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文武両道の裏側 第22回
尾﨑世梨(フェンシング サーブル日本代表)前編(全2回)

 大学スポーツ協会は毎年、大学のスポーツ振興に貢献したアスリートやスポーツに関わる学生、団体を表彰する「UNIVASアワード」を開催している。そのなかに、優秀な学業成績と競技成績を残し他の学生の模範となる選手に贈られる個人賞がある。

過去にはこの女性部門「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に、陸上100mハードルの田中佑美、ボクシングの入江聖奈らが輝いているが、24年度のこの優秀賞にフェンシング サーブル日本代表でパリオリンピックの団体で銅メダルを獲得した、尾﨑世梨が選ばれた。パリ大会当時は法政大学4年生で競技に勉強に多忙な日々を送ってきた彼女は、どのようにして文武両道を実践したのだろうか。受賞の喜び、そして小学生時代からの勉強に対する考え方などについて話を聞いた。

【パリ五輪では感動で涙】

――法政大学在学中に、UNIVAS アワードのウーマン・オブ・ザ・イヤー優秀賞に選ばれました。まずは受賞についてどのような思いがありましたか。

 優秀賞に選ばれたことを聞いたときにはとても驚きました。過去にも有名な選手の方々が受賞をされているので、自分もそれに並べたことがすごくうれしかったです。大学在学中にオリンピックでメダルを獲得できたことは、自分のなかでもすごく意味のあることだなと思っていますので、それが受賞の理由だったのかなと思います。

――受賞の理由のひとつと語る、そのパリ五輪では、見事、銅メダルを獲得しました。団体の3位決定戦でフランスに勝利した瞬間には涙を流されていましたが、どのような思いだったのでしょうか。

 いろんな思いが込み上げてきました。今まで支えてもらった方々への感謝の気持ちもありましたし、勉強とスポーツの両立を実践してきたことへの思い、プレッシャーからの解放もありました。フェンシングで思うようにいかない時期もあって、そういうことも全部含めて今までやってきたことが報われて、すごく感動していました。

キャリア1年半で日本一になったフェンシング尾﨑世梨が、文武両道を実践した学生時代を振り返る
銅メダル獲得を喜び合う尾﨑(右)と江村美咲(左) photo by JMPA

【スポーツに勉強に多忙な小学生時代】

――出身は北海道で、小学校時代は空手とチアダンスに励んでいたということですが、どのような理由で始めたのでしょうか。

 空手は兄が小さい頃からやっていて、親がその送り迎えで道場に行っていたので、それに自分もついて行っていました。その流れで空手をやりたいなと思って4歳から始めました。そこから中学2年くらいまで続けていました。チアダンスをやり始めたきっかけは鮮明に覚えていないんですが、友達と一緒にやりたいとか、そんな感じだったと思います。小学校の6年間、やっていました。

――空手は北海道大会で優勝しているそうですね。

 はい。空手は一番力を入れていて、黒帯(初段)までいきました。チアダンスも全国大会まで行った経験があって、どちらも割と本気でやっていました。今考えたら、忙しい小学生だったなと思います。その当時は、そんな自覚はなかったんですけど。

――小学生時代はどのようなスケジュールでスポーツをしていたんですか。

 小学校から帰ってきたら、週4日くらいは空手に行っていたように思います。空手は好きなときに行けるようなところでした。土日は基本的にチアダンスの練習で、大会前になると午前と午後、みっちり練習をしていました。平日も金曜日の夜にチアの練習をしていたので、基本的に毎日、空手かチアをやっていましたね。

――しっかりと時間管理をしないとできないことかと思いますが、小学生時代、勉強はどのように考えていましたか。

 学校から帰ってきたらまずは宿題ややるべきことを終わらせてから、空手の道場とかチアダンスの練習場に向かうという感じだったと思います。親からはスポーツを頑張ることはいいけど、勉強も時間をうまく使ってやるようにと言われていました。それから将来のためにと、公文にも行きましたし、中学受験をしたので、塾にも通わせてもらいました。成績は普通か上のほうだったと思います。

――空手、チアダンス、公文、塾とかなり多忙な毎日ですね。

 小学校のころは疲労という感覚がわからなくて、休みがない、という考えにはなりませんでした。どちらかというとタフなほうだったかもしれません。

すべて自分が選んでやっていたことで、とくに空手とチアは大好きだったので、それをするために時間をうまく使っていて、"やらないといけないことは、やらないといけない"と思っていました。

【間の時間で勉強】

――中学受験をして中高一貫校に入りましたが、フェンシングはいつから始めたのでしょうか。

 中学でも空手を続けていましたが、周りがみんな部活動に入っていて、自分も何かやりたいなと思って、フェンシング部を見つけました。まだ当時は東京五輪が決まる前で、空手はオリンピック種目ではなかったので、オリンピック競技というものに興味があってフェンシングを始めました。

――そして中学2年のときに全国サーブル・チャレンジカップのカデ(13歳以上17歳未満)のカテゴリーで優勝しています。約1年半の練習でいきなり日本一になったわけですが、短期間で何かつかんだものがあったんですか。

 実は、中学1年生のときにも出場していて、よくわからないまま試合をしてビリだったんですよ。だから2年生のときも正直、本気で優勝を目指していたわけではなかったんですが、試合中に「これは、有効につかえる」という技を見つけて。頭にきた剣を止めて、返す技なんですけど、まだできないなりにそれを多用したら優勝していました。

――3年のときにも同じ大会で優勝していますが、それはちゃんと優勝を狙って獲ったのでしょうか。

 はい。3年のときにはしっかりと優勝を目指しました。

カデとジュニア(17歳以上20歳未満)のカテゴリーで優勝しました。獲れるタイトルは全部獲ったという感じでしたね。

キャリア1年半で日本一になったフェンシング尾﨑世梨が、文武両道を実践した学生時代を振り返る
空手で養った対人感覚を生かしフェンシングでも才能が開花 写真左が尾﨑 photo by Gunki Hiroshi

――勉強はどんな意識で考えていましたか。

 中学1年のときは空手とフェンシングをやっていて、夜遅くまで忙しい毎日でした。受験して入ったので、周りは勉強ができる人たちが多かったこともあって、中学のときも間の時間を見つけて、やるべき勉強をちゃんとやる感じでしたね。ただ全国優勝したことで海外の試合に出場する機会をもらえたんですが、勉強で遅れをとってしまうことがでてきて大変な面もありました。

後編に続く >>

【Profile】
尾﨑世梨(おざき・せり)
2002年9月22日生まれ、北海道出身。中学1年からフェンシングを始め、中学2・3年時に全国優勝を経験。将来性を見込まれ代表合宿や海外遠征に参加するようになり、各大会で好成績を残す。高校2年時に全国高校総体2位となり、3年時はジュニアオリンピックカップで日本一に。大学進学後の2022年には世界選手権の女子サーブル団体で銅メダル獲得に貢献。2024年のパリ五輪で女子サーブル団体に出場し銅メダルを獲得した。

2025年1月のワールドカップ女子サーブル団体では日本サーブル史上初の金メダルを獲得するなど、各種大会で結果を残している。

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