特別対談 DeNA・藤浪晋太郎×オリックス・森友哉(中編) 

 甲子園春夏連覇を達成した2012年の大阪桐蔭。甲子園での10試合を振り返った時、まず多くの人が思い浮かべるのは選抜初戦、大谷翔平を擁する花巻東との一戦だろう。

だが藤浪晋太郎と森友哉が真っ先に挙げたのは、別の試合だった。大阪桐蔭最強バッテリーが振り返る2012年の記憶とは。

【プロ野球】花巻東・大谷翔平との一戦より忘れられない試合 藤...の画像はこちら >>

【花巻東戦はあまり印象にない】

── あらためて、高校時代の話を聞かせてください。2012年の甲子園では10試合を戦い、春夏連覇を達成しました。これまで取材などで何度も振り返ってきたと思いますが、やはり一番聞かれるのは、大谷翔平選手との対決が話題になった選抜初戦の花巻東戦でしょう。

藤浪 たしかに聞かれますね。ただ花巻東戦については、今は大谷がこういう存在になったからこそ多く聞かれますけど、自分たちが甲子園の10試合を振り返った時に、あの試合がまず浮かんでくるかというと、そうではないですね。

 あの試合は......詳しく覚えてないです(笑)。

藤浪 あの試合も逆転で勝ちましたけど、試合として強く印象に残っているかと言われると、決してそうではない。選抜では光星学院との決勝はもちろん、浦和学院との準々決勝、九州学院との2回戦のほうが厳しかった印象があります。だから花巻東戦については、「大谷の花巻東に勝った」というよりも、大阪桐蔭として4季ぶり、僕らにとっては初めての甲子園でしっかり勝てたということが、自分にとってもチームにとっても大きかった。そういう意味合いの試合として印象に残っている感じですね。

 試合で言えば、浦和学院のほうが印象に残っていますよね。

藤浪 いい試合だった。9回の前にもヤマ場があって。

── 1対1の7回、ノーアウト満塁のピンチですね。ここを三者連続三振。圧巻の投球でした。

藤浪 思い出すのは、満塁になって西谷監督が守備のタイムを3回すべて使ったこと。まず満塁になったところで1回目、ひとり打ちとったところで2回目、そして2アウトになってから3回目。高校野球では1試合3回までと決められているタイムを、1イニングで使い切るなんてなかなかないと思います。当時は「また来た」「えっ、全部使いきっていいの?」みたいに思っていましたけど、勝負勘が働いたんでしょうね。さすがに2アウトを取った時は、もう来ないだろうと思ったら、澤田(圭佑/現・ロッテ)が3回目の伝令に(笑)。

 ほとんど覚えてないです(笑)。そんなことありました?

藤浪 まあ、心を揺さぶられるようなひと言があったわけではないし、ああいう場面で冗談を言って和ませるというのも大阪桐蔭のカラーではない。

話の中身としては、守備位置や状況の確認だったけど、その3回のタイムが効いて、あのピンチを無失点で切り抜けることができた。ただ、そこを凌いで9回に点を入れて勝ったのではなく、8回に勝ち越されて、そこからの逆転勝ち。厳しい展開だった。

【完全に負けたと思った】

── 1点を追う9回表。この試合は3番に入っていた先頭の森選手がライトへヒットを放ちましたが、二塁を狙ってタッチアウト。スタンドで見ていましたが、歓声が一瞬にしてため息に変わり、「勝負あった」と思いました。

藤浪 自分は、森がアウトになっても、負けるとは思わなかったんです。勝ったから言うわけじゃなく、「まだいける、まだいける」と。ベンチも、そういう空気でした。森はさすがに、ガックリしていましたけど。

 僕はもう完全に負けたと思っていました(笑)。そこはよく覚えています。僕のミス(パスボール)で8回に勝ち越されていたのもあって、「なんとかせな」と思って打って、二塁を狙ったらアウト。

「完全に終わった。やってもうた......」と。

── しかし、のちに聞いたメンバーの証言によれば、ベンチでは「まだ終わってないやろ!」と。副主将で、このあと勝ち越しタイムリーを放つ白水健太が先頭に立ち、大きな声を張り上げていたと。

 めちゃくちゃ言ってました。「まだこっからやろ!」「はよ帰ってこい!」「ハリーバックや!」って。

藤浪 大阪桐蔭は、アウトになったらダッシュでベンチに帰るという習慣があるからな。

 とはいえ、僕からしたらこの状況で勢いよく帰れるか!って(笑)。

藤浪 でも、そこからもう一度チャンスをつくって逆転。いよいよ追い込まれたところから食らいついていった粘り、泥臭さ。いつも西谷監督が「粘って、粘って、後半勝負」と言ってたけど、大阪桐蔭が目指してきた野球を体現できた試合だった。本当に、いい試合だった。

