巨人・坂本勇人が5月30日のロッテ戦で、プロ野球史上初となるショートでの通算2000試合出場を達成した。過去、ベストナインやゴールデングラブ賞を5度以上受賞した選手でも、ショートだけで2000試合出場を果たした選手は皆無だった。

それだけに今回の坂本の記録達成は歴史的快挙と言える。では、坂本は遊撃手としてどこがすごいのか。現役時代、ゴールデングラブ賞を7度受賞した名遊撃手・井端弘和氏に訊いた。

坂本勇人、球界初「ショートで2000試合出場」のすごさを解説...の画像はこちら >>

遊撃手として史上初となる2000試合出場を果たした巨人・坂本勇人

【遊撃手の精神的疲労】

── これまで野手のなかで唯一、ショートだけで2000試合出場を達成した選手はいませんでした。それだけショートというのは過酷なポジションだというのがわかりますが、具体的にどういったところが大変なのでしょうか。

井端 ショートは内野のなかで、一塁に一番遠いポジションです。ほかのポジションは打球を前に落としさえすれば一塁アウトに間に合いますが、ショートはワンジャックルでもセーフになってしまいます。

そういう意味で、常に時間との争いを強いられますので、精神面で大変なポジションです。

 それに一塁手や三塁手と違って、角度的にバットに当たる瞬間が見えるので、インパクトに合わせてスタートを切る"シャッフル"という動作が必要になってきます。それを毎試合、全球やらなければいけないので、当然、疲労は蓄積します。

── 体力的にはいかがですか。

井端 体力的にはほかのポジションとそれほど変わらないと思います。ただ動く範囲が広いため、目一杯動かなくてはなりません。

そのため打球を追う脚力や肩の強さなどが求められます。二塁手も角度的にバットに当たる瞬間は見えますが、一塁まで近い分、"受け気味"に守れます。ショートは一塁まで距離がある分、常に攻めながら、しかも確実に捕球してアウトにしなければいけません。

── 今までショートとして2000試合出場の選手がいなかったのは、どんな理由が考えられますか。

井端 先ほど述べたような理由で、年齢に伴ってほかのポジションにコンバートされる遊撃手は多くいます。ただ、どのポジションであっても2000試合出場が難しいなか、坂本選手は遊撃手としてずっと試合に出続けています。

ショートというポジションだけで2000試合出場に到達したのは称賛に値します。

── 坂本選手はこれまでゴールデングラブ賞を5度受賞していますが、遊撃手としての特徴はどういう点が挙げられますか。

井端 坂本選手は「打球への入り方」「捕球」「フットワーク」「スローイング」など、ほかの遊撃手と比べて滑らかな動きが特徴だと思います。これはリラックスして守れている証拠だと思いますが、捕球から送球までの一連の作業がじつにスムーズですよね。

── ショートといえば、二遊間や三遊間の打球が見せ場です。坂本選手の打球のさばき方はいかがですか。

井端 二遊間のゴロのさばき方は、若い頃からうまかったですね。私は2014年に中日から巨人に移籍し、2016年から巨人の内野守備コーチを務め、坂本選手と接しました。その頃、よく言っていたのが三遊間の打球に対してです。右足から左足、そして右足と順に足を運び、切り返して一塁送球するようアドバイスを送りました。今では二遊間の動きも三遊間の動きも遜色ないですね。

【最後までショートにこだわってほしい】

── 坂本選手のバッティングについてはどうですか。

長いプロ野球の歴史のなかで、遊撃手が打撃3部門(首位打者、本塁打王、打点王)のタイトルを獲得したのはごくわずかしかいません。そのなかで坂本選手は2016年に首位打者に輝きました。

井端 打撃に関しては、いまさら言うこともないほどの実績を残しています。坂本選手は首位打者のタイトルを獲得しているだけでなく、右打者として史上最年少の31歳10カ月での通算2000安打を達成し、2019年にはシーズン40本塁打を記録。よく坂本選手は「内角打ちがうまい」と言われますが、そういうレベルを超越しています。これだけの結果を残しているのですから、内角打ちだけでなく、外角も変化球への対応もすばらしいです。

球史に残る偉大なバッターです。

── 井端さんは2009年に34歳でゴールデンクラブ賞を受賞したあと、37歳となった2012年にも同賞を受賞されています。

井端 若いからとか、ベテランになったからということではなく、"無駄を省く"のがいいと思います。打撃ではみんなやるのですが、守備でも同じようにシンプルに打球に対して最短距離で入る。坂本選手には引退するまで、ずっとショートのポジションにこだわってほしいと思います。

井端弘和(いばた・ひろかず)/1975年生まれ。堀越高から亜細亜大を経て、98年ドラフト5位で中日に入団。遊撃手として、二塁手の荒木雅博との「アライバコンビ」で中日黄金期を支えた。14年に巨人に移籍し、15年限りで現役を引退。16年から18年まで巨人一軍内野守備走塁コーチを務める。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞7度。22年1月に侍ジャパンU−12の代表監督に就任した