清武弘嗣インタビュー(セレッソ大阪)前編

 2010年に大分トリニータからセレッソ大阪に加入した清武弘嗣は、ここで大きく成長し、ヨーロッパへと旅立った。

 2017年に日本復帰を決めた際にも、選んだのはこのチームだった。

今年で在籍11年目を迎える稀代のアタッカーは、もはやセレッソの象徴と言える存在だ。

 しかし、昨季は開幕直前に大怪我を負い、夏に一度は復帰を果たすも、再び離脱。シーズンのほとんどを棒に振ってしまった。

 一度は引退も考えたという清武が苦難の1年を振り返り、復活にかける新シーズンへの想いを語った。

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セレッソ清武弘嗣「このまま続けていくのは厳しいかな」引退も考...の画像はこちら >>
── 現在(取材日=2月15日)のコンディションはいかがですか。

「徐々に上げていっている感じですかね。

去年は大きなケガをしましたが、最後の2試合で復帰できましたし、手術してから半年は経っているので、足の状態はよくなっています。ただ、手術したことの影響もあるので、完璧ではないですね。時間が解決してくれるとは思うんですけど」

── 昨年は開幕1週間前に「左ハムストリング筋損傷」という大ケガを負いました。その時はどういう心境だったのでしょう?

「開幕直前の練習試合でケガをしたんですけど、やった瞬間は『これはけっこうひどいな』っていう感じでしたね。さすがにショックでしたよ。これは相当時間がかかるなと思ったので、気持ちを切り替えるのに必死でした」

── それまでにも何度かケガはあったと思うのですが、それと比べてもダメージは大きかったですか。

「大きかったですね。普通の筋肉だったらよかったんですけど、腱だったので、どれくらいかかるんだろうと。一度やったことはあったんですが、その時は3カ月くらいかかったので。それで今回は2月にケガをして、完全に治りきらないまま、7月の天皇杯で復帰して......」

── 焦りの気持ちがあったから、完全に治っていないのに復帰したという感じですか?

「いや、リハビリをしながら徐々に上げていくなかで、痛みが出たら、落とすということを繰り返していたんですね。それである一定のところまで上げられるようにはなったんですけど、完全には上げられなかった。

 でも、ケガをしてから5カ月くらい経ったし、もう治っていてもおかしくないなと。

もどかしい時間を過ごすなかで、待っているだけでもダメだなと思って試合に出たんですが、ちょっと無理したところはあったと思います」

── 再びケガをしてしまった時は、どういった心境でしたか。

「天皇杯では普通にやれたんですよ。でも、その2日後の練習でスプリントした瞬間に、バチっていって。うわ、やっぱ無理だったかと。あの時は相当、ヘコみましたよ。でも、もう一度やったら手術という話はしていたので、そこはもう割りきりましたね」

── 2度目のケガの時は「引退」の二文字が頭をよぎったそうですが。

「さすがにあの時は考えました。年齢も34歳だし、オペをしたら確実に半年はかかる。最初のケガの時から考えると、実質1年はプレーできないことになるわけで、このまま続けていくのは厳しいかなと。それに、メスを入れたら自分の足の状態がどこまで戻るかわからない、という不安もありましたからね」

── 結果的に「引退」の決断に至らなかったのは、何があったからですか?

「家族とも話したし、父親とも話しました。実際に引退して何をするかっていうところまで考えましたね。 でも一番は、もう1回プレーしたいっていう気持ちが強かったから。

 息子たちが僕のプレーする姿を楽しみにしているなかで、このまま復帰せずに辞めてしまうのはどうなんだろうって。子どもたちにもう1回、サッカーをしている姿を見てもらいたいという想いが一番大きかったです」

── リハビリ中はその想いが支えになっていたわけですね。

「そうですね。もちろん、たくさんのサポーターの方たちの励ましの声もありましたし、チームメイトが僕のユニフォームを着て入場してくれたこともすごくうれしかった。本当にたくさんの方の支えがあったからこそ、踏ん張ることができたと思います」

── シーズンの最後に復帰できた時は、どんな想いがこみ上げてきましたか?

