早大エース・山口智規が日本選手権で快進撃 主戦場の5000m...の画像はこちら >>

前編:早大長距離勢、日本選手権でも躍動!

7月4日から6日まで東京・国立競技場で行なわれた陸上日本選手権では、長距離の学生トップランナーたちも実業団選手に混じって頂点を目指した。

なかでも活躍が目を引いたのが秋の駅伝シーズンで前評判の高い早稲田大学。

男子1500mでは主将&エースの山口智規(4年)が本職ではない種目ながらも、予選トップ通過、決勝でもラストスパートの競り合いの末、2位に入った。

主戦場の5000mでも出場資格を持っていた山口が1500mに出場を決めた理由と狙いを、レースを振り返りながら紐解いていく。

【実業団のトップ選手相手に日本人学生歴代3位の快走】

「キツいっす。センゴ(1500m)、甘く見てました......」

 日本選手権の2日目、男子1500mの予選を走り終えて、早稲田大学の山口智規は思わずこう漏らした。

 だが、そんな言葉とは裏腹に、山口はその"センゴ"で快進撃を見せた。

 予選は全2組中トップの3分41秒58の好記録で突破。そして翌6日の決勝では、ラストスパート勝負で前回王者の飯澤千翔(住友電工)に突き放されたものの、熾烈な2位争いを制して銀メダルを獲得した。記録も日本人学生歴代3位(留学生を含めても学生歴代5位)となる3分38秒16の好記録だった。

「本職としていない1500mでの出場となったんですけど、もったいないレースはしたくないと思って積極的にいきました。その結果、負けてしまったんですけど、楽しいレースができました」

 このようにレースを振り返る山口の表情は、どこか清々しかった。

「本職としていない」とあるように、山口は1500mを専門種目とする選手ではない。

 1区間20km超の箱根駅伝では2年連続でエース区間の2区を担い、今年6月の日本インカレでは日本人で初めて1500mと5000mの二冠を果たした。10000mでも日本選手権に出場した実績がある。

 オリンピアンがずらりと揃う早稲田大学の歴代ランキングを見ると、1500mは歴代1位、5000m(13分30秒19)は歴代6位、10000m(27分52秒37)は歴代5位、ハーフマラソン(1時間1分16秒)は歴代2位となっており、1500mからハーフマラソンまで4種目で上位にランクインしている。

【「短いほうからアプローチしていかないと、世界に通用しない」】

 1500mは福島・学法石川高3年時にインターハイで8位入賞した種目だが、大学に入ってからはトラックでは5000mを主戦場としてきた。記録会で走ることはあっても、大きな試合で1500mに出場するのは、今年6月の日本インカレが高校時代以来のことだった。

 今回の日本選手権も、1500mと5000mの2種目で出場資格を得ていたが、当初は5000mのみに出場するつもりだった(両種目とも決勝が最終日に行なわれ、しかも間が1時間しかないため、2種目に出場するのは難しかった)。

 その考えが変わったのは、二冠を果たした日本インカレのあとだ。

「日本インカレがうまくいったので、現実を見た時に5000mと1500mとではどっちで勝負できるかなって考えた時に、1500mで決勝にいって勝負したいなと思いました」

 それともうひとつ、2月から3月に敢行したオーストラリア・メルボルン遠征で実感したことも、本職ではない1500mに出場を決めた理由にあった。

「オーストラリアに行ってだいぶ意識が変わりました。短いほうからアプローチしていかないと、これからはなかなか世界に通用しないと感じたので、若いうちに1500mをやろうと思いました」

 自身の今後のキャリアを考えた上での選択でもあった。

 もっとも本職でなくても、日本選手権では1500mで確かなインパクトを残した。

 予選では、残り2周を前に先頭に立ちペースアップすると、最後までハイペースで押しきった。

「予選は(同じ組に)森田さんや河村さんといった日本のトップで勝負する選手がいるので、どこまで僕のラストが通用するのか確認して、決勝に挑みたいなと思っていました。自分のタイミングで出られてよかったなと思います」

 今季日本グランプリシリーズで2勝している森田佳祐(SUBARU)や日本記録保持者の河村一輝(トーエネック)といった1500mの実力者が相手でも、後手に回ることなく自身のレースを敢行。堂々としたレース運びで、1着でフィニッシュした。

【読みどおりの展開でつかんだ大きな手応え】

 そして、最終日の決勝でも積極的なレースが光った。

「中距離のセオリーどおり、1周目を速く入って、2、3周目でペースを落としてしまうと、(ほかの選手に)力を溜められて、ラストで負けてしまうと思ったので、2、3周目を上げていこうっていうプランでした」

 しかし、そう易々(やすやす)とそのプランどおりのレースをさせてはもらえなかった。スタート直後から先頭を走ったものの、すぐ後ろには元日本記録保持者の荒井七海(Honda)がいて、「後ろにつかれてプレッシャーがあって、2周目できつくなってしまった」と、下がらざるをえなかった。

「500mで動かなかった時点で、もう勝てないなと思った」

 レース中のこんな心境を明かしたように、700mで荒井に先頭を譲ると、山口は5番手まで下がった。

 だが、そのまま簡単に引き下がらないのが今季の山口だ。

「後ろで力を溜めて、少しでも上の順位を狙おうと思いました」

 プランを切り替えて終盤に備えた。そして残り500m。山口は勝負に出た。

「最低限できることはしようと思っていました。引っ張るだけで終わりたくはなかった。勝つとしたら、あそこでいくしかなかった。ダメでもいってやろうと思いました」

 山口が仕掛けると、レースも動いた。

飯澤、森田、高橋佑輔(山陽特殊製鋼)が反応し、優勝争いは4人に絞られた。

 しかし、飯澤が残り200mで先頭に立ち、さらに残り150mでスパートすると、山口はついていけなかった。

「ラスト100mの勝負になると思う。自分の100%を出しきれるように、そこまで我慢できれば」と、予選のレース後に話していたが、最後のホームストレート勝負には持ち込めなかった。

 また、こうも話していた。

「3分35秒から38秒ぐらいのレースになると思う。どんなレースになっても飯澤さんとかはラスト1周(400m)を55秒で上がってくる。その55秒というところを意識して練習しました」

 その読みどおりの展開になったが、ラスト1周は58秒かかった。もっとも、55秒でカバーできていれば、日本記録(3分35秒42)相当のタイムが出ていたことになるが、そこまで力が残っていなかった。

 飯澤の後方で繰り広げられた2位争いでも、山口は、一度は最後尾に下がった。それでも最後のホームストレートで追い抜いて2位でフィニッシュした。そのスパート力が中距離選手相手でも通用することを示した。

「オーストラリアの選手も、1500mもハーフマラソンも走れるような練習をしていました。今の世界はオールラウンダーが活躍する時代になっていますので、視野を広げてトラックを強化しながら箱根駅伝でも勝負できるようにと思っています」

 専門外の種目で大きな手応えを得られたのだろう。人一倍負けん気の強い山口だが、今回ばかりは2位に終わっても、走り終えて晴れやかな表情だった(そう見えた)。

 今回の日本選手権での山口の挑戦は、観る者も心を踊らせたが、当の山口が一番楽しんでいたのかもしれない。

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