クーパーズタウンの米野球殿堂博物館では、イチローの殿堂入りに合わせるように、日本と米国の野球交流史などに焦点を当てた特別展『野球とベースボール:太平洋を越えた日米の野球交流』が開催されていた。
野球殿堂博物館の3階に設けられた特別展の会場には、ホール・オブ・フェーム・ウィークエンド(殿堂入りの週末)は多くのファンが訪れ、興味深そうに展示に見入っていた。
【正力亨から贈られた鎧兜】
1階の受付を通り、右手にある階段を上って3階に行くと、右手すぐに特別展の会場がある。入り口をくぐると、目に飛び込んでくるのが戦国時代の武将が着用した鎧兜。これは1988年に読売ジャイアンツの正力亨オーナー(当時)が、ドジャースのピーター・オマリー会長(当時)に長い交流を記念して贈ったものだ。
特別展は日米交流の歴史から順に展示されているので、日本のプロ野球草創期の交流ということで言えば、やはり読売関係の展示が多くなるのは仕方ない。
鎧兜の後方には、イチローが2009年に9年連続200安打を達成した試合で着用していたマリナーズのユニホーム姿の人形が立っている。
そのほか、大谷翔平が2018年にエンゼルスでメジャーデビューした時の帽子とヘルメット。野茂英雄が1988年ソウル五輪で使用したボールや、1995年のメジャー初勝利、1996年と2001年にノーヒットノーランを達成した時の試合球など、貴重な4個のボールが展示されていた。
展示スペースは1800平方フィートあまり。換算すると、167平方メートルあまりの広さに、選手が使ったボール、グラブなどの用具や資料など50点が展示されているほか、動画鑑賞スペースやテレビゲームなど、さまざまな形で野球とベースボールに触れることができるように考えらえている。
この特別展は、①20世紀初頭に米国へ渡った早稲田大学、慶応大学の野球部など日本チームの米国遠征史、②1934年に来日したベーブ・ルースなど米国チームの日本遠征史、③ラリー・ドビーやランディ・バース、ウォーレン・クロマティら日本で活躍した米国人選手、④1964年に大リーグで初めてプレーした村上雅則や、その後の野茂英雄や松井秀喜ら米国で活躍した日本人選手、という4つの視点で構成されているということだったが、それ以外にも、神宮球場の東京音頭やボストンの「スイート・キャロライン」など日米の応援風景、ホットドッグなど球場での軽食も紹介されている。

野球殿堂博物館には特別展のほか、常設展示もあるが、じっくり見るとなると2日は必要だと感じるほど充実している。ベースボールの歴史から始まり、ベーブ・ルースや人種の壁を破ったジャッキー・ロビンソン、ベーブ・ルースの本塁打記録を更新したハンク・アーロンらは特別のスペースで展示されていた。
興味深かったのは、ボブルヘッド人形の展示。野球とベースボールの特別展と同じ3階で今年5月にオープンした。
700体以上の人形が頭をゆらゆらさせている様子は壮観でもあるが、ちょっと不気味でもあった。つい、日本人選手はいるだろうか......と探してみた。
イチローやサンフランシスコ・ジャイアンツ時代の新庄剛志は見つけられたが、不思議だったのは近鉄の選手が何人もいたこと。中村紀洋や岩隈久志、タフィー・ローズの人形も近鉄のユニフォーム。メジャーではまったくプレーしていない鈴木啓示や梨田昌孝の人形まであった。
【イチローが米球界のレジェンドになった瞬間】
拍手と歓声、それに笑顔があふれるホール・オブ・フェーム・ウィークエンド(殿堂入りの週末)。クーパーズタウンは、ベースボールへの愛情が凝縮されたようなところだ。殿堂入りする元選手たちがスピーチをする表彰セレモニーに立ち会うため、全米から野球ファンが米国東部、ニューヨーク州の片田舎に集まってきた。
最後に、その殿堂入り表彰式について書きたい。
当初、7月27日の日曜日午後1時半から始まる予定だったが、朝からの雨で開始が1時間遅らされた。予報がばっちり的中し、セレモニー開始の時点では快晴で、会場となったクラーク・スポーツセンターでは観客に熱中症予防のボトルが配布されたほど。好天の下、2025年組のスピーチは滞りなく終わった。

クラーク・スポーツセンターでのスピーチが終わると、無料のシャトルバスでファンは続々と野球殿堂博物館へ。掲額の瞬間を見ようというわけだ。スピーチの開始が1時間遅れた関係で、額の設置も1時間遅れとなり、7月27日の午後7時ごろに始まった。
ホールを埋めたファンの前に、野球殿堂博物館のインターンが額を持って現われ、額を掲げてファンに披露する。イチローの額を持って登場したのは、日本人インターンの梶田健次郎さん。
(文中敬称略)