実況アナ・舟橋慶一が振り返る「猪木vsアリ」(5)

(連載4:猪木vsアリ戦で「ルールの詳細を視聴者に明かせなかった」舟橋アナは「猪木にはこの戦法しかありません」と伝えられなかった>>)

 昨年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。幾多の名勝負をリングに刻んだ"燃える闘魂"が世界の格闘技史を揺るがせた試合といえば、1976年6月26日に行なわれたモハメド・アリとの一戦だろう。



 その「格闘技世界一決定戦」を実況した元テレビ朝日アナウンサー・舟橋慶一さんが、当時を振り返る短期連載。最終回となる第5回は、試合が急展開した6ラウンドの攻防、試合終了後の2人に見た友情。翌日からの大バッシング、そして亡くなった猪木さんへの思いを明かした。

猪木とアリに芽生えた友情 実況アナ・舟橋慶一は世紀の一戦に「...の画像はこちら >>

試合後、握手をかわすアリ(左)と猪木

【猪木の反則に「よくやった!」】

 ほぼすべてのプロレス技を禁じられたルールでアリと闘った猪木は、仰向けになって放つ「アリキック」で、圧倒的に不利な状況を打開しようとしていた。

 膠着(こうちゃく)した試合が動いたのは6ラウンド。アリが猪木の蹴りをつかむと、猪木は巧みな技術でアリを仰向けに倒し、顔面にヒジ打ちを入れたのだ。しかし、これは反則技だったためすぐにレフェリーからストップが入った。



 そのチャンスの場面について、放送席で実況していた舟橋はこう見ていた。

「猪木さんが6ラウンドで反則技を出したのは、イラ立ちの表れだったんだろうと。それまでも猪木さんは、ストロング小林戦や大木金太郎戦などでも、試合が膠着すると突然イラ立ちを露わにして相手の顔面を殴る場面があった。これは、膠着を打破しようとする猪木流のインサイドワークなんですが、アリ戦のヒジ打ちもそれだと思いました。

 ルールががんじがらめで、仰向けになって蹴る以外に何もできなかったわけですから、致し方ないと思います。『反則を犯してでも展開を変えたい』と動いたんじゃないでしょうか」

 猪木の反則に、アリ陣営はセコンドがエプロンに駆け上がるなど猛抗議。
日本武道館が騒然となる中、舟橋は内心、猪木に喝采を送っていた。

「試合が動かなかったわけですから、実況している私もイラ立っていたんです。ですから、あの反則は『よくやった!さすが、アントニオ猪木』と心の中で拍手しましたよ。もちろん、実況の私はその本音をしゃべるわけにはいかなかったですが(笑)」

【猪木のセコンド、カール・ゴッチの葛藤】

 急展開の6ラウンドが終わり、再び試合は膠着したままラウンドを重ねていった。猪木がタックルを試み、アリが左ジャブで牽制するといった動きはあったが、基本的には猪木の蹴りにアリが抵抗するという展開は変わらなかった。

 単調な攻撃の中で舟橋は、猪木のセコンドを務めたカール・ゴッチが、ほとんどアドバイスを送らなかったことが印象に残っている。

 ゴッチは日本プロレス時代、若手選手にレスリング技術を指導。

そこで猪木はゴッチのプロレス哲学に心酔し、新日本プロレスの旗揚げ戦で対戦するなど、ゴッチの強さ、技術、プロレスへの考え方を仰いでいた。そんな絶大な信頼を寄せたゴッチだったが、アリ戦で猪木に策を授ける姿を、舟橋が目にすることはなかった。

「ゴッチが試合中にアドバイスをすることはありませんでした。その理由を、試合の数日後に通訳を通してゴッチに尋ねたんです。しかしゴッチは、私の質問にニヤっと笑って、天井を見上げて何かを考えていたようですが、それを話すことはありませんでした。

 アメリカ人のゴッチにとって、モハメド・アリというボクサーがどれほど偉大な存在かということは、日本人が想像する遥か上なのかもしれません。
そのアリと、自分の弟子とも言えるアントニオ猪木が闘うことへの葛藤はあったはずです。ましてや猪木さんは、アメリカのショーアップされたプロレスラーではありませんから、アリがやられることも想定していたかもしれない。だから、猪木がアリを仕留めたら大変なことになる、ということも頭をよぎったはずです。

