2月25日、国立競技場。2024年シーズンのJ1開幕戦、東京ヴェルディが横浜F・マリノスを迎えた一戦は、濃厚にノスタルジーを孕んでいた。

1993年5月に行なわれた「Jリーグ開幕戦」と同じカード。場所も同じ国立競技場(東京五輪で新たに建築されたものだが)だった。気温3度と冷え込んだにもかかわらず、過去を懐かしむような熱さも伴って、53026人もの大観衆を集めていた。

 キックオフを前に、ゴール裏のモニターには31年前のJリーグ開幕戦のセレモニーの風景が映し出される。当時、Jリーグ初代チェアマンを務めた川淵三郎氏が、「大きな夢の実現に向かって......」と、エネルギッシュなぎらぎらとした風貌で力強く開会宣言をしていた。その映像が、現在のピッチサイドに立つ川淵氏に切り替わって映し出されると、どよめきが起こる。

"相応の時の流れ"がそこにはあった。

 マイクに向かって話し始めた川淵氏が少しむせたようになってしまい、場内に失笑が起こりかけた。しかし、それが感極まった嗚咽だったことが伝わると、一転して盛大な拍手が生まれる。一瞬で、そこにたゆたう年月が伝播した。初代チェアマンは笑みを浮かべ、16年ぶりにJ1に戻ってきたヴェルディにエールを送った。

 31年前、Jリーグが誕生したからこそ、日本サッカーの可能性は大きく広がった。

1998年フランスW杯で、日本代表がワールドカップに出場できるようになったのは、まさにJリーグが生んだ活気のおかげと言える。巨大なエネルギーは中田英寿中村俊輔松田直樹のようなスター選手を生み出した。その波動はユース年代にも広がり、小野伸二稲本潤一、高原直泰、遠藤保仁に代表される黄金世代も輩出。2002年日韓W杯では、ボルテージが最高潮に達した。

 その後もJリーグは長谷部誠大久保嘉人本田圭佑香川真司岡崎慎司など個性的な選手を生み、彼らは海を越えて華々しい活躍を見せ、世界に誇るリーグになっていった。

 今や80人前後の元Jリーガーが欧州でプレーし、その人数はこれからも多くなる気配がある。

過去にJリーグから羽ばたいた欧州組たちが橋頭堡(きょうとうほ)を築き、Jリーグとの道がつながった。三笘薫(ブライトン)、久保建英(レアル・ソシエダ)、鎌田大地(ラツィオ)、冨安健洋(アーセナル)、遠藤航(リバプール)らはいずれも、Jリーグでの経験を糧にヨーロッパでジャンプアップしたのだ。

【互角以上の戦いを見せていた東京V】

「もし、Jリーグが生まれていなかったら?」

 その答えはゾッとするほど暗いものになる。Jリーグは、明るい希望を日本サッカーに与え続けてきた。その点、この日の試合は記念すべきものだったわけだが......。

東京ヴェルディVS横浜F・マリノス、Jリーグ開幕戦に見た31...の画像はこちら >>
 東京Vは昇格チームながら、一昨シーズンのJリーグ王者である横浜FMを相手に互角に戦っている。
前半7分、ゴール右から山田楓喜が左足でニア上を打ち抜き、先制に成功。山田は体を弾ませ歓喜、横浜FMのサポーターを沈黙させるゴールだった。リードした後も多くのチャンスを作り出し、戦術的にも、技術的にも、ほとんど圧倒していた。

 ところが追加点をあげられず、後半に入って総力戦に疲弊すると、アディショナルタイムを含めて残り5分で屈辱の逆転負けを喫した。試合後の記者会見で、城福浩監督は憤懣やるかたなしという表情を浮かべていた。湧きあがる悔しさを持て余しているようだった。

「『(負けたが)内容は悪くなかった』、ではまとめたくないです。『よくやった』と言ってもらうために、自分たちはやっているわけではないので。ヴェルディサポと悔しさを共有し......記念試合がどうとかではない」

 質問した記者は、ノスタルジックな答えを引き出したかったのかもしれないが、戦う者たちにとっては「今」がすべてなのだろう。ミックスゾーンでも、選手たちは当然のように、当日の試合にフォーカスしていた。過去ではなく、「今」を積み重ねることによってしか、彼らの明日もない。そもそも、93年のJリーグ開幕戦の前に生まれていた選手は、数えるほどしかいないのだ。

 歓喜の勝利に沸く横浜FMのハリー・キューウェル監督は、終了間際の逆転勝利に顔を綻ばせていた。

「練習から、『シンプルに前方向を目指す』というのを選手には伝えてきました。諦めない姿勢のおかげで、結果がついてきたと思っています」

 そのとおり、試合終盤は力技で押し切った。地力の強さは証明したと言えるだろう。決勝点を入れた松原健がサポーターの待つゴール裏へ走って、控え選手もそれを追いかけ、もみくちゃになりながら祝う様子には万感迫るものがあった。奇しくも、31年前と同スコアである1-2の逆転勝利だ。

 もっとも、横浜FMが覇権奪回を目指すには、試合内容は課題のほうが多かった。ふたりのセンターバックの配球が明らかに狙われ、何度も危ない場面になっている。前半は敵陣に押し込めず、攻撃をノッキングさせていた。中盤の編成もうまくいっていなかったし、結局パワーゲームに頼ってしまうのは、昨シーズン後半の失速の余韻をひきずっていた。

 横浜FMの"生え抜き選手"でもある水沼宏太は、かつて父である水沼貴史氏がプレーした同じカードの開幕戦のピッチに立てた喜びをかみしめながらも、"今日の試合を次にどう改善するか"しか考えていなかった。

「今日はどうした?」

 テレビ解説で来ていた父にもそう声をかけられたと言うが、親子の会話はやはり「今」だった。ノスタルジーに浸っていたら、明日はない。過去も「今」の積み重ねなのだ。

 2024年もJリーグが開幕した。