蘇る名馬の真髄
連載第21回:マヤノトップガン

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第21回は、変幻自在の脚質でGⅠを4勝したマヤノトップガンを取り上げる。

『ウマ娘』でも描かれる超人的センス 変幻自在のマヤノトップガ...の画像はこちら >>
 多彩な面々が集う『ウマ娘』のなかでも、超人的なセンスの持ち主として知られるのがマヤノトップガンだ。レースに合わせて作戦を変え、あらゆる戦法でライバルを負かしていく。天才肌のキャラクターと言える。

 この特徴は、モデルとなった競走馬・マヤノトップガンのレースぶりを反映したもの。同馬はさまざまなレース運びによって、時代を彩った強豪馬を相手にGI4勝を挙げた。どんな脚質にも対応できる、類まれなるセンスが武器だった。

 1995年のGⅠ菊花賞(京都・芝3000m)では、先行抜け出しでビッグタイトルを初めて獲得。続くGⅠ有馬記念(中山・芝2500m)では、スタートから先頭を奪う作戦で逃げきり勝ちを決めた。さらに、翌1996年のGⅠ宝塚記念(阪神・芝2200m)では、2~3番手の好位で運んで悠々と押しきった。

 ここまでは、馬群の前目で運ぶ戦法が多かったが、この馬の"変幻自在ぶり"を印象づけたのは、そのあとだった。

 宝塚記念の勝利以降、マヤノトップガンはやや調子を落として3連敗を喫してしまう。そこで年が明けた1997年、コンビを組んできた田原成貴騎手がこれまでの好位抜け出しから追い込みのレーススタイルへと、大胆な脚質転換を図った。

 それを最初に試したのは、GⅡ阪神大賞典(阪神・芝3000m)。マヤノトップガンはスタート後から最後方でレースを進めた。そして、レース終盤の勝負どころとなる3~4コーナーにかけてスパートを開始。直線に入ると、豪快な末脚を繰り出して突き抜けた。脚質転換によって、久しぶりに手にした勝利だった。

 続いて挑んだのは、GⅠ天皇賞・春(京都・芝3200m)だった。

「春の盾」と呼ばれる天皇賞・春。この年は、「3強対決」に注目が集まっていた。前年の天皇賞・春と有馬記念を制したサクラローレル、悲願のGⅠ勝利を目指すマーベラスサンデー、そしてマヤノトップガンの3頭である。

 ここでも、マヤノトップガンは後方からじっくりとレースを進めた。レースがスタートして1000mほどの地点を通過した時、サクラローレルとマーベラスサンデーはちょうど馬群の真ん中あたりを追走。マヤノトップガンの栗毛の馬体は、その2頭より数馬身後ろのポジションを取っていた。

 動きがあったのは3コーナー手前。サクラローレルがかかり気味に2番手まで進出したのである。マーベラスサンデーは、そのライバルについていくように上がっていった。

 これに対して、マヤノトップガンだけは動かず、後方馬群でじっと息をひそめた。ライバル2頭との差は大きく開き、マヤノトップガンだけが「3強」の争いから脱落したように見えた。

 直線に入ると、早くもサクラローレルとマーベラスサンデーが先頭に立ち、2頭が熾烈なマッチレースを繰り広げる。その刹那、本領を発揮したのがマヤノトップガンだった。馬群のなかにいたはずの同馬は、いつの間にか大外に持ち出されると、後方から凄まじいキレ味を炸裂させた。

 先に抜け出した2頭よりもはるか外から栗毛の馬体が強襲。

2頭のマッチレースに注目していた観衆の視線がそちらに向けられ、テレビ中継の実況を務める杉本清アナウンサーも「大外から何か一頭突っ込んでくる。トップガン来た! トップガン来た!」と声をあげた。

 低く沈んだ栗毛の馬体は、ライバル2頭を一気にかわして先頭でゴール。勝ちタイムの3分14秒4は、従来の記録を大幅に更新する日本レコード(当時)だった。マヤノトップガンの脚質転換が完全に結実した瞬間だった。

 しかしその後、マヤノトップガンは屈腱炎を発症。このレースを最後に引退することとなった。キャリアの最後に見せた閃光のような末脚は、今もファンの心に刻まれている。

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