「予定よりも早かったんですよね。本当はシーズン中の復帰は難しかったんですけど、リハビリが本当に順調すぎて、行けるという状況になったんで、チャレンジしてみようと。

 正直に言えば、無理するところではなかったんです。だけど、自分のなかでシーズン中に復帰したかったし、そこを目指してやってきたので、出られるのであれば出たかった。ピッチに立った瞬間はうれしかったし、久しぶりの試合は、本当に楽しかったですよ」

── 「またケガをしてしまうんじゃないか」という怖さはなかったですか?

「それはなかったです。信頼するドクターの方に手術してもらいましたし、リハビリもいろんな人とコミュニケーションを取りながらできたので、そこはまったく心配はなかったですね」

── 今年は完全復活を目指すシーズンだと思います。ケガ明けであるということもそうですし、34歳という年齢的な部分も含めて調整方法や準備の仕方で、若い頃と比べて何か変わってきたことはありますか。

「準備はもう、欠かすことはできないですね。ある程度、刺激を入れてやらないと、手術の影響で力が抜けたりすることもあるので。練習前の準備、練習後のトレーニングは欠かすことができないですね」

── 若い頃はやってこなかったようなこともやっている?

「基本的に若い頃もけっこうやっていたんですけど、今は下半身中心に変えましたね。ストレッチもそうだし、筋トレもそう。下半身を中心にやっています。あとは、ちょっとやりすぎてしまう傾向があるので、ある程度のところで止める、ということも心がけています」

── ある選手が「歳を重ねるなかで、年々キャンプがきつくなる」と言っていました。そこは感じますか。

「つらいっすよ(笑)。でも、そこで手を抜くようになったら、もう引退だなと思っています。妥協するようになったら終わりかなって。

 今年もキャンプはかなりきつかったんですけど、やらなければいけないことですから。きついからって緩めてしまったら、そこで止まってしまうし、もう自分のサッカー人生は終わりだなって思うんですよね」

── 現代サッカーではインテンシティが重視されるようになっていますし、Jリーグでもそういうチームが増えています。より強度が求められるなかで、今まで以上にフィジカル的な負担が増えているのかなと思いますが。

「セレッソもチームが求めていることが強度だったり、インテンシティっていうところなので、そこはもう当然のように持っていないといけない。それができたうえで、違いを見せないといけないっていうのは自分のなかではすごくあるんですけど、1年のブランクがあるなかで、その強度についていくのに今は必死ですね。

 自分の役割はやっぱりゴールだったり、アシストすることだと思っていて。でも、今はチームが守備に重心を置いているので、戦術上、前に出られないということもある。守備のところは絶対に欠かせないんですけど、そのうえで自分の特長を出していかないといけないので、そこはこれからしっかりやっていく必要があると理解しています」

── 実際に強度が重視される今のサッカーに対して、選手としてはどのような想いがありますか。

「Jリーグでも似たようなチームが増えてきましたよね。個性的なチームが少なくなっているというのは、個人的には感じています。

 もちろん、世界的に見ても強度が高くて、縦に速いサッカーっていうのが主流になってきているなかで、そこに対応しなければいけないっていうのはあります。だけど、ちょっと前のサッカーのように、意図を持ってボールをつなぎながら、アイデアやテクニックを駆使して相手を攻略していくというサッカーのほうが楽しかったなとは思います」

(後編につづく)

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【profile】
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分トリニータのアカデミー出身で2008年にトップチームに昇格。2010年に大分のJ2降格・財政難に伴いセレッソ大阪へ移籍し、その後レギュラーの座を掴む。2012年から欧州に舞台を移し、ニュルンベルク(2012~2014)→ハノーファー(2014~2016)→セビージャ(2016~2017)でプレー。2017年より古巣のC大阪に所属する。日本代表43試合5得点。ポジション=MF。身長172cm、体重66kg。