関田誠大は、SVリーグで別格の存在だった。ひとりのセッターとして、コートに「世界」を作り出した。
セッターの才能は、世界でも傑出している。指先まで神経が通ったトスワークは変幻。パリ五輪では、セリエAで10シーズン以上も活躍するアルゼンチン代表のベテランセッター、ルチアーノ・デ・セッコにトスワークを激賞されていたほどだ。
時間をかけて、技を磨き上げてきた。
――関田選手にとって、セッターとは?昨年9月のインタビューで、筆者はそう訊ねたことがあった。
「正直に言って、セッターの評価ってすごく難しいんですよ。3枚ブロックが来てもスパイクが決まれば"ナイストス"ってなるし、ノーブロックでも決まらなければ"どうなの"って。そこは難しいところで、感覚のところを繰り返すしかない」
彼は皮肉っぽく言いながら、こう続けた。
「たとえば相手のブロック戦術、どこが弱いか、とかを映像を見て、試合のなかで試して。こうしたらこうなるって柔軟にやったり、それをやらずに堂々とエースに絞っ(てトスを上げ)たり、何回も繰り返しです。
頓智(とんち)のような問答だった。
関田は、どのようにセッターとしての矜持を深めてきたのか。それに辿り着こうとしても、彼はそれを許さなかった。それはセッターという、相手に考えを読ませない"職業"にも関係しているかもしれない。多かれ少なかれ、セッターというポジションの選手たちは、自分の世界に簡単には立ち入らせないところがあるが......。
たとえば彼は安易に「楽しい」という言葉を用いなかった。
【決勝は「僕も力が入っていた......」】
――セッター人生で最高のセットアップは?
「ないです。
"関田の世界"は不完全だからこそ、完全になれるのだろう。構築しきっていない世界だからこそ、何にでも成り変わる。無限の選択肢からギリギリまで計算し、ベストの答えを出す。
SVリーグのチャンピオンシップ、ジェイテクトSTINGS愛知は関田が創り出した"領域展開"で、トリー・デファルコ、宮浦健人、リカルド・ルカレッリ・ソウザなど荒ぶるスパイカーたちが暴れ回った。東京グレートベアーズも大阪ブルテオンも、そうやって蹂躙した。レギュラーシーズンでは、多くの選手がケガなどで離脱し、苦戦を強いられていた。しかし選択肢が揃ったことで、関田ワールドがさく裂したのだ。
「正直、プレーオフ(チャンピオンシップ)で勝てば、(レギュラーシーズンの順位とあまり関係なく)オールOKになっちゃうんで。チームのコーディネートに時間がかかったシーズン、それが最後の最後に合わせられて、きちんと戦えている感じです。それぞれが役割を全うできるようになりました」
関田はそう言って割りきっていた。見事、決勝まで勝ち上がり、サントリーサンバーズ大阪との1試合目は、第1、第2セットを連取した時までは無双に見えた。
「僕も力が入っていたところはあったかもしれません。なかなかうまく決めさせてもらえませんでした。いろいろとプレッシャーを感じながらやっていたんで......それで今日は、こうなっちゃう」
関田は自責の念で語った。実に彼らしい。
2戦目、流れを失ったSTINGSは、息を吹き返したサンバーズに飲み込まれていった。劣勢のなかで、関田はデファルコや宮浦だけではなく、ミドルブロッカーの髙橋健太郎や村山豪のクイックも駆使し、挽回しようとした。しかし、髙橋藍のサーブ、ドミトリー・ムセルスキーや小野寺太志のブロックに苦しみ、初代王者の座を逃すことになった。
「"勝たせられるセッター"を突き詰めていきたいですね。勝つ方法はいろいろあると思うんですけど......」
関田はそう気持ちを吐露していた。
「.外国人ひとりに頼るのではなく、いろんな選手を使えるのが自分のスタイル。そこを突き詰めて勝ちたい。
STINGS退団はすでに決まっている。シーズン終了後には、ケガを負っていたことも明らかになった。代表活動も休養が必要となる......。
新天地で"関田の世界"が広がるのが楽しみだ。