松永浩美インタビュー

落合博満との秋田の屋台での野球談議 前編

 プロ野球史上唯一となる3度の三冠王を達成した落合博満氏は、独自のバッティング理論、野球論があったことで知られている。かつて"史上最高のスイッチヒッター"と称され、長らく阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の主力として活躍した松永浩美氏は、秋田での試合後の屋台で、ロッテ時代の落合氏と野球談議を繰り広げたことがあるという。

同じ時代に活躍したスタープレーヤー同士でどんな話をしていたのか、松永氏に聞いた。

敵チームの落合博満と松永浩美が秋田の屋台で語り合い。「どこが...の画像はこちら >>

1985年、セ・パの三冠王として表彰されたロッテの落合(左)と阪神のランディ・バース

【秋田に行く前の空港で、落合から「今夜、一緒に飯でも食わない?」】

――今は別チームの選手たちが一緒に自主トレをしたり、食事に行ったりと交流がありますが、昔はほとんどなかったイメージがあります。

松永浩美(以下:松永) 私たちの時代も交流はあったのですが、「公にはしない」という感じでしたね。試合前でまだ観客がいない時には、違うチームの選手に挨拶をしたり、いろいろな話をしたりしていました。

 でも、開場してファンが入場してきた時点で一切話さなくなる。それが"暗黙の了解"でした。根底にあったのは、「あまり他チームの選手と仲がいいと真剣勝負ができないんじゃないかとか」という考えです。

「グラウンドで白い歯を見せるな」といった風潮もあった時代ですから。

 あと、夜の街を歩いている時に、向こうから他チームの選手が歩いてきても、絶対に挨拶はしません。お互いに上を向き、空を見るような素振りをしてすれ違っていました(笑)。その翌日に球場で会った時も「昨日、会いましたね」なんて話はしません。今みたいに、塁上で相手チームの選手に頭を下げる、といったこともありませんでした。

――表立った交流が少ないなかで、松永さんが話をすることが多かった他チームの選手はいますか?

松永 何人かいますが、ロッテ時代の落合博満さんもそのひとりですね。
はっきりとは覚えていないのですが、オールスターゲームや日米野球に一緒に出るうちに、いつからか話すようになりました。プロ入りした時期は近いのですが、落合さんのほうが7つ年上ということもあって、私から話しかけることはあまりなかったですけどね。

 いつの年だったか、秋田の居酒屋のような屋台に誘われて話をしたこともありましたよ。

【共通の苦手コースは「ど真ん中」】

――秋田の屋台とは珍しいですが、どんな経緯があったんですか?

松永 阪急とロッテの試合が秋田である日に、落合さんと羽田空港でばったり会ったんです。その時に、落合さんから「今夜、一緒に飯でも食わない? 俺が行ってる秋田の屋台が、お前らの泊まってるホテルの近くなんだ」と誘われて。「そうなんですか、場所もわかりやすいですね」となって、食事の約束をしたんです。それで試合後に屋台に足を運び、落合さんとマンツーマンで一時間半くらい話をしました。



――その時は、やはり野球の話をしたんですか?

松永 最初は軽く料理をつまみながら、当たり障りのない話をしていたのですが、唐突に「どこが苦手?」と聞かれて。そこからは野球の話になりましたね。

――「苦手」とは、バッティングのコースのことですか?

松永 そうです。敵チームの選手でしたし、そうでなくても苦手なコースなんて他人には言わないんですが、落合さんの引き出し方がうまかったんでしょう。「たぶん俺と同じじゃない?」と聞いてきたので、私が「ど真ん中が一番苦手で......」と答えたら「俺もそうなんだよ」と。

――ど真ん中が打ちにくい?

松永 ど真ん中のボールは引っ張ることもできるし、流すこともできる。
そもそも、真ん中にボールが来ることなんてあまり想定していないですから。プロのピッチャーが攻めてくるのは、インコースやアウトコースの厳しいところや、高め、低めの厳しいところ。だからこそ真ん中にボールが来た時は、躊躇してしまうんです。

 当時、チームで1番を打っていた私が初球のど真ん中のボールを見逃すと、ネット裏のお客さんから「真ん中なんだから振らんかい!」とヤジられたものです。でも、真ん中のボールを待っていたら、たぶんシーズンで打率2割くらいの成績しか残せなかったでしょうね。

 落合さんと話をして、「そこは同じなんだな」と思いました。
もちろん、それを聞いたからといって、あとで阪急のチームメイトに「落合さんは真ん中が苦手だよ」などと教えたことはないですよ。

【落合が実戦形式でオススメした練習】

――他にはどんな話をしたんですか?

松永 よく、バッターは「ピッチャーの失投をいかに仕留めるかが大事」と言われることもありますが、落合さんは逆に「ピッチャーの得意なボールを打って自信をなくさせる」ことを考えていたようです。それも同じ考えでした。失投の場合はピッチャーが「甘いボールだったから仕方がない」と開き直れる。一方で得意な球を仕留めれば、「あれを打たれたか......投げるボールがないな」と、ピッチャーを精神的に追い込むことができますからね。

 その後に、打つ時にボールのどこを見ているのかと聞かれたので、「若い頃から、ボールの上、下、外などいろいろ見ています」と答えたら、「そこにスピンを加える?」と。

私が「スピンはあまり考えたことないです」と言うと「じゃあ今度、実際に打って見せてあげるよ」となりました。

 後日、落合さんが阪急戦で西宮球場に来た時、練習で「マツ、こうやって打つんだよ」と見せてくれたんです。「球が高く上がれば上がるほどスピンが効いてる証拠。たまには、こういう練習も入れてみてもいいんじゃない?」と言いながら、何回かボールをポーンと高く打ち上げていましたね。

――松永さんはその練習を取り入れたんですか?

松永 もともとボールをたたく位置は意識していましたが、そこにスピンを加えることも取り入れました。それが、より集中力を高めることにもつながりましたね。ボールにスピンを加えるためにはどうやってバットを入れたらいいのか、体の動きはどうしたらいいのかとか、工夫をしなければうまくスピンがかからなかったので、勉強になりました。

 あの秋田の夜は、まだまだいろんな話をしましたから、もう少し続けましょうか。

(後編:落合博満に聞いた独自の練習の意図と神主打法。プロとして「共通する部分がたくさんあった」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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