世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第31回】ファビオ・カンナヴァーロ(イタリア)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第31回目はセリエAを代表するディフェンダーを取り上げる。パルマやユベントスで活躍し、2006年にはバロンドールも受賞したファビオ・カンナヴァーロだ。176cmという高くない身長なのに、なぜ彼は列強のストライカーから涼しげにボールを奪うことができたのか。
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1980年代後期から15年間ほど、イタリア「セリエA」は世界を席巻した。ミシェル・プラティニ(ユベントス/1982年~1987年)、ディエゴ・マラドーナ(ナポリ/1984年~1991年)、マルコ・ファン・バステン(ミラン/1987年~1993年)、ロベルト・バッジョ(フィオレンティーナ/1985年~1990年、ユベントス/1990年~1995年、ミラン/1995年~1997年、ボローニャ/1997年~1998年、インテル/1998年~2000年)、ジネディーヌ・ジダン(ユベントス/1996年~2001年)......。
ファンタジスタと言われた選手たちの一挙手一投足に、フットボールファンは酔いしれた。
また、守備にアートを求めてきた国でもある。ガエターノ・シレア、ピエトロ・ヴィエルコウッド、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタなど、歴史を彩る名DFも枚挙に暇(いとま)がない。
ファビオ・カンナヴァーロも凄腕だった。
ただ、近代フットボールに照らし合せると、ある一部分が欠けていた。フィルジル・ファン・ダイク、アレッサンドロ・バストーニ、ウィリアム・サリバなど、直近3~4シーズンに光り輝くセンターバックは総じて身長190cmを超える。
それでも、空中戦では負けなかった。天性のジャンプ力と、ボールの頂点を測る絶妙の観察力を武器に、クリスティアン・ヴィエリやガブリエル・バティストゥータといったストロングヘッダーとも、五分以上に渡り合っている。
【バッジョが最も嫌がったDF】
また、俊敏性も別次元だった。アンドリー・シェフチェンコやダヴィド・トレゼゲなど、スピード自慢のアタッカーをことごとく、しかもあっさりと完封した。瞬時に身体を寄せ、縦パスを無効化する。
ファン・バステンとバティストゥータは「ヴィエルコウッドが一番イヤなCB」と語っていたが、ロベルト・バッジョの印象は異なる。
「カンナヴァーロが間合いを詰めてくるだけで不快だった」
1993年3月、カンナヴァーロは19歳でナポリのトップチームに昇格。心優しい先輩であるジャンフランコ・ゾラの背中を見ながら、プロの姿勢を学んだ。翌シーズンはチロ・フェラーラとのコンビで鉄壁の砦を形成した。この男もまた好人物だ。カンナヴァーロが醸す人当たりのよさは、温かな人間関係によるものなのだろう。
1994-95シーズンもナポリに必要不可欠なCBとして活躍したものの、財政難によってパルマに放出される。
1998-99シーズンと2001-2002シーズンにコッパ・イタリアを制したあと、2002年の夏にインテルへ移籍。ただ、不慣れなサイドバックやボランチに起用される不本意な2シーズンを過ごすことになり、2004年夏にはユベントスに新天地を求めた。
ここでフェラーラ、ブッフォン、テュラムと再会。世界最強の守備陣が誕生し、カンナヴァーロは悲願のスクデットを獲得する。当時のユベントスは、ズラタン・イビラヒモヴィッチ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、パベル・ネドベド、ジャンルカ・ザンブロッタなどを擁する好チームで、チャンピオンズリーグ優勝も狙えるレベルだった。しかし......。
2006年春、カルチョポリ(イタリアフットボール全体に深く関わった詐欺行為)発覚。その後、セリエAは瞬く間に凋落していった。
【DF史上3人目のバロンドール】
スキャンダルを引きずったまま、ドイツワールドカップが開幕した。イタリア代表はマルチェロ・リッピ監督の嫌疑が大会直前に晴れたばかりで、カンナヴァーロは事情聴取を受けたり、家宅捜査の対象になったり、騒動の余波も大きなプレッシャーとなってのしかかってきた。
しかし、逆境は人を強くする。
ラウンド16のオーストラリア戦は50分にマルコ・マテラッツィが一発レッド。
準々決勝のウクライナ戦はアンドリー・シェフチェンコを完封し、準決勝のドイツ戦ではミロスラフ・クローゼに1本のシュートも許さなかった。そして決勝のフランス戦も落ち着いて最終ラインを統率。イタリアを24年ぶり4回目のワールドカップに導いたヒーローこそが、カンナヴァーロだった。
決勝でマテラッツィに一発レッドの頭突きを見舞ったにもかかわらず、大会のMVPはフランスのジダンだった。カンナヴァーロは全7試合にフル出場し、イエローカードすらもらっていない。やはり、守備者の評価は低いようだ。
それでも、イタリア代表の名DFにはバロンドールとFIFA最優秀選手賞が贈られている。2006年のカンナヴァーロはもっと、そしてあらためて高く評価されてしかるべきだ。ダブルの個人賞受賞が実力の証(あかし)である。
なお、DFでバロンドールを受賞したのは、フランツ・ベッケンバウアー(1972年・1976年/バイエルン)、マティアス・ザマー(1996年/ドルトムント)を含めてわずか3名。GKはレフ・ヤシン(1963年/ディナモ・モスクワ)ただひとりだ。
【地面にお尻がついたら負け】
マンツーマンディフェンスと少人数のカウンターを主武器とする戦術──いわゆるカテナチオが幅を利かせていた1970年代~1980年代のイタリアには、クラウディオ・ジェンティーレというDFがいた。つかむ、踏む、引っかける、ひじを張る......挙げ句の果てには殴る。
相手を止めるためには手段を選ばず、メディアから「手斧師」のニックネームを頂戴するほどの荒くれ者だった。許されないプレーだとしても、彼はジーコやマラドーナを徹底的に潰し、デュエルの強さは圧巻とも表現できた。
さしずめカンナヴァーロは「クリーンな手斧師」である。176cmの小柄な肉体には驚異的なパワーとスピード、卓越した状況判断力が装備され、ファウルを冒す必要などほとんどなかった。
「DFは地面にお尻がついたら負けだと、厳しく教えられてきた」
筆者の古巣『ワールドサッカーダイジェスト』のインタビューで、彼はこう答えている。1対1で常に先手を取っていれば、最終手段のスライディングタックルを仕掛けたり、イエローカード覚悟で止めたりする必要はないということだ。
近ごろ、無駄なイエローカードが増えている。スライディングタックルも乱暴で、ボールだけをクリーンに奪い取る技術は見かけなくなった。
守備時における派手なアクションは、後手に回っているからこそのやむを得ないチャレンジだ。