秋吉亮インタビュー(後編)

 どんな環境でも自らの可能性を信じ、努力を重ねてきた秋吉亮。ヤクルトではセットアッパーとして日本一に貢献し、侍ジャパンでは無失点の快投で世界を沸かせた。

移籍、ノーテンダー、独立リーグ、そして引退。幾度も転機を迎えながら、今もなお野球とともに生きるその人生を振り返る。

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WBC6試合登板で防御率0.00】

── 2017年の第4回WBCに、侍ジャパンのメンバーとして出場しました。感慨深いものがあったのではないですか。

秋吉 入団した2014年から15、16年と結果を出していたので、侍ジャパンに選ばれたいという思いはありました。いざ選ばれて、すごくうれしかったことを覚えています。

── 小久保裕紀監督率いる侍ジャパンは、準決勝でアメリカに敗れました。秋吉さんはチーム最多の6試合に登板し、防御率0.00でした。

秋吉 国際大会は、ひとつの四球が勝敗を左右します。特に決勝ラウンドは、負けたら終わりという難しい戦いを実感しました。そんななか、自分としては納得した結果を残せたと思っています。2次ラウンドのキューバ戦では勝利投手になることができました。海外に少ないサイドスローは、世界大会で有効ですね。

── WBCで印象に残っているシーンは何ですか。

秋吉 自分がプロに入る前年に、シーズン60本塁打の日本記録を樹立したオランダ代表の4番、ウラディミール・バレンティン選手との対戦です。この試合、バレンティン選手は石川歩投手から2ラン本塁打を放っていました。ヤクルトのチームメイトであり、長所短所はお互い知り尽くしていましたが、7回裏に対戦して三振に打ちとりました。試合も日本が8対5で勝利しました。

── どんな配球だったのですか。

秋吉 ボール球を振らせようと思い、外角のスライダーを3球つづけたのですが、3球目が甘く入りファウルにされました。全部外角だと合わされるで、内角にも突っ込みましたがファウル。カウント2−2となり、最後の5球目は外角低めに落ちるチェンジアップで空振り三振です。いい攻め方ができたと思います。

── マスクを被っていたのは、小林誠司選手でした。

秋吉 ペナントレースと同じ配球ではダメだと思いました。

誠司は社会人時代から対戦を通じて気心が知れていますし、自分の意図を汲みとってくれて、投げたい球とサインが一致していました。

【日本ハム移籍1年目に25セーブ】

── ヤクルトで5年プレーし、2018年オフにトレードで日本ハムに移籍しました。トレードを告げられた時の心境はいかがでしたか。

秋吉 寂しさはありましたが、日本ハムが必要としてくれて、2019年シーズンは53試合に登板して25セーブと活躍できたのでよかったです。

── セ・リーグパ・リーグの野球の違いは、どんなところに感じましたか。

秋吉 セ・リーグのホームラン打者と言えば各球団ともクリーンアップでしたが、DH制があるパ・リーグはみんな一発の可能性を秘めていましたね。また、パ・リーグ投手の配球はストレートが多かったです。だから、みんながストレートを投げる状況で、自分は変化球を投げたのがよかったのかもしれません。

── 2027年からセ・リーグもDH制導入が正式決定しました。

秋吉 セ・リーグは中盤以降、投手に打順が回ると代打を送ります。だから、どうしてもリリーバーは登板過多になります。しかしDH制であれば、リードされている展開であっても続投できるので、いいことではないでしょうか。

── 2021年シーズンオフに西川遥輝選手、大田泰示選手と共に「ノーテンダー」となりました。

秋吉 「ノーテンダー」という言葉すら知りませんでしたが、自由契約だなということは察しました。自分としては「まだやれる」という思いがありましたので、一時的に独立リーグに行って、状態を整えてNPBに戻れたらと考えました。

【タイトルを獲得したかった】

── 2022年は独立リーグの福井ネクサスエレファンツに在籍し、シーズン途中の7月中旬にソフトバンクに加入しました。入団会見で「日本ハムを見返す」と語りました。

秋吉 復帰戦で、清宮幸太郎選手に内角のスライダーを投げたのですが、2ランホームランを打たれました。ボール1個分甘くなりましたね。勝負事なので打たれてしまったことは仕方ありません。直後、甲斐拓也選手から「配球をもう少しこうすればよかったですね」という話をされました。

── 2022年はまだ33歳でした。失礼ながら、不調の原因はこれまでの登板過多だったのでしょうか。

秋吉 プロ入りしてから、60試合以上の登板を3年続けました。リリーバーで結果を出している投手が3、4年投げつづけていると、急に調子が落ちたりします。

やはり疲労が蓄積するのかもしれません。だから、リリーバーとして長年投げつづける投手はすごいと思います。

── 2023年は再び独立リーグの千葉スカイセイラーズに在籍しました。

秋吉 しっかり準備してやっていましたが、環境など、やはりNPBとはまったく違いました。結局1年で退団し、現役を引退することになりました。一緒にプレーした選手たちは、給料も含め厳しい環境のなか、みんなプロを目指して一生懸命やっていました。

── プロ野球人生のなかで、一番思い出に残っている出来事は何ですか。

秋吉 やはりヤクルトの2015年、74試合に登板して6勝22ホールドで優勝に貢献できたことです。十何年プレーしても優勝を味わえない選手がいるなかで、じつに貴重な経験でした。

── では、対戦したなかで印象深い打者は誰ですか。

秋吉 プロ1年目の時に対戦した巨人の高橋由伸選手、阿部慎之助選手ですね。ずっとテレビで見ていた選手と対戦できた時は、ほんとにうれしかったです。

── やり残したことはありますか。

秋吉 プロ2年目に74試合、3年目に70試合とリーグ最多登板でしたが、タイトルは獲れませんでした。最優秀中継ぎや最多セーブのタイトルを獲得したかったですね。

── 現在の活動について教えてください。

秋吉 野球塾で子どもたちに指導しています。ゆくゆくはプロ野球選手を育てられたらいいなと思っています。また講演会で、小学生に「夢に向かって頑張ること」「あきらめないこと」を伝えています。自分自身、小学生時代は控え選手でしたから。現役時代から、引退したら野球の普及発展に尽くしたいと考えていました。


秋吉亮(あきよし・りょう)/1989年3月21日生まれ。東京都出身。都立足立新田から中央学院大、パナソニックを経て、2013年ドラフト3位でヤクルトに入団。

1年目から中継ぎとして頭角を現し、2年目の15年にはチーム最多の74試合に登板して日本一に貢献した。17年には侍ジャパンの一員として第4回WBCに出場。6試合に登板して防御率0.00の好成績を挙げる。18年オフにトレードで日本ハムに移籍。19年は自己最多となる25セーブをマークした。21年オフに自由契約となり独立リーグでプレー。22年のシーズン途中、ソフトバンクに入団するも同年オフに戦力外を受ける。23年は選手兼コーチとして独立リーグに復帰するも、同年限りで退団し現役を引退。現在は講演、技術指導など野球の普及活動に励んでいる

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