B-BOY ISSIN がパリ五輪予選に向け「すべてをダンス...の画像はこちら >>
 パリ五輪で初めて採用されることになった、ブレイキン。世界各国の若者たちの間で人気のダンスだが、本大会に出場できる選手は男女各16名と狭き門だ。
そんななかでも強豪国の一角と目されているのが日本。 すでにShigekix(シゲキックス)が代表に内定し、さらに出場選手が表われる可能性がある。その筆頭がISSIN(イッシン)だ。弱冠18歳のISSINにパリ五輪にかける思いを聞いた。

【ふだんの自分を表現する】

――先日、地元岡山の高校を卒業したばかりです。今はどのような生活を送っているのでしょうか。

  学校に行くことがなくなって、時間が自由に使える状態なんですが、いったん回復に意識を回してみようと思ってやってみました。

いっぱい食べて、めっちゃ練習して、帰ったらしっかり寝るみたいな生活を何回かやったんですけど、僕はいくらでも寝られるんで、それは時間の無駄すぎるなと(笑)。

 やることは、ストレッチをすること、整骨院に行くこと、フィジカルトレーニングをすること、ダンスの動画を見ること、自分のダンス動画を見て新しいことができないか想像すること、ダンスの練習をすることと、そんなにたくさん種類があるわけじゃないので、それをどう組み合わせていくか、今はまだ明確なスケジュールはないです。とりあえず明日はこういう予定でやっていこうと試してみて、一番いいスケジュールを探しているところですね。

――ブレイキンの選手は、オンオフ関係なく、ダンサーであることを意識して生活している人が多いように感じます。それはブレイキンがスタイルウォーズであり、技ができれば勝てるものではなく、個性やオリジナリティなどのそれぞれのスタイルに比重が置かれているからだと思います。ISSIN選手はふだんの生活ではどのような意識で生活していますか。

 ポリシー的なことをあまり考えたことはありませんが、自然体が結構大事かなと思いますね。僕のなかではふだんのISSINとB-BOY(ブレイクダンサーの男子)のISSINはあまり差がないように生活しています。学校にいるときの自分とダンスバトル会場にいる 自分はオンとオフで少し違うとは思いますけど、自分のダンススタイルを出すには、結局ふだんの自分を出さないとダメなので、リアルな自分のスタイルを出すように意識しています 。

【年齢問わず楽しめるブレイキン】

――そもそもISSIN選手がブレイキンと出会ったのはいつごろのことですか。

 8歳くらいの時です。姉がヒップホップ・ジャズダンスをやっていて、楽しそうだなと思って僕も行ってみました。すごく楽しくて、ほかのダンスもしてみたいなと思っていたら、父がブレイクダンスの教室に連れて行ってくれました。

人間離れしたダンスで、しかもカッコよくて、そこからどハマリした感じですね。

――そこには、ボディーカーニバルに入る前まで、ずっと通っていたんですか。

 中学生くらいまでは、その教室でレッスンを受けていました。ただ、練習場所がここだけということではなくて、いろんな場所を転々としていました。ワークショップに行ったりとか、有名なダンサーのところで練習したりとか、地元の先輩ダンサーに教えてもらったりとか、京都にあるボディーカーニバルの人たちにいろいろ教えてもらったりしていました。ボディーカーニバルに通い始めたのは、中学2年生くらいからですね。

――ボディーカーニバルにはどんな印象を持っていたんですか。

 ボディーカーニバル自体、すごくカッコいいと思っていました。(メンバーの)KAZUKI ROCKさんが中国地方の広島出身で、僕は岡山なので、同じ地方のつながりからコミュニケーションを取るようになりました。そこから教えてもらうようになったり、泊まりに行ったりもしていました。

――ブレイキンをやっているダンサーの人たちは、みなコミュニケーション能力が高い印象がありますが、それは感じますか。

 そうですね。

今はU-15がありますけど、もともとはキッズも大人も混ざってバトルしていて、練習も一緒にしていました。ダンスのいいところはどんなに年齢が離れていても戦うことができるところです。だから年齢を問わず、 みんなよくコミュニケーションを取ります。

 日本だけじゃなくて海外にもそんな仲間はいます。英語がしゃべれなくても、バトルが終わったらみんな仲間みたいになっている。それもダンスの魅力ですね。

B-BOY ISSIN がパリ五輪予選に向け「すべてをダンスに捧げる」覚悟 バトルで身につけた勝つための意識も明かす
得意のフリーズを見せるISSIN  photo by Gunki Hiroshi

