髙橋藍(サントリーサンバーズ大阪)は、なぜ誰よりも勝負の機微を敏感に感じられるのか?
バレーボールは得点ごとにサーブ権が移り、サイドアウト、ブレイクで戦い方が変化していくスポーツだが、不意に流れが変わりそうな局面がある。片や集中が欠け、もしくは気落ちし、片や意気軒昂になり、気持ちの持ちよう次第で一気に試合が傾く。
髙橋は、その潮目をかぎわける。
SVリーグのチャンピオンシップは、まさに真骨頂だった。相手が怯んだところ、猛禽類が羽ばたくようなバックアタックを決めた。猛然と挑んできたら、背面ショットやフェイントで裏をかく。サーブひとつとっても、ショートサーブ、ストロングサーブの使い分けが絶妙で、心をへし折った。ディグはリベロ顔負けで、"ここぞ"というところで拾いまくり、SVリーグ初代ベストレシーバー賞も伊達ではない。
準決勝のウルフドッグス名古屋戦の初戦は第1、第2セットを連取し、3セット目もマッチポイントまで行きながら逆転され、チャンピオンシップ敗退の危機に晒された。もう負けることができない土俵際の2戦目、3戦目、彼は怒りによって集中力を最大限に高めていた。「このままでは終われない、って思っていました。自分自身に怒って、鼓舞して、奮闘させることができました」
その姿は、他の選手と一線を画すものがあった。
ジェイテクトSTINGS愛知との決勝でも、髙橋の洞察力は極まっていた。先勝して迎えた2戦目、STINGSの司令塔である関田誠大がコートサイドに突っ込み、敵陣に動揺が走ったことを勝機と見抜く。
何の迷いもなく、脳内のスイッチが切り替わる。勝つために、余計な感情を消せる。それは特殊な能力だ。
パリ五輪後のインタビューで、試合直後のコートで号泣していたにもかかわらず、取材エリアで論理的に話す姿に驚いたことを、筆者が伝えたことがあった。
「反省や振り返りは大事ですけど、そこは自分が一番わかっているので。それ以上、考えてもどうしようもない。悔しさを乗り越えるためには"次のオリンピックでそれ以上の結果を出すしかない"って思ったので、悔しさはあっても、頭のなかは切り替えられていました」
彼はこともなげにそう返した。
【マイナスをプラスに変える経験を重ねてきた】
今回のアジアチャンピオンズリーグでは、準決勝はフルセットの末、カタールのアル・ラーヤンに敗れ、髙橋は悔しさに打ち震えていた。コートでは涙を止められなかった。それでもマイクの前に立つと、会場の観客に感謝を伝えていた。
翌日の3位決定戦は、面目躍如だったと言える。人によっては消化試合でしかないだろう。しかし彼は、「成長するため。1試合も無駄ではない」と挑み、勝利に導いた。
「目標にしていた世界クラブには(手が)届かなかったですが、3位決定戦で勝って、笑って銅メダルで終わることができました」
そう語る彼にとって、勝負に"序列"はないのだろう。
インタビューで、聞いたことがあった。
――中1の頃は身長が158センチでリベロをやっていたそうで、身長が伸びない不安を将来の自分へ手紙に書いていたそうですね?
一拍置いて、彼は答えた。
「僕、負けず嫌いなんですよ。ちっちゃい頃から、できないものを人前で見せない、親の前でも見せない。できるようになってから見せていました。やれない自分を見せるのがすごく嫌で。
その自負心が彼を進化させたのか。髙橋はマイナスをプラスに変える経験を重ねてきた。そのプロセスで、勝負への機微も身につけたのかもしれない。彼我(ひが)の戦力を見極め、どうやったら勝てるのか。その隙を見極められるようになったのだ。
すべての経験が今の彼のなかで生きている。たとえば当時、リベロをやっていなかったら、"オールラウンダー、髙橋藍"は誕生しなかっただろう。その点では、運命に導かれているところもある。
「それは、そうかなって思います」
彼はそう言って、笑顔を作った。
「自分が子どもの頃から身長があるスパイカーだったら、レシーブを磨かなかったかもしれません。小さかったからこそ、"レシーブだけでも目立とう"って思いが小学校からずっとあって。レシーブだけは負けないっていう気持ちでやっていました」
今シーズン、髙橋はチームにSVリーグ初代王者の称号をもたらした。それは燦然と輝く。一方で彼は「通過点でしかない」とも言う。彼は勝負の緊張を心から楽しんでいる。
それが、髙橋藍という"輝きを増す"スター選手の正体だ。
(つづく)