【澤田圭佑がいなかったら連覇はなかった】

── 浦和学院戦の大きな山を越え、準決勝は健大高崎、そして決勝では光星学院を下して選抜優勝。連覇となった夏は、甲子園大会ではなかなか使わない表現ですが、危なげなく勝ちきりました。選抜から夏にかけて、藤浪投手のボールは明らかにレベルが上がっているように見えました。

藤浪 夏の甲子園では、1回も先制されていませんし、1回もリードを許しませんでしたからね。だいたい、1番の森が初回に打って点が入って、そこからスタートする感じだった。

 うしろのバッターが頼もしすぎて、「自分が打たないと」とか、「ここで決めよう」とか思うこともなく、楽しく打席に入っていました。本当に野球を楽しんでやれていたのが、高校2年の時でしたね。3年になると、連覇のあとのチームでキャプテンにもなって、重圧というか、しんどいことが多かった。だから振り返ると、2年の時の先輩たちのありがたさを、あらためて感じます。

藤浪 あの夏を振り返ると、際どい展開になったのは大阪大会決勝の履正社戦くらいかな。自分も打たれたけど。

 あれは高校野球の醍醐味というか、ならではですよね。勢いや流れで、ああいうことが起こるという......。

藤浪 それ以外、説明がつかない。高校野球の怖さが出た試合。ただ、大阪桐蔭には自分のうしろに澤田がいたことが大きかった。

── 7回終了時点で10対1から、8回に猛追を受けて3点差と迫られたところで、走者を置いて澤田にスイッチ。最後は10対8で逃げきりました。

藤浪 大阪大会も甲子園も含め、澤田がいなかったらあの連覇はなかったと思います。

【大阪桐蔭は鍛え方が違う】

── 選抜では、先の浦和学院戦でも先発し、夏は3回戦の濟々黌戦で完投し、大竹耕太郎投手(現・阪神)から一発も放ちました。この濟々黌戦のあとの準々決勝からは、3試合連続完投。3年間のピークを、まさにここに持ってきたかのような圧巻の投球でした。

 藤浪さんのすごさは、スタミナを心配することがなかったことです。本当に"スタミナおばけ"で、エンドレスで投げ続けられる。ふつうは大会が進むにつれて疲れていくはずなのに、どんどん調子が上がってきますから。

「なんで? こんなピッチャーおる?」と思いながら受けていました。

藤浪 こうやって思い出していくと、いつも(夏の甲子園準決勝の)天理戦で、余計なことをせんかったらよかったって思うんですよ。あとひとりで完封というところで、球場も「真っすぐ勝負やろ」みたいな雰囲気になって、そこに乗って真っすぐを続けたら、ドンピシャのタイミングで打たれて、レフトスタンドに一直線。

 7球連続ストレートを続けたんですよね。

藤浪 スライダーを投げていたら、100パーセント三振を取れていたはず。そうしていれば、夏の最後に3試合連続完封で優勝していた。今なら、3試合連続完投もなかなかないよな。

 ほんとスタミナの心配がなかった。決勝のあとでも、もう1試合くらい完封できていましたよ(笑)。

藤浪 まあ、練習の成果やな。

 大阪桐蔭は鍛え方が違う(笑)。

藤浪 でも真面目な話、それだけやってきたという自負はありました。「あれだけやったんやから」と。たしかに疲れはあっても、「オレはいける、まだいける」と思って投げていました。あの場所で、そう思えるかどうか。これは大きいと思います。

つづく>>


藤浪晋太郎(ふじなみ・しんたろう)/1994年4月12日生まれ。大阪府出身。大阪桐蔭ではエースとして2012年に春夏の甲子園連覇を達成し、最速160キロの剛腕で注目を集めた。同年ドラフト1位で阪神タイガースに入団。プロ1年目から3年連続2ケタ勝利を挙げるなど活躍したが、その後は制球難に苦しむ。23年にメジャーリーグへ挑戦し、アスレチックス、オリオールズでプレー。24年のシーズン途中にDeNAと契約し、3年ぶりの日本球界復帰を果たした

森友哉(もり・ともや)/1995年8月8日生まれ。大阪府出身。大阪桐蔭2年時の2012年に藤浪晋太郎、澤田圭佑らとバッテリーを組み、甲子園春夏連覇。13年は主将として春夏甲子園出場を果たした。同年、ドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団。2年から正捕手として活躍し、19年には打率.329でパ・リーグ首位打者とMVPを獲得。ベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞した。23年からはオリックス・バファローズでプレーし、攻守の要として存在感を示している

編集部おすすめ