連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
町田樹(フィギュアスケート)インタビュー@後編

◆町田樹・前編>>引退後に研究者となった「プロフェッサー」の膨大な仕事量
◆町田樹・中編>>フィギュア解説で気になる「演技の世界観」という表現
◆町田樹フォトギャラリー>>

 解説者、研究者として活躍する町田樹さんは現在36歳。現役時代はソチオリンピックに出場、世界選手権で銀メダルを獲得するなど華々しい成績を残したが、2014年の全日本選手権終了後に突然引退を発表し、周囲を驚かせた。

 そんな町田さんは、現役アスリートの引退とセカンドキャリアをどのように考えているのだろうか。

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町田樹「フィギュアしかない」劣等感から研究者を目指すまで 「...の画像はこちら >>
── 競技者から研究者への転身についてお聞きしたいです。

「お恥ずかしいことに、私は大学7年生まで行ってるんですね。フィギュアスケートにかまけて、単位取得を怠っていたんです。

 10代の頃から、選手として名を馳せれば、将来もスケート業界で働いていけると信じていました。大学までは特待生や推薦で進学して、進路に迷ったことも、受験のために努力したこともなかった。友人が進路に悩み、必死に勉強するのを、がんばっているなと傍観していたんです。

 自分にはフィギュアがあるから生涯安泰だと、ある種の優越感を持っていました。ところが、大学の同期は就職活動をして、4年で卒業していく。彼ら彼女らのリクルートスーツ姿は眩しかったです。それと同時期に、自分も引退が視野に入ってくる。スケートリンクが減り、この業界の市場規模が小さくなるなか、コーチや振付師はすでにたくさんいる。

どうするんだ......と、自分が信じてきたものが崩れたんです。

 その時、『フィギュアがあるから大丈夫』という優越感が、『自分にはフィギュアしかない』という劣等感に、一気に変わりました」

── そこから、研究者という目標を見つけたのですね。

「とある大学の先生が、『あなたは研究者に向いているんじゃないか』と言ってくださったんです。あんまり単位は取っていなかったけれど、勉強すること、本を読むこと、書くことは大好きでした。その特性を見てくださった。自分では、何をしたいというアイデアが特になかったんです。好きなことがどう職業に結びつくか、イメージできていなかった。あの言葉は福音でした。

 せっかく向いていると言ってくださったし、読むことや書くことが好きなら、研究者としてそれができる。思いきって退路を断ち、研究者一本でやっていくことを目指そうと思いました。

 そこからはアスリートと一緒です。目標を設定し、達成するために何が足りないかを分析し、それを手に入れる努力をする──。

私も研究者になると定めて、足りないものをひとつずつ身につけました。正直に言えば、当時はWordもExcelも使えなかったので、パソコンの使い方から勉強しました。研究力も語学力も必要です。そういった基本的なことから始めました」

── 過去に取材した選手で、現役を辞めて会社に入ったものの電話をとることすらできず鬱状態になった、という経験をした人がいました。アスリートからスポーツの外の世界に出ることは、我々の想像以上に大変なのではないでしょうか。

「私はアスリートから研究者へと転身する過程で、いろんな人に、ものすごく怒られました。ともすれば、アスリートは、『他者に対して自分には何ができるか』という視点が欠如しがちなんです。もちろん全員ではありませんが、特に私にはそういうところがありました。

 スポーツの勝負では、自分に一番有利な方向を考えて動くことが仕事です。でも、世の中のほぼすべての仕事は、他者のために何ができるかという観点で動いている。決定的に視点が違う。そのまま社会に出ても、受け入れられない。

切り替える努力が必要です。

 たとえば、私は『報告・連絡・相談』ができないところからでした。『それ言ってないじゃん』『なんで勝手に進めるの』と怒られた。『報・連・相』は他者との関係を築き、協調するための手段ですが、その一丁目一番地ができなかった。そういうところから変えないと難しいと思います」

── 医学やトレーニング方法が進化し、選手の現役期間は長期化しているように思います。一方で、町田さんのようにセカンドキャリアにスムーズに移行することを考えると、転換は早いほうがいい。そのあたりはどう思われます?

「極めて難しいです。私は『継続は力なり』を、同世代の仲間から学びました。若い頃、絶対に勝てないと思う才能を持った選手がたくさんいました。でも、その多くが受験や家庭の事情などで去っていった。私は続けたことで、全日本2位になり、五輪代表になれた。あの才能豊かな選手たちがもし続けていたら、私は五輪の舞台に立てなかったかもしれません。

 ただ、継続していればいいわけでもない。アスリートは永遠にはできないので、辞める時を見極める必要があります。『ここまで続けたから、まだやれるはずだ』と妄信することになるのだとすれば、継続が足かせになるかもしれない。

 人間の欲望は果てしないんです。世界選手権で準優勝した時、演技を終え、銀メダルをいただいて、ホテルのお風呂に入りながら『これだけの演技ができたら、明日死んでもいい』と本当に思いました。でも翌朝には、次の大会でメダルを取りたいと思っている。その時にはさすがに自分自身に、『おまえ、昨日と言っていることがもう違うじゃねぇか』とツッコミを入れました(笑)。それだけアスリートの欲望というのは、止めることが難しいのです。

 欲望は膨れ上がる一方、身体はどこかでピークを迎え、必ず衰えていく。私には2014年末、その予兆がありました。若手も成長してきていたし、大学院にも受かっていた。次のキャリアの見込みが立っていたからこそ、冷静にそのピークを見極めて引退することができたのだと思います」

── 今後について、どのように考えていらっしゃいますか?

「アスリートは技術を積み重ねても、大きなケガで根こそぎ崩れてしまうリスクがある。

私は常にその恐怖感を持って、ケガのリスクを感じた時には一線を越えないよう意識してトレーニングをしていました。無理をして得られるものと、ケガのリスクを天秤にかけ、その境界を見極めていたんです。そういう観点を常に忘れずに選手活動をしていました。

 一方で研究者は、そのような心配がなく、努力した分だけ着実に積み重ねていけます。先人の研究を踏まえるからこそ新しい発見が可能となることを意味する、『巨人の肩の上に乗る』という格言があります。つまり、巨人というのは、先人たちの歩みと積み重ねを表す比喩なのです。

 私もひとりの研究者としてその巨人を成長させていくことに少しでも貢献できるようがんばりたいですし、長く研究に取り組み、解説や振り付けを通じて、現場にその知を還元する活動にも邁進したいと思っています」

(了)

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【profile】
町田樹(まちだ・たつき)
1990年3月9日生まれ、神奈川県出身。3歳でフィギュアスケートを始め、2006年に全日本ジュニア選手権で優勝。関西大学進学後に頭角を現し、2013年のスケートアメリカ、ロステレコム杯を制した。2014年ソチオリンピック男子シングルで5位入賞。同年の世界選手権では羽生結弦と0.33点差の銀メダルを獲得した。2014年に競技生活を終え、研究者を目指して大学院へ進学。

2018年にプロスケーターとしての活動も終えた。2020年に早稲田大学大学院で博士号(スポーツ科学)を取得。現在は國學院大學人間開発学部健康体育学科准教授を務め、スポーツ科学者、著述家、フィギュアスケート解説者として活動している。身長162cm。

了戒美子●取材・文 text by Yoshiko Ryokai

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