金光大阪「伝説の部長」櫻井富男インタビュー(後編)

 金光大阪野球部の歴史の扉を開いた吉見一起との思い出は、高校卒業後にも広がっていく。吉見はその後、トヨタ自動車を経て、2005年のドラフト希望枠で中日に入団。

その知らせに、熱心な中日ファンだった櫻井富男の両親は大いに喜んだという。

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【父の誇りだった吉見一起の仲人】

「とにかく、親父とおふくろが喜んでくれたのが、私にとってもうれしかったですね。この2月で親父が亡くなって1年になりますが、棺のそばには、吉見が中日を引退した時の『月刊ドラゴンズ』を一緒に置いたくらい、中日も吉見も大好きでした。

 私は吉見の仲人も務めたのですが、それがまた親父の自慢でしてね。晩年は入院生活が続いていたのですが、どこの病院でも『ウチの息子は吉見の仲人をした』と話していたみたいで。見舞いに行くと、まず看護師さんから『吉見選手の仲人をされたんですね』と言われるほどでした。だから私にとって、一番の親孝行は、吉見が中日に入ってくれたことでもあるんです」

 櫻井はこれまでに2組の仲人を務めており、1組が吉見、もう1組が横井一裕だ。26年前、"先生"と"生徒"として始まった関係は、やがて部長と監督という立場へと変わり、じつに約30年にわたって続いてきた。

 櫻井に監督・横井について尋ねると、自慢の教え子を語る師のように、言葉が次々とあふれ出してきた。

「何より感心するのは、とにかく妥協しないところです。たとえば翌日に大会が控えていて時間がないときでも、やるべきことだけを済ませて生徒を帰し、自分は明日の作戦を考えればいいと思うような場面でも、ボールがひとつ落ちていたり、何か引っかかることがあれば、いつもどおりしっかり話をする。今日やるべきことは、その日のうちにやりきる。そのあたりは徹底しています。

 50歳を過ぎて少し丸くはなってきましたが、今でも練習では声を張り上げて、『おかしいことはおかしい』『間違っていることは間違っている』とはっきり伝えています。ただ、それもすべて子どもたちを思ってのこと。とにかく愛情が深いんです。彼が最も憧れている監督は澤井龍平ですが、その澤井さんも同じような方でした。だから横井が監督になってから10年くらいは、叱り方もミーティングでの話もよう似ていましたね」

【最大のタイムリーヒット】

 エネルギッシュな一方で、はみ出ることはしないとも語る。

「いまでも、必要なものがあって部費を使う際には、どんな少額でも必ず事前に私の許可を取りに来るんです。『あとでもいいでしょう』とは決してならない。お酒もそれほど飲まないし、野球が趣味のようなもの。授業も担任業務もきっちりこなし、今は生徒指導部長も務めています。ひと言で言えば真面目。そこが私とも合ったんでしょう(笑)」

 高校野球の世界では、監督と部長の関係がこじれることも少なくないが、櫻井と横井の間にはそうしたトラブルは一切なかった。練習後のスタッフルームで「先に失礼するで」と櫻井が腰を上げると、横井やコーチたちから「お疲れさまでした!」と明るい声が返ってくる。そんな温かな空気が、最後まで変わることはなかった。

「横井に『こうしたらどうだ?』と口を出すことはほとんどなかったし、あいつも私に『こうしてください』と言ってくることはほとんどありませんでした。お互いに自由にやれていたと思います。もちろん教え子という関係もあったのでしょうが、しっかり立ててくれましたし、私自身に監督としての欲がなかったことや、選手として一流ではなかったことも、うまくいった理由かもしれません。

 でも、いい監督ですよ。だから今になって思うのは、金光大阪で野球部に関わるなかで、私にとって一番の仕事は横井一裕君に監督として白羽の矢を立てたことだった、ということです。これが私の野球人生の最大の"タイムリーヒット"だったと思っています」

 毎日、監督や部長の姿を見ている生徒たちは、「この人たちに嘘はない」「信頼できる」と感じていったのだろう。そうした信頼はやがて、監督、部長、スタッフが一枚岩となった空気としてチーム全体に広がり、選手たちにも伝わっていく。その積み重ねこそが、金光大阪野球部の伝統とも言える一体感や熱を生み出していったのだろう。

