オリックス・山下舜平大インタビュー(前編)

 この投手は間違いなく、2026年開催のWBC日本代表の有力候補になるだろう。オリックス・バファローズの右腕・山下舜平大(しゅんぺいた)。

高卒3年目となった2023年はプロ初登板で開幕投手を務める規格外のデビューを飾り、16登板で9勝3敗、防御率1.61とインパクト十分の成績を残した。シーズン終盤は腰痛を発症して離脱したものの、パ・リーグ新人王を受賞している。

 身長190センチの長身から常時150キロ台中盤のストレートを叩きおろし、変化球は縦に大きく変化するカーブとフォークの2種類だけ。それなのに、山下のボールには「わかっていても打てない」と思わせるだけの圧力がある。

 よく知られた話だが、福岡大大濠高時代の山下はストレートとカーブの2球種のみで勝負していた。高校生であっても多彩な球種を操る投手が多い現代野球で、山下の存在は異質だった。

だが、将来を見据えて少ない球種に絞って技術を磨いてきた成果が、今になって表われたという見方もできる。

 2023年秋の高校野球を取材していて、「山下さんはカーブしか投げなかったと聞いたので」と球種を絞る投手に複数人出会った。山下の存在は早くも野球界に影響力を持ち始めている。驚異の21歳の思考を探るべく、シーズンオフを迎えた山下舜平大に話を聞いた。

新人王のオリックス・山下舜平大が「あ、これだな」と思った瞬間...の画像はこちら >>

甲子園よりもプロへの憧れ】

── 山下投手の存在が全国区になったのは、高校3年の夏に甲子園球場で開催されたプロ志望高校生合同練習会で最速150キロをマークした時だと思います。ただ、あの練習会はコロナ禍でアピールの場を失われた選手の救済が目的で、すでにドラフト上位候補と目されていた山下投手が参加したこと自体に驚きました。「甲子園のマウンド」にも、それほど執着があったわけではないそうですね?

山下 あぁ、それは全然、別に......(笑)。

甲子園の大会に出たい気持ちはありましたけど、憧れはそれほどなかったですね。あの練習会に行ったのは、アピールできるチャンスがあるなら行きたいなと思ったからです。自分自身、「(練習会に)行くまでもない」と言えるほどの選手じゃないと思っていました。

── 当時の優先順位は「甲子園」より「プロ」だった?

山下 それしかなかったです。もうひとつ(東日本開催)の会場は東京ドームでしたけど、そっちでもよかったです。たとえ地方の球場だろうと行っていました。

── 高校時代をストレートとカーブの2球種で通したのは、八木啓伸監督の方針だったと報じられてきました。これは事実でしょうか?

山下 そうですね......。よく覚えてなくて、監督と答え合わせしなくちゃいけないんですけど(笑)。高校1年秋にストレートがダメで、変化球を結構打たれた練習試合があったんです。その時にキャッチャーと一緒に監督に呼ばれて、「何を打たれたんだ?」と聞かれて「スライダーです」「チェンジアップです」みたいに答えたら、「もう(変化球を投げるのを)やめてしまえ。打たれてもいいから真っすぐいけよ」と言われて。

最初は「怒られ」から始まった気がします。仮にあの試合で抑えていたら、どうなっていたのか......(笑)。

── 「結果オーライ」だった?

山下 そうかもしれないです。

── でも、山下投手に「大きなピッチャーに育ってもらいたい」という願いがあったのでは?

山下 自分は変化球を投げる投手が「小さい」とは思わないですが、監督のなかに「真っすぐで押せるパワーピッチャーになってほしい」という思いはあったと思います。それは自分も思っていたので。

── 結果的に、球種をカーブだけに絞ったからこそ今があるのでは?

山下 スライダーとチェンジアップを投げていてもよくなっていたとは思うんですけど、「カーブだけにした」のはよかったと思います。

── カーブがポイントだった理由は何ですか?

山下 カーブって難しくて、投げたいと思っても投げられない人も多いので。最近になって「カーブに時間を使ってよかったな」と思うようになりました。これがストレートとスライダーだけに絞っていたら、全然違うタイプになっていたと思います。

【高校時代は9割がストレート】

── カーブは小さい頃から投げていたのですか?

山下 中学生になって変化球が解禁されてからです。はじめは「縦スラ」と言っていたような気がします。中3くらいからカーブになっていました。

── 速くて落ちる、まさに「パワーカーブ」と言えるボールです。

あの軌道も中学生の頃から?