 さまざまな思いが複雑に絡み合う試合で、ゴッチは猪木のセコンドでありながら、どちらに味方をすることもできずに指示することができなかった。私はそう考えています。あの試合の難しさを、もっともわかっていたのはゴッチだったのかもしれません」

【試合後、猪木に集中したバッシング】

 試合は最終15ラウンドでも決着がつかず判定へ。

結果は三者三様の引き分けに終わった。その瞬間、舟橋の胸に去来したのは安堵だった。

「15ラウンドで決着はつきませんでしたが、猪木さんもアリも無事なまま終わってホッとしました。自分のパンチの力を一番わかっているのはアリ本人で、猪木さんも己のプロレスのすごさがわかっている。長く実況を担当してきた私は、一流の格闘家同士だけがわかる『無言の会話』というものがあることを理解しています。

 試合が終わった時、2人は肩を抱き合ったんですが、あれこそが闘った者にしかわからない友情なんじゃないかと。
格闘技の試合は殺し合いじゃない。この猪木vsアリは、究極の無言の会話を交わした闘いだったと思います」

 一方で「格闘技世界一決定戦」と煽りに煽った興行が引き分けに終わったことに対して、舟橋にはある予感があった。

「世間から相当な非難が出るなと。しかもそのバッシングは、仰向けになって蹴り続けた猪木さんに集中するだろうと思いました。試合終了のゴングが鳴った瞬間、『猪木さんは相当に苦しむんじゃないか。悔しいだろうな......』といった、いろんなことが頭に浮かびました」

 舟橋は試合後に猪木にインタビューしたが、猪木はいつもの試合と同じように淡々と受け答えをするだけだったという。

 そして、舟橋の予感は的中する。翌日に発売された全国紙、スポーツ紙を含めた新聞は「世紀の凡戦」「茶番劇」などと批判。当時、NHKで夜9時から放送していた「ニュースセンター9時」では、メインキャスターが「NHKが取り上げるまでもない茶番劇」とも発言した。

「アリ戦を終えて一番苦しんだのは、猪木さんだったと思います。私もあの試合から1年以上、多くの人から『あの試合は成り立つわけがなかった』とか、いろいろ言われましたよ。

 でも、そう言われた時に私はこう聞き返していました。『じゃあ、あなたは猪木vsアリに何を期待したんですか? 殺し合いですか? どちらかが再起不能になったら気が済みましたか?』と。そうすると、誰しも『それは、さぁ......』と黙ってしまいましたね」

 ただ、舟橋にはひとつの悔いが残っている。

「私は『猪木vsアリは何だったんだ?』 と聞かれた時に、『異種の格闘家が、ルールを決めた上で闘ったスポーツ』と答えていました。ただ、そう話すと『ルールがわからなかった』となるんですよ。

 あの試合で私は、正式なルールを放送することを番組プロデューサーによって禁じられていた。それでも、どうにかしてルールを視聴者にお伝えできていれば、猪木さんへの非難も少なかったのではないか。そこは今も悔いが残っています」

 47年前の日本武道館。アリ戦にかけた闘魂を舟橋は、あらためてこう強調した。

「猪木さんは、あの試合でプロレスのステータスを上げ、広く世間に認知させようとしていた。日本プロレス時代から、猪木さんはプロレスが『ショー』と言われることを気にしていました。ただ、ほとんどのレスラーにとってはそれが当たり前で、商売だと思っていた。そんな中で、猪木さんだけがプロレスが市民権を得ることに命をかけたんです。

 それが"猪木イズム"だと私は思っています。その考えを藤波辰爾、長州力らが継承して闘ってきたからこそ、新日本プロレスの繁栄があった。すべての原点は、やはり猪木イズムなんです」

 昨年10月1日に亡くなった猪木に対して、舟橋は天を見上げながらこう思いを馳せた。

「アントニオ猪木は、夢追い人です。最後まで、世界のゴミ問題を解決しようと、水プラズマ使った廃棄物処理の実現を目指していたことからもそれはわかります。今、猪木さんの純粋さを思うと感動さえ覚えますよ。あれほどの人は、今後もなかなか生まれてこないでしょう」

【プロフィール】
舟橋慶一(ふなばし・けいいち)

1938年2月6日生まれ、東京都出身。早稲田大学を卒業後、1962年に現在のテレビ朝日、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。プロレス中継『ワールドプロレスリング』の実況を担当するなど、長くプロレスの熱気を伝え続けた。