この記事をまとめると
■アメリカで誕生しアメリカでブームとなったマッスルカー■1950年代に上級車用エンジンを中級車に搭載したのがマッスルカーの始まり
■1960~70年代に入るとマスタングやカマロが人気を博して現在のマッスルカーの形ができあがった
中級車+大排気量高性能エンジン=マッスルカー
マッスルカーという言葉は、アメリカ車のファンにはとても馴染みのあるものだろう。逆に考えればアメリカ車に興味がない人にとっては、カーマニアであってもそれはせいぜい直線勝負のアメリカ製スポーツカーといった程度の認識かもしれない。
事実、マッスルカーはアメリカで生まれ、アメリカでひとつの流行を作り上げたクルマであるから(一部の車種はオーストラリアやアルゼンチンで現地生産され、アメリカに輸入されたものもある)、いくらマッスル=筋肉という力強い名前を掲げたモデルでも、その例をあげるのは容易なことではない。
そもそもマッスルカーがアメリカで誕生したのは1950年代を迎える前後の話である。その基本的なコンセプトは、上級車に使用されている大排気量の高性能エンジンを、比較的リーズナブルな中級車に搭載するというもの。
クライスラーが331立方インチ(5.4リッター)のV8エンジンを中級車のサラトガに搭載すれば、フォードは317立方インチ(5.2リッター)のV8をリンカーン・カプリに搭載。GMに至っては1949年の段階で、オールズモービル98の303立方インチ(5リッター)V8エンジンを移植したオールズモービル・ロケット88を発表していたくらいだった。

1950年代前半にはストックカーレースの世界をも巻き込み、初期のマッスルカーの世界は作り上げられていったのだ。
リーズナブルな価格もマッスルカーの条件だった
マッスルカーの条件としてもうひとつ大切だったのは、その価格がリーズナブルであることだった。それを1960年代に入ってとくに強く意識したのはクライスラーで、GMやフォードが掲げたプライスよりも手頃な価格は、マッスルカーには必要不可欠な条件ともなった。
ポンティアックGTO、396シボレー・シェベル、ビュイック・グランスポーツ、オールズモービル442といったGM勢に、フォードはマーキュリー・コメットサイクロン、マーキュリー・サイクロンといったモデルをラインアップし、マッスルカー市場において高い評価を得る。

しかし、クライスラーはそれに対してプリマス・ロードランナーやダッジ・スーパービーなどのモデルをリーズナブルなプライスで販売。それらに象徴されるマッスルカーは、1960年代から1970年代にかけて、マーケットへの大きな影響力と、メーカーへの収益をもたらしたのだ。
1970年代を迎えると、シボレー・カマロやフォード・マスタング、プリマス・バラクーダといった、いわゆるポニーカーの人気が高まり、それらはいずれも比較的コンパクトで軽量な2ドアボディを持ち、かつ手頃なプライスを設定。そして何よりドラッグレースにも参戦できるストリートでの運動性能を発揮できることから、これらもまたマッスルカーとみなすべきではないのかという議論も持ち上がる。

だが不運にもマッスルカーの人気は、1970年代の大気浄化法や燃料危機、保険料の増加などにより年々低下。その存在が再び表舞台へと帰ってくるのは、1980年代を待たなければならなかった。
ちなみに現在、日本に正規輸入されているマッスルカーにはどんなチョイスがあるのか。そのサイズや価格を考えれば、シボレーのカマロが唯一の存在ということになるだろう。

設定されているエンジンは、2リッターの直列4気筒ターボと、6.2リッターのV型8気筒の2タイプ。マッスル・カーを名乗るのならば選択は後者の一択で決まりだろう。そのダイナミックな走りは、強い刺激に満ち溢れている。