中村憲剛×佐藤寿人
第19回「日本サッカー向上委員会」前編

 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。

気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。

 ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」の第19回は、ふたりに2024年の日本サッカーを占ってもらった。

 残念な結果に終わったアジアカップの日本代表と、序盤戦から大混戦を見せるJリーグ。日本サッカーを支える両輪を、どのような視点で見ているのか──。

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中村憲剛と佐藤寿人が感じた日本代表のもろさ「前線、中盤、最終...の画像はこちら >>
── 2024年の連載1回目ということで、今回は今年の日本代表を占っていただきたいのですが、まずはベスト8敗退に終わったアジアカップの話に触れないわけにはいきません。
寿人さんは現地で取材されていましたけど、どういった感想を持ちましたか(※インタビューは3月18日に実施)。

寿人 ワールドカップと違って、ヨーロッパのシーズン中だった、という難しさがあった気がします。もちろん優勝への想いはあったとは思うんですけど、他国に比べると絶対に勝ちたいという気持ちを、あまり感じられなかった。

 それはやっぱり、それぞれの選手たちが所属クラブのリーグ戦があるなかで代表チームに来ているので、クラブの監督が代わりましたとか、結果はどうだったとか、そういう情報が常に飛び交うなかで代表の活動を行なわなければいけなかった。それは簡単なことではなかったと思います。

── 代表に集中しづらい状況だった、ということですね。

寿人 それもありますし、大会全体の雰囲気も、当然ですけどワールドカップとは全然違うんですよね。大会中に憲剛くんと連絡を取り合った時に、「日本にいるとアウェー感が全然伝わらない」と言っていたじゃないですか。

 実際はけっこうアウェー感があったんですけど、一方で日本のサポーターは現地にほとんどいないんですよね。これは本当に代表戦なのかなっていう空気感だったので、そのなかで戦わなければいけなかったのも、難しかったのかなと思います。

憲剛 僕は日本で見ていたので、リアルな空気感というのは当然わからないですけど、画面越しで見るかぎり、そこまでの熱量を感じることはできなかった。スタジアムにしかない"圧"みたいなのは現役時代にも感じていたので、地理的な問題もあったと思いますが、サポートがいつもよりも少ないという意味でのアウェー感はあったかなと思います。

 あとは、選手もコメントを残していましたけど、さっき寿人が言ったように、日本の熱量がほかの国を上回っていたかと言えば、そうではなかったと思います。日本と対戦するすべての国がそうでしたが、特にイラクだったりイランのほうが、客観的に見ると上回っていたように感じます。

 イランには、日本に勝ったあとに涙を流す選手もいました。果たして日本は、そこまでの熱量を持って相手と対峙していたかというと、どうだったのかなと。もちろん、これは結果論ではありますが。

── やはり短期決戦の大会では、どれだけ熱量を高められるかが重要になってくるのでしょうか。

憲剛 重要ですね。なので、今回の北朝鮮戦に(長友)佑都が呼ばれたのかなと個人的には思っていて。彼は熱量の塊みたいな男ですから。

 アジアカップは(吉田)麻也だったり、(川島)永嗣だったり、長友が抜けたあとの初めての国際大会でしたけど、そういう選手たちの抜けた穴が思いのほか大きかったのかなと思いました。伊東純也の件もありましたし、いろんな意味で難しい大会だったのではないかと思います。

── 戦い方のところで言うと、ロングボールを送り込んでくるシンプルな攻撃への対応にもろさを露呈しました。

憲剛 何事もそうですが、割りきって愚直にやってくるチームが一番怖いし、戦いにくいです。前線に戦略的にロングボールを入れ、そこでバトルしてセカンドボールを拾って、サイドに展開してクロスを送り込む。守備では球際で厳しく戦い、ハードワークをいとわない。また、セットプレーだったり、ロングスローも含めて、かなり徹底していたと思うんですよ。

 日本は去年、9連勝しましたけど、そのような戦い方をしてくる相手はひとつもなかったと記憶しています。親善試合ではどの国も自分たちが目指すサッカーをしてくるので、当然、そこまで徹底してくるチームはないと思います。

その意味では組みやすい相手ばかりだったなと。

 アジアカップで対戦したような国とはやってこなかったわけで、そういうチームに対する耐性が少し足りなかった。これはしょうがない気はします。アジアにおける日本と世界における日本の立ち位置が、あまりにも違いすぎるので。

