠"のひとつに「ACWR」があったのではと八木氏は考えている。
「ACWR」は「Acute Chronic Workload Ratio」の略で、急性負荷と慢性負荷から算出する数値だ。オンサイドワールドのHPから抜粋して簡潔に説明すると、以下の考え方になる。
<約1カ月間でつくり上げた身体の耐性(クロニックワークロード)では耐えられないほどの急激な負荷(アキュートワークロード)がかかると、ケガのリスクが高まる。ACWRはケガのリスクを軽減するうえでさまざまなスポーツで使用され、現在、注目されている指標のひとつ>
練習や試合を含めてピッチングにおけるACWRの数値を0.7~1.3に保つと、ケガをしないラインと考えられている。
以上を踏まえ、八木氏は昨年9月の大谷の登板回避をこう振り返る。
「おそらく昨季の大谷選手はACWRを1.3に維持しながらプレーしてきたのだと思います。試合日は強度が高いので、ワークロードの数値が上がります。これが1回加わるとACWRが高まるので、つまりケガのリスクが高まる。だから登板を1回飛ばし、次の先発機会に(コンディショニングを)もう1度合わせたのかもしれません」
八木氏はパルスを踏まえて推察すると、大谷の番記者から聞いた情報を含めて続けた。
「大谷選手は投げたあと、筋肉痛がだいたいこのタイミングで出るというのがいつもあるらしいですが、その時に限ってふだんより遅れたそうです。この遅れ方がちょっと気になると。まさに感覚の部分ですが、おそらくパルスのワークロードの数値で疲労の蓄積具合を見ながら、『ここで投げるとリスクがある』と主観とデータを照らし合わせて決めたのではと思います」
スポーツテクノロジーの進化
近年、スポーツにおけるテクノロジーの進歩は目覚ましい。コンディション管理はそのひとつで、先頭を走るのがラグビーだ。日本代表をエディー・ジョーンズ監督が率いた頃、"ハードワーク"を陰で支えたアプリに「ワンタップスポーツ」がある。疲労度やトレーニングの負荷量を管理し、コンディショニングやピーキングを最適化しようというアプローチだ。
そのなかで象徴的な言葉として使われているものが「ワークロード」だ。
たとえばマラソンを走る前には、練習で走行距離を徐々に伸ばしながら負荷に耐えられるように準備していく。レース本番までに求められるのは、どの程度まで負荷をかけるかというコンディショニング、そしてピーキングだ。
同じことが投手のピッチングにも言え、「強度×量=負荷量」の管理が試合でパフォーマンスを発揮するためのポイントになる。八木氏が説明する。
「負荷が溜まりすぎている時に無理して強度の高い投球をしてしまうと、抵抗できる筋肉も疲れているからケガをします。
ヒジへの負荷を測る方法は、投球ごとに内側の靭帯にどれくらいのトルクがかかったかをセンサーで計測する。トルクは回転と加速により、どの程度の質量がかかったかを表したものだ。これに身長と体重、腕の長さと重さを鑑み、アルゴリズムでストレス値を算出する。
こうしてヒジへの負荷を可視化できる意味は、投手にとって極めて大きい。指導する私立武田高校や東広島ポニーでパルスを採用する高島誠トレーナーが説明する。
「それほど知識がない指導者でも、パルスを見れば『ヒジへのストレス値が高い。
パルス購入にかかる費用は?
パルスに強い興味を示したひとりが、ソフトバンクの左腕投手・和田毅だった。シーズンオフに地元・出雲市で主催する小学生のイベントで、この器具を試せるようにしてほしいとオンサイドワールドに頼んだという。
ある小学生が計測の1球目を全力で投げ、2球目は肩の力を抜いて投げると、2球目のほうがアームスピードは速く、かつエルボートルクが下がった。つまり肩の力を抜いて投げたほうがパフォーマンスアップし、故障リスクも下がったということだ。
この少年はいわゆる"正しい投げ方"に一歩近づけたと言えるが、たとえ一定水準の目を持つ指導者がいなくても、パルスがあれば誰でも数値を見ながら投球フォームを改善できるわけだ。パルスの値段は3万円強で、アプリは無料となっている。
サブスクリプションの「パルスダッシュ」というサービスに加入すれば、パルスのデータを蓄積しやすくなる。ひとりにつき年間約2万円かかるが、チーム全体の投球管理が可能になる。
たとえば先発投手の登板日を設定し、「ACWR」の値が1.3を超えないようにキャッチボールや遠投、ブルペン投球などピッチングの量と強度を管理しながらコンディションを高めていく。いざ迎えた本番では、「ACWRが1.5や1.7になるまで投げると故障リスクが高まるから、今日は80球までにしよう」などと根拠を持って球数を決めることができる。
こうして"投げすぎ"による故障の可能性を下げると同時に、アプリで示される「推奨1dayワークロード」を参照すれば、"投げなさすぎ"も避けられる。目標設定した日に向けて、自分はいつ、どのくらい投げて、どのタイミングで休養をとるのがいいのか、根拠を持って管理していくことができるのだ。
これまでの投手マネジメントは、指導者や選手自身の感覚、経験則によるところがほぼすべてだった。令和の時代に広まりつつあるパルスは、科学的根拠を示すという点で画期的と言える。
じつは、このテクノロジーを活用し、新たなチャレンジを始めている名門学生チームがある。山?康晃(DeNA)、東浜巨(ソフトバンク)、九里亜蓮、薮田和樹(ともに広島)、?橋遥人(阪神)ら好投手を次々とプロに輩出し、「日本で最も厳しい」と言われる亜細亜大学だ。
第11回につづく
(一部敬称略)