「PLAYBACK WBC」Memories of Glory

 昨年3月、第5回WBCで栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、大谷翔平ダルビッシュ有、山本由伸らの活躍もあり、1次ラウンド初戦の中国戦から決勝のアメリカ戦まで負けなしの全勝で3大会ぶり3度目の世界一を果たした。日本を熱狂と感動の渦に巻き込んだWBC制覇から1年、選手たちはまもなく始まるシーズンに向けて調整を行なっているが、スポルティーバでは昨年WBC期間中に配信された侍ジャパンの記事を再公開。

あらためて侍ジャパン栄光の軌跡を振り返りたい。 ※記事内容は配信当時のものになります

短期連載:証言で綴る侍ジャパン世界一達成秘話(9)

 第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、2009年以来14年ぶり3度目の優勝を果たした。準決勝では村上宗隆のサヨナラ安打で劇的な勝利を挙げたが、そのシーンにはさまざまなドラマがあった。侍ジャパンの内野守備・走塁兼作戦コーチとして栗山監督を支えた城石憲之コーチが振り返る。

WBC準決勝の舞台裏を城石憲之が振り返る「ロマンが結果につな...の画像はこちら >>

【自信満々に「ハイ」と言えなかった】

 1点ビハインドの準決勝、9回裏ノーアウト一、ニ塁で、もしムネ(村上宗隆)に代打を送るとしたら、それは簡単な決断ではなかったと思いますが、作戦としてはバントをさせて形をつくるというのが、僕のような凡人の発想です(笑)。

 だって日本で培ってきた野球の歴史を考えたら、点が入らなくてもバントしてランナーを先に進める形をつくりましょう、最善を尽くしてダメだったらしょうがない、という発想になりがちですからね。

 もし打たせてゲッツーで点が入らなかったら叩かれますし、ここで打たせるかどうかというところは、監督のロマンに関わってくるんです。

シビアに考えてムネを代えてマッキー(牧原大成)にバントさせるか、ムネに打たせてロマンを追うか......そのロマンがちゃんと結果につながっちゃうところが、栗山監督のすごいところです。

 えっ、マッキー、バントが苦手だって言ってるんですか。僕にはうまそうに見えていたんだけどなぁ(笑)。だから代打でバントならマッキーしかいないと思って準備をするよう伝えたら、たしかに彼は「無理です、ヤバいです」って不安そうでした。

 とにかく安心させなきゃと思って「ピッチャーは外国人だから牽制はうまくないし、セカンドランナーも足が速い大谷だからゴロさえ転がせば成功するよ」なんて、さしたる根拠のない励ましをしていましたね。たぶん、マッキーの耳には入っていなかったと思います。

 だから栗山監督に「牧原、大丈夫だよね」と聞かれて、自信満々「ハイ」と言えなかったのかもしれません。「......ハイ」って、返事をするまでに一瞬の間があったらしくて、その不安を監督に見抜かれていたようです。監督が「ムネに任せる」と言ったのはその直後でした。監督ってすごいですよね、あんなに緊迫した場面だったのに、僕の返事ひとつで瞬時に判断して......まぁ、僕の演技が下手だったから悪いんですけどね(笑)。

 すぐにマッキーのところへ行って「ムネで行くから」と伝えたら、「そうそう、城石さん、そのほうがいいですよ」って......本当は、何としても(バントを)決めてやるという気持ちになってほしいところですが、そりゃ、酷な話です。

 その前にあの源ちゃん(源田壮亮)が一発で(バントを)決められなくて、ガチガチになりながら3球目でやっと決めた姿も見ていたはずですから、あんな場面で「僕がバントしてきます」なんて喜んで出て行く選手がいたとしたら、そのほうが信用できない(笑)。

 (吉田)正尚のカウントがスリーボールになったところで、監督が「ムネのところへ行って、おまえに任せたって伝えてきて」と言うんです。えっ、オレが? ムネに? ここで行くの? と思いました。

【栗山監督は子どもみたいな顔をしていた】

 バッターって、コーチがネクスト(バッターズサークル)に来ると「何だろう」って思うんですよ。ムネが絶好調なら背中をちょっと押すくらいの感じでいいんですが、調子がよくなかったので、僕が行ったら絶対に構えちゃうと思いました。だって、代打を送るわけじゃないんだから、そのまま気持ちよく送り出せばいいじゃないですか。

 そもそも僕はムネがまさかネクストで「バントなのか、代打を出されるのか」なんて気持ちになっているとは思ってもいませんでしたからね。

でも監督は、ムネが不安を抱えていると思っていて、だからその不安を僕にかき消してもらおうと伝言を託したんです。そういう観察力とか、僕を行かせるかどうかの判断力とか、僕を送り出すタイミングとか、すべてが絶妙だったと思います。僕だったらあの時のムネに声をかけようとは思いませんからね。

 だからこそ、限られた時間のなかでどうやってムネにアプローチしようか、僕なりに考えました。僕が行くことによってマイナスになるようなことだけはしちゃいけないと、それだけを肝に銘じながら位置取りを考えて、ネクストのできるだけ近くで構えて正尚がフォアボールになった瞬間、スッとムネに近づきました。

 ムネは当然、何だろう、と不安そうな顔になります。

僕はすかさず「監督がムネに任せたと言ってるから」と言いました。そこは監督の言葉なので、僕がいじって伝えたらダメだと思って、シンプルにそのまま伝えたんです。で、続けて僕は「思い切っていけ」じゃなくて「思い切っていってこい」と言いました。

 その意図は......何だったんですかね(笑)。よくわからないんですが、いつもなら僕は「思い切っていけ」と言うんです。でも、あの時はその言葉が出なかった。

「思い切っていってこい」と......じつは監督の言葉を伝えた直後、ムネがピッチャーのほうを見たんですよ。だから、ムネの背中を叩いて送り出す形になったので、自然に「いってこい」という言葉が出たのかな。

 世界一になった瞬間、監督、子どもみたいな顔をしていましたね。宮崎合宿の時、監督が「決勝で"あるピッチャー"がガッツポーズをしている絵が浮かぶんだよね」と話してくれたことがありました。いやいや、"あるピッチャー"って、監督なら翔平しかいないじゃん、と思いました(笑)。

 でも翔平が決勝で投げて、勝った瞬間にマウンドでガッツポーズしてるってことは、先発して完投するか、クローザーじゃないですか。どっちもあまりに現実的じゃなくて、これまた凡人は、そんなわけないと思ってしまいますよね。僕も「それ、誰ですか」なんて野暮なことは監督には訊きませんでしたが、終わってみれば監督の夢が現実になったわけで、それはこれまでにたくさんの徳を積んできた監督だからこそ、正夢になったんだと思います。