与田剛が明かす2009年WBC 守護神交代の真相(後編)

 それは第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表監督に、原辰徳の就任が決まってからまだ10日も経たない頃のことだった。与田剛の携帯電話に、見知らぬ番号から着信が入った。

「普段は知らない番号には出ないんですが、なぜかあの時は通話ボタンを押しちゃったんですよね」

 すると、受話器の向こうから聞き覚えのある張りのある澄んだ声が響いた。

「与田くん? 巨人軍の原です。今、電話大丈夫?」

 その名前を耳にした瞬間、与田は全身の力が抜けるような感覚に襲われたという。

 そして原は端的にこう切り出した。

「一緒に日の丸を着て戦わないか?」

 その言葉は、17年の時を経た今も、与田の耳に鮮明に残っている。「日の丸を着て戦う」──。それは原特有の表現による、コーチ就任の打診だった。

「私でよければお手伝いさせてください」

 与田は即答した。

【WBC】絶対に負けられない戦いの裏側 与田剛が回想する "...の画像はこちら >>

【選手、首脳陣を悩ませた球数制限】

 代表チームのブルペンを預かる──それは、単に投手の準備を整えるだけではない。直前の強化合宿から大会終了までを見通した調整メニューを組み、投手一人ひとりの状態を把握する。そしてベストの状態でマウンドへ送り出す。

 シーズンの公式戦と大きく異なるのは、当然ながら「絶対に負けられない試合づくり」を完遂することだ。

 そこで弊害となったのが、球数制限だった。

この第2回WBCは、第1ラウンドは70球、第2ラウンドは85球の球数制限が設けられていた。これでは先発がいくら好投していても、制限に達すると交代しなければならない。つまり、ひとりの投手に試合をまかせることはできない。

 そこで原と投手コーチの山田久志、与田(ブルペン担当)は、ある策を練った。

 先発タイプをふたり置き、「第一先発」「第二先発」として継投させてはどうかというものだ。仮に第一先発が4回で降板しても、第二先発がしっかり4イニングを担えば、あとは抑えの藤川球児へとつなぐことができる。

 招集された投手は先発タイプが多く、リリーフ専門は馬原孝浩、山口鉄也、藤川の3人だけだった。

 しかし、今でこそセオリーのように語られるこのWBC独特の分業制も、当時の代表選手たちにとっては複雑なものだった。

 与田は言う。

「誰も口にはしませんが、第二先発を命じられる側からすれば、『なぜオレが第一先発じゃないんだ』と思う投手もいたはずです。チームに戻れば、誰もがバリバリのエースなのですから」

【ベンチの焦りを投手陣に伝えてはいけない】

 大会終盤、原は冗談めかして山田と与田にこんなことを漏らしたという。

「内海、もう少し投げさせてやりたかったな」

 そこまで内海哲也は、第2ラウンドの韓国戦に先発し、3回途中まで投げたのみの1試合だけの登板だった。原は苦笑しつつ、こう続けた。

「内海も巨人のエースなんだからね」

 誰もがシステムとしての分業を理解しつつも、まだ心が追いついていなかった。与田が反省をこめて語る。

「コーチとして、あの子たちの気持ちをどれだけ察しながらチームを運営できていたのか。今振り返れば、足りないことだらけでした。僕の未熟な部分を選手たちがフォローしてくれたからこそ、勝てたのだと思います」

 そして与田はこう続けた。

「シーズンの公式戦もそうですが、ブルペンという場所は、グラウンドとはまた別の空気が流れるところなんです」

 グラウンドで緊迫した展開が続く最中でも、ブルペンにはどこか"他人事"のような、肩の力が抜けた空気が漂っているという。緊張するのは、自分の出番が回ってきた時だけでいいというのが与田の持論だ。

「それはWBCでも同じでした。あの時、最年少だったマー君(田中将大)が、涌井(秀章)ら年上の選手にいじられたり、ピンチの場面でもグラウンドコートを着た選手同士でじゃれ合ったりしていました」

 そんな若い投手たちを眺めながら、与田はマウンド上の投手の球数をカウンターで数え、次に登板する予定の投手へ指示を送る。

「ベンチは、不安から常に誰かをつくっておいてほしいと願うわけです。でも、その焦りを投手陣に伝えてはいけないし、悟られてもいけない」

 たとえベンチから急かされていても、与田は「体は冷えてないか?」といったように、努めて淡々と選手に指示を出した。さらに、「投げすぎないように。

そこはおまえにまかせるよ」と、選手それぞれの感覚を尊重した。

【ブルペンには"生身の人間"がいる】

 与田には、コーチに就任した時から決めていたことがある。それは進言する際、たとえば「次、誰にしましょうか?」と伺いを立てるのではなく、「彼でいきましょう」と自分の意思をぶつけることだ。

「ベンチにいる人たちは、紙のメンバー表を見ている。でも、ブルペンには"生身の人間"がいるんです。誰が誰と話しているか、誰がボーッとしているか。じっと見ていると、その日の仕上がり具合がわかる。データ上の順番よりも、今この瞬間に状態のいい投手を送り出す。それを伝えるのが、現場にいるコーチの責任でした」

 配置転換を受け入れた藤川に対して、与田は今も「ケアが足りなかった」と自責の念を抱いている。だが、藤川はその後も腐ることなく、決勝のブルペンでも集中力を研ぎ澄ませ、準備を怠らなかった姿に、与田は深く感謝している。

 選手を送り出す際、与田は必ず「選手同士の触れ合い」を見守った。田中、藤川......投げない選手たちが醸し出す空気、交わされるグータッチ、そして一人ひとり異なる表情。

そのハイタッチの瞬間に生まれる熱が、選手を勢いよくマウンドへと押し出す。

 日の丸を背負った男たちが、最も孤独で、最も熱いマウンドへと向かう。その一歩を後押しする与田の視線は、常に戦う選手たちの揺らぎに向けられていた。

「どんな采配が賞賛されようとも、最後に結果を出すのは選手たちです。私は、その背中をほんの少し押してあげるだけ。それがブルペンコーチなんです」

 今でも与田はそう信じている。

編集部おすすめ