プロ12年目でWBCに初出場するソフトバンク・松本裕樹は、かつて「大谷翔平2世」と呼ばれていた。高校時代に最速150キロを投げ、通算54本塁打の打棒を誇り、同じ右投げ左打ちの二刀流として注目されたのだ。

 神奈川県生まれの横浜育ちだが、高校は地元を離れて盛岡大学附属に進学した。

「モリフ(盛岡大附高)の監督さんが熱心に声をかけてくださったのもありましたし、(瀬谷)ボーイズの先輩も進んでいた。モリフに限らず、県外で野球をやっていた先輩たちを見ていると、すごく集中できる、いい環境のなかで野球を頑張れるのかなと感じていました。僕は野球を始めた時からプロ野球選手になることを目指していたので、野球のことを第一に考えました」

 入学してすぐにベンチ入り。背番号11の控え投手ではあったが、時折マウンドに上がる機会はあった。

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【大谷翔平に特大アーチを浴びる】

 まだ高校最初の夏を迎える前のことだ。

 6月に行なわれた春季東北大会。岩手1位で出場した盛岡大附は準々決勝で、同3位の花巻東と激突することになった。夏の県予選を控えるなかでエースを温存したかったのか、1年生の松本が先発に指名された。

 当時「打ち勝つ野球」を目指していた盛岡大附に対し、花巻東も容赦をしない。試合はノーガードの打ち合いになった。そして盛岡大附が8対5と3点リードして迎えた5回だった。
 
 松本が投じた渾身の1球。

それを完璧に弾き返されたのだ。自身のはるか頭上を越えた打球は、青森市営球場のバックスクリーンにズドンという衝撃音を残して直撃した。
 
「それが2学年上の大谷(翔平)さんでした。あの日、大谷さんはピッチャーではなく外野で出場していましたが、本当にものすごい打球。やっぱり特別。ああいう人が二刀流をやれるんです。僕のバッティングなんて全然大したことない」

 その後、松本は投打ともにめきめきと力をつけ、世代ナンバーワンクラスの評価を得て、結果的にソフトバンクからドラフト1位で指名。高校では二刀流としても注目を集めたが、プロでは投手に専念する道を選んだ。

 入団後も、球団の編成担当者が「今からでも野手に専念して遅くない」と語るほど、その打力は高く評価されていた。それでも松本は「そこそこはできるかもしれないけど、そこそこでしかない。やっぱり投手のほうが......」と口にしたのは、大谷の衝撃アーチを体感したからだった。

 また、それはマウンドに立つ者の矜持だったのかもしれない。

【ジョーカーから勝ちパターンへ】

 しかし松本の才能が開花するまで、随分と時間がかかった。若い頃は故障との闘いだった。

 高校時代の終わりに右ヒジを故障した影響がプロに入ってからもしばらく続き、ルーキーイヤーは10月の秋季教育リーグで1イニングを投げたのみだった。

 2年目からはファームで登板を重ねるようになったが、その姿は現在の松本とも、さらには高校時代の全盛期ともまるで別人のようだった。直球の球速は140キロ前後にとどまっていた。

 それでも以前から相手打者の打ち気をかわす投球術に長けており、それを実践できるだけの制球力も備えていた。しかし、ファームで技巧を駆使して抑える姿に対し、先輩投手から「おじさんピッチング」と陰で揶揄されたこともあった。

 ソフトバンクの背番号66の前任者は、「負けないエース」の異名を取り、沢村賞2度の大投手・斉藤和巳だ。その強烈なイメージと比べられることもあったが、松本はいつも淡々と投げていた。

 ただ松本は、決して「本当の姿」をあきらめたわけではなかった。治療院にも通い、さまざまなトレーナーにも頼り、そのなかでヒントを得ていった。

 2020年3月のオープン戦で、当時自己最速となる152キロをマーク。ようやく元に戻った。

そこからは積み上げていく作業だった。

 当初は、先発で活路を見出すつもりだった。2021年は33登板中7試合で先発し、最後は中継ぎでシーズンを終えた。2022年も「中継ぎに転向したつもりはない」と、開幕ローテーション争いをした。だが、このシーズンの夏場にひとつの転機が訪れた。

 同年7月8日の日本ハム戦(PayPayドーム=現みずほPayPayドーム)。2対2で同点の9回表に当初マウンドに上がったのは又吉克樹だったが、先頭打者の打球処理で一塁ベースカバーに向かおうとした際に右足を負傷(その後、骨折が判明)。無死一塁の場面からスクランブル登板したのが松本だった。

 松本は二死満塁とピンチを広げてしまったが、最後は野村佑希をオール直球で3球三振。前日は敵地・楽天戦で4回途中からリリーフし、2回無失点。この日は移動ゲーム直後の緊急登板という条件下で、シーズン初ホールドを記録した。

 それまではあらゆる場面で起用される"ジョーカー"としての役割が主だったが、藤本博史監督(当時)の口から「松本は(イニングの)後ろのほうで考えている」「松本は勝ちパターンのところで」と聞かれるようになり、セットアッパーの役割をまかされる試合が増えていった。

 そうして松本は、絶対的セットアッパーの地位を確立していったのだった。

【憧れのヒーローは松坂大輔

 昨季は「8回の男」として51試合に登板して防御率1.07と抜群の安定感を発揮。39ホールドを挙げて最優秀中継ぎの初タイトルを獲得した。直近3シーズンだけでも87ホールドをマークしている。

 侍ジャパントップチームへの初選出は、昨秋の韓国との強化試合だった。その期間にピッチコムやピッチクロック、さらにボールへの対応を経験しているのは強みになる。

「1月の自主トレからWBC使用球で練習してきました。ボールについてはそんなに気にならないですね」

 侍ジャパンの救援陣は、14日からの宮崎合宿を直前にして立て続けにアクシデントに見舞われた。西武の平良海馬が春季キャンプで左ふくらはぎに違和感を覚え、7日に「左ふくらはぎの軽い肉離れ」で全治2~3週間との診断が発表。11日に出場辞退が発表され、急きょ楽天の右腕・藤平尚真が追加選出される事態となった。

 その動揺が収まらないうちに、12日には阪神・石井大智の出場辞退も発表された。前日の紅白戦で痛めた箇所が「左アキレス腱損傷」だったことが判明したためだ。

 平良は昨季31セーブでパ・リーグのセーブ王に輝き、石井は昨季53試合に登板して失点はわずか「1」で、防御率「0.17」と驚異的な数字を残していた。

 はたして、松本はどんな局面で起用されるのか。ソフトバンクでは役割がはっきりしている分、ブルペンでの準備に負荷がかからないよう考慮されているが、WBCではそうはいかないかもしれない。

「でも、もともといろいろな役割を担っていましたから。経験があるので」

 野球との出合いは4歳だった。兄が所属していたチームの練習に顔を出すようになり、小学校入学と同時に正式入部した。
 
「小学2年生の頃には、もうピッチャーをやっていました。自分から希望したわけじゃなかったけど、気づいたらピッチャーでした」

 憧れのヒーローは松坂大輔だった。マウンドに立つ時は、松坂モデルのグラブをはめていた。松坂は2006年の第1回、2009年の第2回WBCでいずれも侍ジャパンの優勝に貢献してMVPに輝いている。

 第1回WBCの時、松本は小学3年生で、第2回の連覇時は小学校を卒業したばかりだった。

「ただ、自分がやるのに夢中であまり野球を見ていなかったから、そんなに覚えていなくて」

 侍ジャパン必勝リレーの柱は、そう言って小さく笑った。

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