日本男子選手で51年ぶり、グランドスラム初出場・初勝利──。

 日本メディアでそのように報じられたことを、本人は素直に喜んだ。

 綿貫陽介がグランドスラム予選8度目の挑戦にして、ついに突破。本戦初戦では世界ランキング59位のアルトゥール・ランデルクネク(フランス)をまるでランキング上位者のようなプレーで圧倒し、6-3、6-3、6-2で勝利を手にした。

 2回戦では第29シードのセバスチャン・コルダ(アメリカ)にストレートで敗れるも、掴んだブレークのチャンスは17本。ウイナーも、相手を上回る38本叩き込んだ。

「ディフェンス能力など、差も感じた。自分が攻め急いだこともあるが、それだけチャンスもあった。

ストレート負けですが、全然敵わなかったというふうではないので、ポジティブです」

 試合後のその言葉に、コートから持ち返ったものの価値の大きさをにじませた。

「スポンサーがなくなって、本当によかった」錦織圭が絶賛したフ...の画像はこちら >>

将来を嘱望されていた綿貫陽介も24歳になった

 24歳にしてのグランドスラム初出場は、彼のポテンシャルや集めた期待に比すれば、やや時間がかかったかもしれない。

 18歳の時にジュニア世界ランキング2位につけ、全米オープンジュニア部門ではベスト4進出。なおこの年、本戦でベスト4に勝ち上がっていた錦織圭は、綿貫について「フォアは今の時点でも、日本人選手で一番じゃないかと思います」と、最大級の賛辞を送っていた。(「僕はのぞいてですが」と茶目っ気たっぷりにつけ加えるのも忘れなかったが)

 その錦織の評価を裏づけるように、綿貫は同年の全日本テニス選手権決勝で内山靖崇を破り、大会史上ふたり目の10代優勝者となる。同年末にプロ転向すると、錦織圭や大坂なおみと並んで日清食品と所属契約を締結した。

 その契約会見の席で錦織は「日本人にはいないボールの速さとスピン量、そしてスイングスピードを持っている。トップ100に余裕でいけるくらいの才能の持ち主」と綿貫を評した。

【これ以上はコーチできない】

 錦織の高評価が呼び水になったわけではないだろうが、ルコックや大塚製薬などの大企業もスポンサーにつき、大手スポーツ代理店「IMG」がエージェントとなる。戦績面でも20歳時にグランドスラム予選決勝まで進み、ランキングも171位に。順当な足取りかに見えた。

 だが、2019年の3月以降、彼のランキングは下降線をたどりだす。同年9月に綿貫のコーチについた兄・敬介は、当時の弟を「400~500位まで落ちても、おかしくない状況だった」と述懐した。

「陽介はボブ・ブレットさんという名コーチに見てもらっていたんですが、『これ以上は見られない』と言われた。その後は僕の兄の裕介が見たんですが、兄にも無理だと言われた。僕は陽介を14~15歳の頃からコーチとして見ていたので、最終手段で僕がつくことになったんです」

 実家がテニスアカデミーを経営する"綿貫三兄弟"の末っ子は、本人も「三男坊の甘えん坊」と認めるほどに、年齢よりも子どもっぽいところがあるという。テニスに関しても、「オープンコートに打つより、狭いところを抜くのが自分の持ち味」というような、よく言えば"美学"、悪く言えば"独りよがり"な一面があった。

 兄に言わせれば、それは「過信」であり、「地に足がついていない状態」状態だったという。

 なによりその頃の綿貫を苦しめていたのが、錦織が絶賛し、本人も自信を持っていたフォアハンドが、上のレベルではむしろ弱点となっていたことだ。

「ミスも多いし、精度もあまり高くない。打てばいいボールが行くんですが、安定感がなく、緊張した場面でミスが出るのがフォアだったんです」とは兄の弁。

 そのような情報やデータは一瞬で選手間に広がり、試合のたびに相手に狙われた。

「そこ(フォアハンド)を、技術的にもシンプルにしないといけないし、理に適った体の使い方をもっと覚えなくてはいけない。そこは正直、僕のなかではずっと課題でした」

 そう打ち明ける兄は、「本人に理解してもらえるまで、時間がかかりましたね」と苦笑いする。フィジカル強化は必須と進言する周囲に対し、綿貫本人は「ショットの感覚が変わるから身体を大きくしたくない」と考えたからだ。

【自分はそんなに特別ではない】

 ただその間にも、コロナ禍もあってランキングは伸びず、2021年末には300位台にまで落ちる。

 結果が出ないと背を向けられるのは、スポーツビジネスの非情な現実。2021年末には日清食品がテニス界から撤退し、所属先を失った。ルコック、そして大塚製薬との契約も切れたのも同じ頃。スポンサー収入を大きく失い、「2022年は、ほとんど賞金しか収入がない状態でツアーを周っていた」と兄は明かす。

 だが、裸一貫の状況になり、ようやく「本人も現状認識ができた」と兄は見る。

「賞金を稼ぐ段階になって、陽介も初めて、自分がそんなに特別ではない、世界にはすごい人がいるとわかったようです。

新しく何かに取り組まなくてはいけないと本人がわかったのが、すごく大きかった」

 フィジカルトレーナーを雇い、根本から自分のテニスを作り上げようと決断したのも、昨年のこと。

「スポンサーがなくなって、本当によかった」

 兄はポツリと、そう言った。

「陽介のフォームが、ジュニアの頃と今では全然違うと思ったんです」

 昨年の夏から綿貫に帯同している長田光生トレーナーは、久々に綿貫のテニスをじっくり見た時、そんな印象を抱いたという。

「ジュニアの時は全身をしならせて、大きなエネルギーを生んで打っていた。それが今は、大人のテニスに対応するため、コンパクトでシンプルになっていました。

 ただその分、パワーが出しづらくなっているはず。彼はフォアが武器だと僕も思っていますが、ベースの筋肉をもっと上げないと、前みたいなボールは打てないと思いました」

 そこで始めた取り組みは、極めて基本的なものだった。

「エネルギーの最大値を上げるために、まずはベンチプレスやスクワット、デッドリフトみたいな、全身を使って高重量を扱うトレーニングを中心にやる。次に、パワーをテニスの動きにつなげるトレーニングに移行します。

 なかでも重要なのが、上半身と下半身のバランス。彼は下半身の力が強いので、上半身を鍛えてバランスを取り、それぞれの動きをうまく連係していくんです」

【IMGと決別して新たな道へ】

 加えて「エネルギーのタンクを大きくした」ことにより、連戦にも耐えられるようになった。昨年11月、ATPチャレンジャー大会に4週連続で出場し、2度優勝、一度の準優勝という好成績を残している。

 今回の全豪オープンで予選から勝ち抜き本戦2回戦に達したのは、フィジカル強化により蘇ったフォアと、蓄えの増えたエネルギーの賜物だ。

 今年、綿貫は自らIMGとも決別し、自身の足で歩む決断を自ら下したという。今シーズンの目標は70位──。

 周囲の期待や本人の予想より、時間はかかったかもしれない。それでも急成長の季節を経た今、錦織も認めた才能は、ようやく花を咲かせ始めた。