ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(5)後編

(前編:2代目タイガーマスクがジャイアント馬場から授かった「サソリ固め封じ」の顛末>>)

 1986年3月13日、2代目タイガーマスク・三沢光晴が迎えた長州力戦。のちにトップレスラーとなる三沢が長州相手に見せた才能、一緒にメキシコ修行をしていた越中詩郎の心境、初代・佐山聡の存在などについてケンドーコバヤシさんが語り尽くした。



長州力は2代目タイガーにキレていた?若き三沢光晴がオリンピア...の画像はこちら >>

長州力を攻める2代目タイガーマスク・三沢光晴

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――ジャイアント馬場さんが伝授した「サソリ固め封じ」が実らなかったタイガーマスクでしたが、この長州力戦で他に記憶に残っているシーンはありますか?

「試合の序盤で、2代目タイガーがタックルや、足首を取るといったレスリング技術で長州さんを圧倒していたと思うんですが、それってすごいことですよね。長州さんは専修大学時代に、レスリングでミュンヘン五輪に出場した実績がある人ですから。

 一方の2代目タイガーマスク、つまり三沢光晴さんは栃木の足利工業大学附属高校のレスリング部出身。オリンピアンを、足利工業大附属のレスリング部だった男がリードするなんて考えられない。ジュニア時代には見せなかった、2代目タイガーマスクの別の顔を見たというか......『真の実力者やな』と思いましたね」

――長州さんも焦ったかもしれませんね。

「2代目タイガーのムーブにキレてたかもしれません。
試合途中にかけた首4の字固めもずっと外さなかったですし。長州さんには、首投げのあとに首4の字固めに入るという技の流れがありますけど、この試合の首4の字は『長い!』って思いましたよ。この攻防を含めて、見返す価値のある試合です」

――当時、ケンコバさんは2代目タイガーをどう見ていましたか?

「俺が心配していたのは、越中詩郎さんの気持ちでした。

 全日本プロレスはテレビ中継でしか試合を見る機会がなかったんですが、ある日、若手選手の登竜門的な大会である『ルー・テーズ杯』の決勝戦が流れて。それが越中さんと三沢さんの試合でした。全日本は、テレビマッチでは若手選手が登場することはなかったですから、俺はその試合で『この団体にも若い選手がいるんだ』と知ったんです。
それでふたりのことをすごく応援するようになったんですよ」

三沢と越中の鬱屈

――そのルー・テーズ杯は、越中さんの優勝でしたね。

「そうですね。そのあと、越中さんと三沢さんはふたりでメキシコに海外武者修業に出ます。越中さんはサムライ・シロー、三沢さんはカミカゼ・ミサワのリングネームで戦っていました。ただ、専門誌で目にするのは、『越中は現地の食事でお腹を壊したけど、三沢は平気だった』といったこぼれ話くらいでしたが、必死で頑張っていたんだと思います。

 でも、修行の途中で三沢さんが帰国してタイガーマスクに変身。

越中さんはメキシコに残ったままでした。だから俺は、越中さんを勝手に心配していたんです。ルー・テーズ杯の優勝者がメキシコに残され、準優勝者が日本に戻ってスター街道を歩み出したわけですから。

 結果的に越中さんは全日本を離れ、設立されたばかりのアジアプロレスを経て新日本と契約するんですが......『あの待遇なら、そりゃあ新日本に行くわな』って思いますよ」

――越中さんも激動でしたが、2代目タイガーマスクになった三沢さんもなかなかファンの支持を得られず苦労しました。

「のちに『日本一のレスラー』と称される三沢さんですら、タイガーマスクを軌道に乗せることは難しかった。いかに初代タイガーマスクの佐山聡さんがすごかったかという証明でもありますね。
佐山さんの試合は、今見ても『おぉ!』と声が出るぐらい図抜けている。どうしても佐山さんと比較されてしまって、2代目タイガーマスクはブレイクしませんでした。

 ただ、その鬱屈があったからこそ、三沢光晴は稀代のレスラーへと成長したんでしょう。その鬱屈の最たるものが、(前編で語った)長州さんとの試合前に馬場さんに伝授された、サソリ固め封じの指導だったんじゃないかと思いますけどね」

――そこまで話が戻りますか(笑)。

「三沢さんは天才肌のレスラーですから、特訓の時にもしかしたら気づいていたかもしれないんです。『身長が2m以上ある馬場さんだからこそ、この返し技は有効なんじゃないか?』と。
でも、馬場さんからの直接指導ですから、そんな疑問は口が裂けても言えずに『やります』ってなったんちゃうかと。2代目タイガーがイマイチ弾けなかった理由も、そこにあったのかもしれません」

――馬場さんの指導が、2代目タイガーがブレイクしなかったことの象徴とするのは斬新ですね(笑)。

「もうひとつ、大人になった今に思うことは、対抗戦で2代目タイガーに勝った長州さんの気持ちです。一体、どんな気持ちで戦っていたのか。当然、『勝つのは俺だ』と思っていたでしょうけど、『一発持っていかれるんじゃないか』とよぎるくらい三沢さんの才能にも気づいていたはずです。俺としては、難しい試合だったんじゃないかと思っているんですが......この試合の映像を各解説者に見てもらって意見を聞きたいぐらいです。



 よく考えたら、のちにトップレスラーとなる三沢さんが長州さんと闘った貴重な試合なんですよね。2代目タイガーのマスクを脱いで以降は、長州さんとの絡みはない。だからプロレスの長い歴史のなかでは埋もれがちですけど、この試合を何らかの形で見られた人は、ビートルズの新たな音源を見つけたくらいの気持ちになると思いますよ」

――本当にそんな試合でしたね。

「だからこそ僕は、そろそろ声を大にして言いたいことがあります。全日本プロレスの埋もれている試合は山のようにあるはずなんで、番組を放送していた日本テレビさん、社内にあるはずのデータをすべて世に出してください! それが見られることが、俺の夢です」

(つづく)