山下 いえ、もともとは緩い、抜くカーブもあったんです。でも、今の形が一番投げている感じがするというか。カウントもとりやすいので。

── 「投げている感じがする」というのは面白い表現ですね。

山下 人それぞれですけどね。宮城(大弥)さんやサチさん(山崎福也/日本ハム)のカーブって、「ポンッ」て抜くじゃないですか。自分の場合は下に「ブルッ」という感じ。縦スラみたいに投げるほうが指にもかかりますし。

── 抜くカーブのほうがストライクは入りやすいイメージもあります。

山下 あくまでも自分のイメージですけど、抜くと一度高い位置にいってからストライクゾーンに入れないといけないじゃないですか。自分のカーブはリリースした位置からストライクゾーンに入れる感覚なので。映像を見ると、実際にはリリースしてからボールは少し上にいくんですけど。

── 意識のうえでは指にかけて、落としていると。

山下 縦スラですね。

── 実際の軌道を見たらカーブですけどね。

山下 そうですね。投げている感覚は縦スラですけど、実際に投げているのはカーブ。あれくらい抜けていていいと思います。

── 高校時代は「ここでスライダーが投げられたらラクなのに」と思うことはなかったですか?

山下 そうですね。カーブも全然完成してなかったですし、ストライクを入れるのが難しいので......。「(スライダーを)投げようかな」と思う日もありましたね(笑)。

── 実際に投げることはなかった?

山下 ないです。というか、ほぼストレートでしたから。9割方ストレートです。

── カーブはカウント球と勝負球で使い分けていましたか?

山下 いや、そんな余裕はなかったですね。ストライクがとれればそれでいいなと。基本的に高校生でカーブを張ってくる人はいないので。

【ショートアーム変更後に自己最速更新】

── ストレートに関しては、マウンドの傾斜を生かして角度をつけて投げるイメージがあります。

山下 角度はあまり意識していないですね。伸びるような真っすぐをイメージしていますけど、映像で見ると角度が結構ついていますよね。

── 右腕が高いアングルから出てきますが、それは無意識?

山下 そうですね。真上から叩くイメージもないです。

── 投げる感覚は小さい頃からあまり大きくは変わっていないですか?

山下 いえ、2022年に変えました。

── 右腕のテイクバックがコンパクトになりましたよね?

山下 中学生の頃から、投げていて「合わないな」という感覚があって。「右腕を(リリースに)間に合わせよう」と思って、体全体がズレている感じでした。右腕に何も意識が向かなくなれば、下半身とか別のところにフォーカスできると思ったので、シンプルにというか、コンパクトにしました。

── 「合わない」というのは、リリースの瞬間のタイミングがズレるという意味でしょうか?

山下 そうですね。リリースのタイミングであったり、フォーム全体のバランスが合わなかったり。

── それを中学生の段階で感じていたんですか?

山下 みんなそうだと思っていたんですけど......。でも、自分の場合は合わないと全然投げられなかったんですよ。それは直さないと無理だと思って、今の形に至りました。

── いわゆる「ショートアーム」と呼ばれるテイクバックにして、すぐにバチッとはまったのですか?

山下 ゴロ捕球のメニューをよくやっていて、内野手みたいに右腕をコンパクトにして投げていると、いつも「ボールがいくな」「投げやすいな」という感覚がありました。2年目(2022年)に、育成コーチの平井(正史)さんに「そのほうがいいんじゃないか?」と言われて。腰を痛めて投げられなかった時期に、ずっと平井さんとマンツーマンで基礎練習をしていたんです。そこでテイクバックを変えて復帰したら、いきなり自己最速(155キロ)が出て。「あ、これだな」と思いました。

── テイクバックを変えても、カーブは違和感なく投げられたのですか?

山下 カーブに限らず、結局ズレたら投げられないので。ショートアームにしたことで全部まとめて改善された感じでした。回転数も3000以上出るようになりました。

後編につづく>>

山下舜平大(やました・しゅんぺいた)/2002年7月16日、福岡県生まれ。小学3年で野球を始め、三宅中では軟式野球部に所属し、福岡選抜入り。福岡大大濠高では1年秋からベンチ入りし、2年夏はエースとして県ベスト8入り。20年ドラフト1位でオリックスに入団。プロ3年目の23年、開幕投手で一軍デビューを果たし、9勝3敗、防御率1.61の成績を残し、パ・リーグ新人王に輝いた