ダンテ・ボッティーニ。

 テニスに関心があり、特に錦織圭の情報を子細に追ってきた人ならば、この名をよく覚えているのではないだろうか?

 2010年末から2019年末にかけて、9年間の長きにわたり錦織と二人三脚で歩み続けてきたコーチ。

その関係性は「指導者と教え子」というよりも、ともに学び成長し続ける「盟友」のように見えた。

「錦織圭がこの先、どれくらいプレーできるか、わからないから」...の画像はこちら >>
 2014年に全仏オープン優勝者のマイケル・チャンが陣営に加わって以降、「錦織のコーチ」と言えば、チャンの名が挙がる機会が増えた。ただ、錦織自身は会見などでチャンについて問われるたび、「チャンとダンテが」と、必ず10歳年上の兄貴分に言及していたのが印象に残っている。

 特に以前、錦織に「チャンのような"レジェンドコーチ"は以前から探していたのか?」と問うた時、彼のリアクションが象徴的だった。

 もはや時効かなと思うので明かすと、錦織は少し逡巡し、「これって、日本語でしか書かないですよね?」と確認してきた。もしかしたら、契約締結前からチャンに接触していたことが知られると都合が悪いのかなと思ったら......、「いや、ダンテに知られたくないだけなんです」と言ったのだ。

錦織のボッティーニに対する繊細な心遣いが、鮮明に浮かび上がるひと言だった。

 そのふたりが、別の道を歩むと決めたのが4年前。以降、ボッティーニはニコラス・ジャリー(チリ)、グリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)、そしてシャン・ジュンチェン(中国)といった複数のツアー選手のコーチを歴任し、現在はアレクサンダル・コバチェビッチ(アメリカ)のコーチに就任している。

 錦織が信頼を寄せ、今やツアーの常連コーチとなった彼は、いかなる人物なのか?

「僕がテニスと最初に出会ったのは、ビーチでした」と、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の44歳は、幼少の日を回想する。

「海に行った時に遊んだビーチテニスに夢中になり、学校から帰ったら毎日、ビーチに行ってました。そこで両親が僕を近くのテニスクラブに入れてくれて、テニスにハマりました。

強くなれたことも、楽しかった理由だと思います。14、15歳の頃は、南米の同世代でも常にトップレベル。16歳の時にはスポンサーがつき、プロとしてツアーを周るようになりました」

【『圭のコーチにならないか?』と電話をもらった】

 ボッティーニと同世代の南米には、アテネ五輪で単複金メダリストとなるニコラス・マスー(チリ)や、シングルス最高5位のフェルナンド・ゴンザレス(チリ)、シングルス15位のフアン・イグナシオ・チェラ(アルゼンチン)など、のちのトップ選手が複数名いる。

 その同世代とも、ジュニア時代は勝ったり負けたりの関係性。だが、ボッティーニは19歳で早くもプロキャリアに見切りをつけた。

「その当時の僕のランキングは、シングルスが800位台、ダブルスは300位台だったと思います。辞めた一番の理由は、金銭的に厳しかったから。

特に当時の南米の人にとって、北米や欧州はすべてのコストが2倍、3倍かかる感じでした。もちろん、辞めるのは残念でした。でも同時に、次のキャリアに目を向けるべきだと思ったので、すぐに前向きになれたと思います」

 その後、ボッティーニは母国に戻って高校を卒業すると、アメリカの西フロリダ大学に進学してスポーツ経営学の学位を修得。当初は「スポーツビジネスの世界に進むつもりだった」と言う。

 そんな彼をコーチの道に誘ったのは、大学での経験だったという。ほかのチームメイトより年長だったこともあり、自然と指導者的立場に立った彼は、人を教え導く喜びに魅せられる。

そこで卒業後は、インターンとしてIMGアカデミーでコーチ業に従事するようになった。

「最初は、週に何回かレッスンを受けにくる子どもたちや、一般の人たちを教えていました。そこから競技レベルのジュニアを指導するようになり、マリア・シャラポワ(ロシア)やトミー・ハース(ドイツ)ら、トッププロのヒッティングパートナーもしました。その後、補佐としてプロツアーにも帯同するようになったんです。

