蘇る名馬の真髄
連載第11回:グラスワンダー
かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。
こうしたプロフィールは、競走馬・グラスワンダーの生い立ちを反映したもの。1995年に生まれた同馬は、アメリカ産の「外国産馬」だった。その後、日本の馬主に購入され、海を渡って日本で競走生活を送ることになった。
デビューした3歳(現2歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)から圧倒的な強さを見せ、無傷の4連勝でGI朝日杯3歳S(中山・芝1600m/朝日杯フューチュリティSの前身)を制覇。
ただ当時はまだ、外国産馬がクラシックに出走することができなかったため、4歳時に「牡馬三冠」レースへ挑むことはなかった。
同世代には、同じく外国産馬のエルコンドルパサーがおり、こちらも初陣から連戦連勝。デビューから負けなしの5連勝で、GI NHKマイルC(東京・芝1600m)を制した。
この強力・外国産馬2頭には、どちらも的場均騎手がデビューから騎乗。いずれ直接対決を迎えるのは間違いなく、当時「的場はどちらを選ぶのか?」という話題で持ちきりとなった。結果的に的場騎手はグラスワンダーを選択。この名コンビによって、数々の栄冠を手にしていく。
また、この世代には、エルコンドルパサーの他にも多数の名馬が存在。のちに「黄金世代」と呼ばれるほどの豪華なタレントがそろい、大舞台でしのぎを削っていた。
その筆頭と言えば、スペシャルウィークだろう。GI日本ダービー(東京・芝2400m)で戴冠を遂げ、"天才"武豊騎手とともにスター街道を歩んでいたのである。
そのスペシャルウィークと、グラスワンダーも歴史に残る名勝負を演じている。とりわけ伝説的な一戦として知られるのは、2頭にとって「最後の直接対決」となった1999年のGI有馬記念(中山・芝2500m)だ。
実は、この両雄が同じレースで戦ったのは2度しかない。初対決は、5歳となった1999年の夏。舞台は7月のGI宝塚記念(阪神・芝2200m)だった。1番人気スペシャルウィーク、2番人気グラスワンダーで迎えたこの一戦は、好位につけたスペシャルウィークの後ろを徹底マークして運んだグラスワンダーが直線で一気にかわし、3馬身差をつけて快勝した。
それから5カ月半の時を経て再戦したのが、有馬記念だった。直前の単勝オッズは、グラスワンダーが2.8倍の1番人気、スペシャルウィークが3.0倍の2番人気。宝塚記念同様、2頭の一騎討ちムードという様相だった。
レースがスタートすると、2頭の位置取りに観客がどよめいた。14頭立ての11番手につけたグラスに対し、スペシャルは最後方まで下げたからだ。宝塚記念とは逆の位置関係で、武豊騎手とスペシャルウィークがライバルをマークするような形になったのである。
実際に武豊騎手は、美しい栗毛にまとわれたグラスワンダーの一挙手一投足を見てレースを進めた。最後の3コーナーすぎからペースが上がり始めると、グラスワンダーが一気に外から仕掛けて先頭集団に加わっていく。すると、その動きに呼応するかのように、最後方にいたスペシャルウィークも大外から進出を開始した。
直線に入ると、2頭は馬体を併せて外から力強く伸びる。最内からはツルマルツヨシが鋭く加速し、中央からは馬群を割って4歳馬のテイエムオペラオーが怒涛の末脚で追撃する。残り100mでは4頭が横に並び、レースの行方はまったくわからなかった。
だが、中山の急坂を乗り越えた最後の最後、ゴール板に飛び込むラスト数十mのところでグラスワンダーとスペシャルウィークが前に出た。2頭はぴったり並んでゴール板を通過した。
その後、手を挙げて観客の声援に応えたのは武豊騎手。この時、誰もが「勝利したのはスペシャルウィーク」と思ったに違いない。ところが、掲示板の1番上に灯ったのは、ゼッケン「7」。グラスワンダーが着差わずか4cmとされる歴史的な"大接戦"を制したのである。
グラスワンダーにとって、このレースが最後のGIタイトルとなった。引退後は、種牡馬としてスクリーンヒーローやアーネストリーなどのGI馬を輩出し、さらにスクリーンヒーローからはモーリスという名馬が生まれた。
栗毛の雄大な馬体に、前脚を高く上げる独特のフットワーク。先日、長い生涯を閉じたグラスワンダーだが、その血は確実に受け継がれている。