寿人 憲剛くんの言うとおりだと思います。やっぱり森保さんのサッカーって、いい守備をして、特に中盤で奪いどころを作って、出ていくっていうやり方じゃないですか。でもシンプルに蹴られると、奪いたい場所で奪うことができない。じゃあ、うしろで跳ね返すパワーが特別あるかっていうと、そうでもない。その意味では、そういう相手に対する戦い方の引き出しは少なかったですよね。

 自分たちのスタイルっていうのは去年1年間である程度見えてきましたけど、対戦相手に応じた別のやり方というものがないなかで、大会が始まってしまった。ただ、イラクにあの形で敗れていたわけで、イラン戦までに修正策を用意する時間はあったと思うんですよ。でも結果的に、イランにも同じような形で負けてしまった。そこに対する批判は当然出てきますよね。

憲剛 「いい守備からいい攻撃」というコンセプトが成り立たなくなった時に、どうするかっていうことだよね。

寿人 そうです。それができなくなった時に「じゃあどうするの?」っていうのは足りなかったなと思いますね。

憲剛 蹴らせないというのはあるけれど、すべてを防ぐことは不可能なので、たとえば逆に、前から行かない戦い方も引き出しのひとつとして持っておく。あえてボールを持たせるとか。

 ただ、うしろで構えたら構えたで、より自陣のゴール近くにボールが飛んでくるので、それはそれでリスクになる。それならば、各々の役割がより明確になる5バックにする、とか。だけど、アジアのチームに対して5バックにする必要があるのか、とか。

 この大会を通していろいろな葛藤があったんだろうな、というのは個人的に感じていて。前から行きたいけど、相手はラフに放り込んでくる。そこで収められて、ひっくり返されるというシーンが続くと、前から行く意味を見出せなくなっていく。

 でも、そうなると自分たちが連勝時に発揮していたプレスの連動・迫力が出てこない。うしろで跳ね返せればよかったんだけど、ひっくり返されるシーンが出たことで、後手を踏んでしまった感は否めなかったのかなと。

寿人 そうなんです。だから前から行くのか、蹴られるんだったら行かずに構えて、跳ね返したところのセカンドボールを拾って、また出ていくやり方にするのか。そこの共通意識が必要でしたよね。

憲剛 前線の思惑と中盤の思惑、最終ラインの選手の思惑が少しずつズレているように画面越しには感じました。森保さんとコーチングスタッフが相当コミュニケーションを取っていたと思うけど、そこの判断がどうだったかは気になるところ。

寿人 監督とスタッフで感じていたことのズレはあったんじゃないですかね。監督の感覚とコーチの感覚が必ずしも一致するわけじゃないですから。

憲剛 もちろん、そうだよね。

寿人 最終的にはたぶん、コーチがいろんな提示をして、監督が決断すると思うんですけど、そうは言っても、新しいグループになって1年ちょっとしか経っていないじゃないですか。

 広島時代から一緒に仕事をしてきた前体制のヨコさん(横内昭展/現ジュビロ磐田監督)とポイチさんとの関係性と比べたら、まだまだギャップもあると思うんですよ。親善試合では見えてこなかった部分が、タイトルのかかった国際大会で露呈してしまった。そういう難しさも重なったのかなって思います。

憲剛 僕は昨年末の3日間だけ、ロールモデルコーチとして代表合宿に参加させてもらったのですが、その時は基本的には名波(浩)さんが練習を仕切っていて、森保さんは全体を統括する形でした。

 その3日間では細かい戦術的なトレーニングはやらなかったんですけど、ベースのところはしっかり落とし込まれていたし、雰囲気もよかった。元日のタイ戦を見ても、ああいうトレーニングをするとこうなるんだなっていうところがわかったので、僕のなかでは腑に落ちるところがあったんです。

 だから、あの時はすべてのメンバーがいたわけではないですけど、アジアカップも期待できそうだなと感じていた。しかし結果を見ると、やはり親善試合と国際大会とではいろいろなことが違うんだなと。選手もそうだし、スタッフも含めて難しい部分はあったのかなと感じますね。

寿人 コンディション的にもよくなかったですよね。暑さはなかったですけど、ケガ人もいましたし。シーズン中ということもあって、各々の状態に差があった気がします。

憲剛 (板倉)滉も1カ月以上離れていた状態で合流したし、(三笘)薫もケガが完治していなかった。伊東純也の件も含め、心身ともに足並みが揃わない状況は、外から見ていてももどかしかったです。

(中編につづく)

◆第19回・中編>>「GK問題」に見る世代交代の必要性「パリ経由でひとりでも多くA代表へ」


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。