 圭のマネージャーから『圭のコーチにならないか?』と電話をもらったのは、プロ選手も見るようになってから1年半ほど経った時でした」

 それが、2010年末──。錦織が20歳から21歳を迎える頃合いである。

【圭は素直に僕の言うことをすべて聞き入れてくれた】

「当時の錦織のランキングは......」とこちらが口にすると、ボッティーニは素早く「98位です」と応じた。豪放磊落に見えながらも「数字やデータに強く、指導もすごく細かい」という錦織のボッティーニ評が思い出された。

「2011年シーズンは、いいスタートが切れました。チェンナイ(インド)のツアーでベスト8に進出。ただ、そこで負けたヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)には、その後も最後まで勝てなかった。5戦全敗。しかもハード、ハード室内、クレー、芝と、すべてのサーフェスで負けましたからね。

 いずれにしても、僕と圭の1年目はすばらしいシーズンだったと思います。特にノバク・ジョコビッチ(セルビア)やトマーシュ・ベルディハ(チェコ)に勝ったバーゼル大会は、大きな収穫でした。

 最後は決勝でロジャー・フェデラー(スイス)に負けましたが、非常に安定した戦績を残し、シーズンが終わった時には24位にランキングが上がりました。シーズンが始まる時に98位だったことを思えば、圭がトップ30でシーズンを終えると信じた人は、ほとんどいなかったと思います」

 では、そのすばらしいシーズンを、ふたりはどのようにスタートしたのか? 社交的で人懐っこいアルゼンチンの若きコーチの目に、錦織はどう映ったのだろうか?

「圭は言葉数が少なく、自分から話すことは少なかった。だから僕も、最初はあまり圭に話しすぎないようにしました。代わりに僕がしたのは、観察です。彼がどのような性格で、どのように物事を進めていくタイプか、読み解こうとしました。

 同時に、ほかの選手たちがどのようにツアーで過ごしているかも観察し、多くを学びました。ラファエル・ナダル(スペイン)、フェデラー、ジョコビッチ......それにダビド・フェレール(スペイン)やスタン・ワウリンカ(スイス)もよく見て、使えそうなものは圭にも伝えるようにしました。圭はとても注意深く耳を傾け、素直に僕の言うことをすべて聞き入れてくれました」

【復帰して間もないのに『圭はやっぱりすごいな!』】

 続けてボッティーニは語る。

「僕はコーチとしては、とても細かいタイプだと思います。もちろん僕は人生を謳歌しているし、コートを離れたら遊びもしますが、コートでは細部まで突き詰めるタイプです。なので僕の指導や指摘は、圭にとっては時にわずらわしかったかもしれません。

 でも、少しずつお互いを理解し、常に向上してきたと思います。圭は、技術はもちろん、食事の摂り方なども改善していきました。練習も、フィジカル面も、そして人としても。

 僕はどんなに小さなことも見逃したくなかったので、試合の時も気がついたことはすぐにスマートフォンに書き込んでいました。時々、僕のそんな姿を見て『スマホばかりいじっている』と思った人がいるかもしれませんが、メモを取っていたんですよ」

 そう言い広げる大きな笑みにも、彼の人柄が映し出されるようだった。

 昨年7月、ボッティーニは錦織の試合を、対戦相手のコーチングボックスから凝視していた。彼が当時就いていたシャン・ジュンチェンが、ケガから復帰して間もない錦織と対戦したためである。それは彼にとって、「とても不思議な感覚」だった。

「もちろん僕はシャンのコーチなので、彼に勝ってほしいと思っていました。ただ同時に、ふたりの対戦を見られることがすごくうれしかったし、この試合のボックスにいられることを、とても光栄だとも感じていたんです。

『圭はやっぱりすごいな!』とも思いながら、見ていました。圭が勝った時は、心から祝福しました。果たしてこんな機会が再び巡ってくるだろうかと思ったら、本当に幸福な気持ちになったんです。圭がこの先、どれくらいプレーできるか、わからないですから。

 自分の立場からしたら残念な結果ですが、でも、圭がいいプレーをしていることは、うれしかった。彼のプレーは、僕がよく知っている圭だと感じたし、それを違う立場から見るのも不思議な感覚でした。もちろん、試合前にはそれらの情報はシャンに伝えていたんですが......圭のプレーがよかったので仕方ないですね」

 テニスと出会ってから約40年経ち、ツアーコーチ業は14年目に突入したボッティーニは、「この仕事は大変なこともあるけれど、それ以上に喜びのほうが大きい」と言う。

 その原点にある錦織との日々に郷愁を寄せるように、彼は温かな笑顔で言った。

「圭と過ごした9年間は、本当に幸福な時間でした」......と。