【目指すは会場イチのムーブ】

――11歳にして、Battle Of The Year JapanのU-15で優勝しています。当時の記憶はありますか。

 この優勝はひとつのターニングポイントですね。父が「小学6年までに大きなタイトルを獲らなければ、ダンスを辞めさせる」と言っていて、今となっては本当かどうかわかりませんが、僕はそれを真に受けてすごく焦っていました。こんな楽しいダンスを辞めるわけにはいかないと。それまでは全然勝てなくて、同世代の子たちは海外にもバトルしに行っていたのを見て、うらやましいなと思っていました。

 それでどうやったらいいんだろうと考えて、人と違うこと、誰もやっていないことは何だろうと意識して練習したら、このタイトルを獲れました。そこからはダンスがさらに楽しくなったし、勝ち方もだんだんわかってきて、今があるという感じですね。

――そこから大きなタイトルをいくつも獲ってきました。主なところだと、2022年のRed Bull BC One World Finalでのセミファイナル進出、今年2月には全日本選手権でShigekix選手を破っての優勝があります。どの大会がISSIN選手の分岐点になっていますか。

 ここ最近で言うと、やっぱり2022年のRed Bull BC One World Finalですね。その前にあったジャパンサイファー(Red Bull BC One Cypher Japan 2022)では、優勝したいとは考えていなくて、とりあえずこの会場のなかで一番いいムーブができたらいいなと思っていました。そうしたら、気づいたら決勝まで行っていて、そのままの流れで優勝できたんです。

 そこから優勝を考えるんじゃなくて、いくつもムーブがあるなかで、どれかのワンムーブでぶちかましてやろうという気持ちで戦うようになって、Red Bull BC One World Finalでの結果につながりました。ここには僕のデビュー戦みたいな気持ちで行っていたんですが、それがすごくよかったですね。

 それ以降、海外の大会に呼んでもらえるようになりしましたし、意識としても、自分はもっと世界を目指すべきなんだ、自分は世界を狙ってもいいんだと思えるようになりました。それまでは動画に出てくる世界的なダンサーに憧れを抱いていましたが、それからは倒したいと思うようになりましたね。

【すべてをダンスに捧げる】

――パリ五輪でブレイキンが採用されてスポーツに仲間入りしたことになります。もともとカルチャー的な側面の強いブレイキンが、オリンピックではスポーツ寄りのジャッジに変わることへの戸惑いや対応を迫られることはありますか。

 カルチャーの大会だと、別に長いムーブをしなくても、相手に一発ヤバいのをバコンッとぶちかませれば、ジャッジの心を動かせて、それで勝てたんですよ。でもオリンピックではそれだけじゃ全然足りなくて、それをやった後もいろんなことをやらないといけないし、ちゃんと踊らないといけない部分があるので、結構違いますね。だから自分の苦手な部分もちゃんと練習しないといけないと思っています。

 でも、どっちがいいとか悪いとかではなくて、オリンピックはオリンピックで本気でみんなでぶつかっていく大会のよさがありますし、カルチャーはカルチャーのよさがある。だからダンスはオリンピックだけじゃなくて、ずっと楽しめるものかなと思います 。

――そして、まもなくパリ五輪出場をかけて、オリンピック予選シリーズ(OQS、5/16-19 @上海、6/20-23 @ブタペスト)が始まります。まずはこの大会に向けて挑んでいくことになりますが、その意気込みを教えてください。

 本当に1日1日を大事にして、時間を有効活用して、誰よりも成長できたという日を過ごしていきたいです。無駄な時間を作りたくないので、自分の時間のすべてをダンスに捧げて、この短期間は死に物狂いでやっていこうかなと思います。OQSでは自分の持っている100%をぶつけてパリ五輪の出場権をゲットしたいですね。

――パリ五輪ではどんな結果を残したいですか。

 出るからには、金メダルしか目指していないです。僕は、誰よりもいいダンスをしたら、結果は勝手についてくると思っていますから、パリ五輪では誰よりもいいダンスをしたいですね。

【Profile】
ISSIN(いっしん/菱川一心)
2005年5月1日生まれ、 岡山県出身。8歳でブレイキンに出会い、11歳でBattle of the year Japan Under15 BATTLEで優勝。2018年Body CarnivalのJrクルー「BodyCarnival Zoo」に加入し、2022年にはRed Bull BC One World Finalに日本代表として出場。準決勝まで進出し、世界中から注目を集める。2024年2月の全日本選手権でShigekixを破り初優勝を飾る。