蘇る名馬の真髄
連載第18回:シンボリルドルフ

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第18回は、無敗の三冠達成を含め、生涯でGⅠ7勝を挙げた"皇帝"シンボリルドルフだ。

『ウマ娘』ではトレセン学園の生徒会長 シンボリルドルフが「皇...の画像はこちら >>
 さまざまな『ウマ娘』のなかでも、能力やふるまい、品格などにおいて、非の打ちどころがないキャラクターと言えば、シンボリルドルフではないだろうか。公式プロフィールでも「レースでの実力、政治力、人格はどれも飛び抜けている」と明記されている。こうしたこともあってか、『ウマ娘』が集うトレセン学園の生徒会長も務めている。

 このキャラクター像は、競走馬・シンボリルドルフの特徴を反映したもの。1983年にデビューした同馬は、4歳馬(現3歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)が挑むクラシック三冠(皐月賞日本ダービー菊花賞)すべてを無敗で制するという、史上初の快挙を成し遂げた。その後も大舞台で勝利を重ね、当時史上最多となる7つのGⅠタイトルを獲得して引退したのである。

 レースぶりも隙がなく、常に好位抜け出しの戦法で安定していた。

その盤石の強さと、同馬の馬名から「皇帝」と呼ばれるようになった。

 そんなシンボリルドルフゆえ、その強さを見せつけたレースは数多くあるが、ここではGⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)を取り上げたい。

 岡部幸雄騎手とのコンビでデビューした同馬は、負けなしの5連勝でダービーの舞台に登場した。前走では、三冠初戦となるGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)を制覇。ライバルと目されていたビゼンニシキを難なく下し、一冠目を手にしていた。

 この時から「三冠制覇」を意識していた岡部騎手は、表彰式で指を1本立てるポーズを見せた。のちに2本目、3本目を掲げるつもりだったのである。

 迎えたダービーは、完全にルドルフムード一色だった。その頃のダービーは20頭を超える多頭数になることが通例で、道中の不利も発生しやすいため、波乱の可能性を含んだレースだったと言える。この年も例外ではなく、21頭の出走馬が集ったが、ファンはこれまでの皇帝の完璧なレースぶりを信頼し、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持したのだった。

 各馬が一斉にスタートを切ると、シンボリルドルフは中団よりやや前の9番手あたりにポジションを取る。多頭数だった当時のダービーは、後方に位置すると他馬をさばくロスが大きくなり、「1コーナーを10番手以内で回らないと勝てない」とされる格言もあったが、ルドルフと岡部騎手はまず、その"ダービーポジション"と言われるいい位置につけた。

 レースは淡々と進んで、3コーナー手前から岡部騎手の手が動き始める。早くもポジションを上げていこうと、愛馬にゴーサインを送ったのである。

 今までのレースでは、すんなりと先頭を捉え、盤石の競馬を見せてきたルドルフ。しかしこの時は、いつもと様子が違った。岡部騎手のゴーサインに対する反応が弱いのだ。ルドルフはなかなか加速せず、4コーナーでは鞍上の手がさらに大きく動き、ムチも飛んだ。二冠は間違いないと信じていた場内が、一瞬だけ動揺したように感じた。

 だが、その不安も束の間、皇帝は直線に入ってから本領を発揮した。外に持ち出したルドルフは、ようやくエンジンがかかったように加速。残り200mであっさりライバルをかわし、先頭に立ったのである。その後は、流すほどの余裕を見せて入線。無傷の6連勝でダービーを制した。

 後日、岡部騎手はこのダービーについて、「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。鞍上のゴーサインに反応しなかったあの時、決してルドルフの調子が悪かったのではなく、「勝負どころはここではない」「まだ焦る必要はない」と馬に言われているようだったと回顧している。

 ダービーの表彰式で2本目の指を掲げた岡部騎手。その後、シンボリルドルフは秋のGⅠ菊花賞(京都・芝3000m)も制し、無敗で三冠を達成する。そしてこの時、岡部騎手は高々と3本指を空に伸ばしたのだった。

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