MABP本格始動ルポ(前編)
【もしMGCで結果を出せていたら......】
4月21日、株式会社M&Aベストパートナーズの陸上部「MABPマーヴェリック」のお披露目パーティーが都内で開かれた。
檀上には神野大地プレイングマネージャー(31歳)の他、9名の選手と髙木聖也ゼネラルマネージャーが上がり、大きな拍手を受けた。2027年のニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)出場を目指してスタートを切ったわけだが、疑問に思ったことがあった。
「もし僕が2023年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で5番以内に入っていて、その後も(プロ)選手として走れる自信があったら、このプロジェクトは発足していなかったかもしれないですね」
箱根駅伝で「三代目・山の神」と呼ばれた神野は小さな笑みを浮かべて、そう答えた。
MABPから「個人的に神野選手を支援したい」と打診を受けたのは2023年3月のことだった。6月には神野のマネジメント業務を司る髙木聖也とMABPの松尾直樹副社長、そこに神野を交え、双方にとって理想的な関係や陸上界の課題などについて話し合った。
「陸上はサッカーや野球のように下部組織を作ったり、ファンを巻き込んで盛り上げたり、スポンサーに応援してもらう形がないですし、選手も金銭的に報われているわけじゃない。業界的に見ると、発展、改革する余地が多々あり、そういう部分を何とかしたいということでMABPと考えが一致したのです。
だったら個人活動のサポートではなく、チームを作り、業界を改革していこうという話になりました。僕はプロとしてやれることはやってきたけど、次は業界に目を向けて新たなチャレンジをしていく。そこを一緒にやっていきましょうということで、覚悟を決めました」
【今秋には2年ぶりにレースに復帰予定】
その後、神野はMGCに集中し、足の故障を抱えつつもパリ五輪代表の座を目指して懸命に走ったが、最下位に終わった。レース後、自身が主宰し、市民ランナーをメンバーとする「RETOランニングクラブ」の仲間や支援者の前で、「申し訳ない」と泣きながら頭を下げ、長い治療とリハビリの期間に入った。
「MGCが終わった後、あらためて自分の陸上人生を振り返ったんです。第1章が(青山学院時代の)箱根駅伝から(実業団に所属していた)コニカミノルタ時代。第2章がプロ活動の時になります。
そういうなかで、第3章としてチームで駅伝にチャレンジする機会をもらえたわけで、非常にありがたかったです。何より駅伝が好きですし、自分が走ることで貢献もできる。もう一度、情熱を持って陸上に取り組めると思いました」
神野は青学大時代、箱根駅伝で輝きを放った選手だ。五輪を目指すには厳しいが、個人としてまだ走れることを考えれば、駅伝に注力し、仲間とともに目標を達成することは、陸上を続けていく上で大きなモチベーションになる。さいわい、怪我から回復しつつあり、今秋には2年ぶりにレースに復帰予定だ。
ただし、MABPでは選手の前に監督である。不安はなかったのだろうか。
「指導経験がまったくないですからね(苦笑)。でも、引退したら陸上とさようならという人生ではなく、陸上にずっと携わり、指導をしてみたい気持ちもあったので、不安よりもワクワク感のほうが強かったです。今は自分のやれることをやりつつ、モチベーターとして選手を叱咤激励するスタイルでやっていきたいと思っています」
神野のコーチスタイルは、経験則で指導するコーチタイプではなく、サッカー日本代表の森保一監督のようなマネージャー型に近い。
東京大時代に関東学生連合の一員として箱根駅伝に出場し、一昨年まで実業団のGMOに所属していた近藤秀一をコーチに招聘。各選手の状態把握、練習メニューの立案、駅伝戦略やスカウティングに携わってもらう。また、トレーナーとして、青学大での指導実績でも知られる中野ジェームズ修一と契約した。
ハード面では、寮はないものの、世田谷区(東京都)に食堂とジム、さらにサウナ、水風呂も備えたクラブハウスを建てた。ソフト、ハード両面で1年目とは思えない、恵まれた環境下でのスタートになっている。
【選手は陸上に関わる仕事で収益を上げていくことを目指す】

「(実業団の選手がやる)社業といっても、なかには座っているだけだったりするケースもあるでしょう。だったら、その時間を有効に使ってプレゼンをしたり、企画を立案したりすることは、引退後に何かの仕事をするうえで大事なことだと思うんです。
メディア戦略も積極的だ。
「選手には、単に結果を発信するだけではなく、日常の取り組みや自分の気持ちについても包み隠さず発信してほしいと伝えています。それを継続することで少しでもいろんな人に興味をもってもらい、ファンになってもらう。僕が今もこうして多くの人に支えてもらっているのは、いい時も悪い時もSNSを通して自分の言葉を皆さんに伝えてきたからだと思うんです。厳しい声もありますが、そういう反応があるのも、自分を見てもらえているからこそ。フォロワー数とかも把握をしていければと考えています」
陸上界でもSNSで人気を集める若いインフルエンサーの影響力が増しているが、そこに負けられない意識もある。また、一般的な知名度を獲得するにはオールドメディアでの露出も欠かせない。ただ、そこで取り上げられるには、結果はもちろん、選手の個性や言葉が重要になってくる。今後はSNSとの両輪でどう認知度を上げていくのかが課題だろう。
【いつか駅伝のリーグ戦をやりたい】
チームの目標は2027年のニューイヤー駅伝出場だ。
「2027年の出場が目標ですが、すでに駅伝に出られる人数の選手は揃っていますからね。2年目でいいよねって感じで1年目を終わらせてしまうと2年目も厳しくなると思うので、今年から本気で出場権獲得を狙っていきます」
ニューイヤー駅伝の予選となる東日本実業団対抗駅伝は、非常にレベルが高く、昨年はコニカミノルタなど実績も強さもあるチームが突破できなかった。
「東日本は本当にレベルが高い。昨年優勝したGMOは全区間のアベレージ(1km平均ペース)が2分54秒で、10位の埼玉医科大が2分58秒でした。区間によっては2分47秒でいくので、チームの選手たちは、5000mで13分40秒を、10000mで28分20秒を切るのをひとつの目標にしています。新卒の選手にとってはハードルが高いですが、僕はやってくれると期待していますし、やらないと東日本でも苦戦を強いられることになります」
ニューイヤー駅伝の出場権を獲得するには、持ちタイムはもちろん、コンディション調整も重要になる。レースは7区間で争われるが、MABP所属の選手は現在のところ神野を入れて10名(うち外国選手2名)。しかも、外国人選手の出場は1名と限られているので実質は9名だ。ケガ人が複数出ると、挑戦そのものが成り立たなくなる可能性がある。
「新卒の選手は、社会人になって練習の質量ともに考えないといけない部分がありますが、とはいえ、ある程度追い込んだ練習をしていかないとレベルが上がらないですし、予選突破も厳しいと思います。ケガとか体調不良とか予測できないことが起こる可能性があるなかでのピーキングはいつでも難しいですが、それを超えていかないと目標に届かないので、細心の注意を払いながらやっていこうと思います」
神野は今季と来季のニューイヤー駅伝出場を目指しつつ、マクロではもっと大きな目標を見据えている。
「10年後、ニューイヤー駅伝で優勝したいですね。その10年間に僕らがやってきた活動と結果がリンクすれば、陸上界が大きく変わるんじゃないかなと思うんです。
チームのスローガンは「New Ways Behind Us ― 誰も走ったことのない道をともに走ろう」である。10年後、その言葉とともに陸上界の改革を実現するために、これから道なき道を走っていく。
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