【5度目の甲子園は果たせず】

 櫻井にとって最後の大会となった昨秋は、まさに「これぞ金光大阪」と言える、しびれるような戦いの連続だった。逆転、サヨナラ、そしてまた逆転──。事前の戦力予想からすれば失礼ながら、大阪3位から近畿大会出場という結果は想像しがたいものだった。

 新チーム発足時、選手たちに向けて横井が口にした言葉が、その始まりだった。

「いよいよ3月末で櫻井先生が退職や。

もう一度甲子園に連れて行って、最後の公式戦を甲子園で戦わせてあげたい。勝っても負けても、胴上げして送り出したい。そのためにも、まずは近畿大会。全員で力を合わせて行こうやないか!」

 普段からの信頼関係が築かれていなければ、選手の気持ちは簡単にはひとつにならない。しかし、こうした局面で一気に結束できるのが金光大阪というチームだ。見事な戦いぶりを見せた。

 大阪大会初戦は春日丘に10対0のコールド勝ちと好スタートを切ったが、その後は接戦の連続だった。関大一には3対2のサヨナラ勝ち、東大阪大柏原には4対3、箕面学園には4対1と、いずれも逆転で勝利。興国を3対1で下してベスト8に進出した。

 準決勝では大阪桐蔭に敗れたものの、2点差まで食い下がる粘りを見せる。続く3位決定戦では、相手部長が金光の教え子でもある太成学院大高に勝利し、近畿大会出場を決めた。

「ヨッシャーーッ!!」

 大会中、勝利が決まるたびにベンチには歓喜の雄叫びが何度も響き渡った。

そのなかで、横井と櫻井は真っ先に手を取り合い、さらに──。

「秋はそこにハグも加わりました(笑)。本当に劇的な試合が続いて、選手たちがよくやってくれたおかげで、最後の最後にいい思いをさせてもらいました」

 試合後のベンチ裏では選手たちが涙を流し、横井も何度となく感極まった。部長のために、監督が純粋に涙するチームがどれほどあるだろうか。

 あとひとつ勝てば選抜出場が見えた近畿大会では、初戦で同大会優勝、神宮大会準優勝を果たした神戸国際大付に1対3で惜敗。通算5度目の甲子園出場で櫻井の勇退に花を添えることはできなかった。

 あと一歩のところで思いは叶わなかったが、それでもこの結果もまた、泥臭い戦いを身上とし、汗と涙がひときわ似合う金光大阪を長年支えてきたベテラン部長のラストにふさわしいものだったと言えるだろう。

【部長退任後にやりたいこと】

 それから数カ月。ひとつの節目を前に、櫻井はしみじみと40年余りの歳月を振り返った。

「昔、うまいことを言う校長がいましてね。『生きがいをお金に変えてはいけません』って。今ならそんなことを言うと叩かれるのかもしれませんが、あの頃は、1カ月の給料のなかに教員として、また野球の指導者としてのやりがいや生きがいも含まれていると思ってやっていました。

 いい時期に教員をさせてもらい、野球部にも関わらせてもらって、いいタイミングで区切りを迎えることができた。中学生の頃に『将来は体育の先生になりたい』と思ったのが始まりですから、今になって、いい職業を目指したなと、つくづく感じています」

 今春で退任するという話が伝わり始めると、教え子や関係者からの連絡が相次いだという。これからは、教え子や仲間たちとともに、40年余りの思い出を振り返りながら、穏やかで楽しい時間を過ごしていくのだろう。

「4月からは時間もできますから、これまでお世話になった学校や横井監督に、ボランティアという形で恩返しをするのがひとつの役目かなと思っています。あとは、土日も夏休みもなく家のことを任せきりだった妻への恩返しですね。ここを一番頑張らないといけません」

 ここでもまた優しい笑みを浮かべ、いよいよひとつの区切りの時を迎える。選抜決勝が行なわれる3月31日、思い出の詰まったグラウンドで、部長として最後の務めを果たす。

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