1月2、3両日で開かれた箱根駅伝で2年連続出場を果たした立教大は健闘を見せた。昨年10月の予選会直前に、上野裕一郎・前監督が不祥事で解任され、逆境のなかで挑んだ大会。

部員一丸の「成長の軌跡」を立大体育会機関紙「立教スポーツ」の熊谷光洋・編集長(経済学部3年)がつづる。

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【シード権は手の届くところにある】

 立大は目標にしていた「シード権獲得(10位以内)」には届かなかったものの、結果は前回の18位から4つ順位を上げ、14位。確かな成長を実感させた。

 江戸紫のタスキをつなぐべくまず走り出したのは、2年連続で1区を任された林虎大朗(3年)だ。中盤までは第2集団に食らいつくも徐々に離され、トップから約2分後に18位で鶴見中継所へ到着した。

 続く「花の2区」を託されたのは國安広人(2年)。各校のエース相手に粘りきれず、21位まで順位を落としてしまう。

このままでは終われない立大は、3区の馬場賢人(2年)が区間8位となる意地の走り。懸命なラストスパートで中央学院大を交わし、順位を2つ上げた。そこから波に乗った立大は17位まで浮上し、初日(往路)を終えた。

 迎えた復路。山下りの6区を担ったのは1年生の原田颯大だった。「落ち着いて自分の走りができた」と、初の大舞台で堂々の走りを見せ、15位でタスキをつないだ。
その後は初出場の8区・稲塚大祐(3年)の健闘、アンカー・関口絢太(4年)の区間3位の好走もあり、順位をひとつ上げた。昨年からタイムを7分以上縮め、総合14位で大手町へとたどり着いた。

 試合後、林英明コーチは「目標達成とはならなかったが、この結果を誇りに思ってほしい」と選手を労(いたわ)るとともに、「シード権は手の届くところにあるので、来年は必ず目標を達成したい」と飛躍を誓った。

【山下りで真価を見せた若武者】

 立大躍進の立役者となったのは、箱根駅伝初出場を果たした原田。1年生ながら、負担が大きい山下りを任された。昨年10月の予選会ではエントリーメンバーに選ばれるも、出走することは叶わなかった。「悔しさを箱根でぶつける」。

そんな思いで臨んだ。

 6区に照準を合わせていた原田は、強みである山下りのさらなる強化を図った。ポイント練習でも泥臭く走り込む。ふだんのトレーニングから妥協を許さず追い込む姿が、周囲の信頼を勝ちとっていった。

 序盤4キロ地点の上りでは15位にとどまるが、「山下りの能力は傑出している」と林コーチが評するように、原田の真価はここからだった。下りに入ると徐々にペースアップ。
初出場とは思えない落ち着いた走りで、ライバルたちを次々に抜き去った。

 速度が落ちやすいラスト3キロも粘りきり、区間11位となる好走。己の実力を大舞台で証明して見せた。「来年は区間ひと桁を狙いたい」と意気込む若武者の瞳には、確かな決意が宿っていた。

【病の淵から舞い戻った絶対的エース】

 そして、躍進のカギを握ったもうひとりは、区間3位と圧巻の走りを披露した関口だ。2022年のMARCH対抗戦では1万メートルで立大記録を樹立。さらに昨年10月の予選会では日本人選手4位となる好成績を収め、本選出場へ大きく貢献した。



 名実ともに立大の柱として、その活躍に期待がかかっていた。しかし、昨年11月初旬、肺に穴が空く気胸のアクシデントが関口を襲う。約1カ月の安静を余儀なくされ、本選出場へ黄信号が灯った。

 本番まで2カ月を切るなかでのエースの離脱。チームには重い空気が立ち込める。しかし、関口は己を信じ、前を向いていた。
いつも支えてくれた仲間や家族のため、応援してくれる人々のため、そして学生最後のレースとなる自らのため......。強い箱根路への思いが彼を再び立ち上がらせた。

「とにかく箱根に出られると信じて、今できることをやるしかない」。ジョギングからトレーニングを再開し、チームが本番に向け沖縄で合宿を行なうなか、自分にできることを模索した。その後は、ロングジョグなどの距離を重ねるペース練習に戻し、徐々に感覚を取り戻していくと、12月の下旬にはチーム練習に合流した。

 そして迎えた本選当日。病を乗り越えた立大の絶対的エースは、箱根路に舞い戻った。

「自分に関わってくれたすべての人に感謝して、恩返しをしたい思いでスタートラインに立った」

 序盤から自分のペースを乱すことなく守り抜き、大手町へタスキをつないだ関口。区間3位以内の記録は、立大にとって約半世紀ぶりとなる快挙だった。逆境に負けずにつかんだ学生最後となる本選出場。病に屈せず努力を重ねた彼の勇姿は、多くの人々に感動を与えたに違いない。

【成長の背景に高い自主性】

 今季、着実な成長を遂げた立大。それを支えているのは各選手の高い自主性だ。予選会直前に、指導者を失って以降、彼らには自分で考えて動くことが否応にも求められた。

 解任された前監督のあとを受けた原田昭夫総監督(1月4日付で辞任)は、現役時代は棒高跳びの選手であり、駅伝は専門外。林コーチも大学職員と並行して指導者の立場にあるため、選手につきっきりの指導は難しかった。

 そのため前年の練習を踏まえ、宮澤徹主将(4年)を中心に選手たちがメニューの考案を行なった。結果、学生同士でのコミュニケーションをとる機会が増え、おのおのが自主性をもって練習に取り組むようになった。育んだ自主性は確固たる自信につながり、チームを新たなステージへ押し上げる重要なピースとなった。

 1年生の原田から4年生の関口まで、個人が高い主体性を持っていたからこそ、総合14位を成し遂げられた。

 指導者が不在のなかでも時計の針は進んでいく。今後も選手たち自身で助け合い、困難に打ち勝っていくことが、さらなる成長へのカギとなるだろう。来年こそは大会史上最長ブランクとなる63年ぶりのシード権獲得へ。古豪復活の日は近い。

箱根駅伝で前監督解任を乗り越え立教大はどうチームを立て直したのか 区間3位の快挙もあった奮闘ぶりを学生記者がつづる
左から原田昭夫総監督(当時)、水取一樹主務、山本羅生選手、宮澤徹主将、林英明コーチ