この記事をまとめると
■AE86ことトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ



■いまや伝説と化した名車だ



■AE86が新車で登場した時の印象を振り返る



トレノよりレビンの人気が高かった

日本のモータリゼーション史に残る名車、AE86型トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノが誕生したのは1983年5月。ドリフトなどのモータースポーツシーンではいまだ現役で活躍しているが、デビューから40年が経った立派な旧車だ。



それほど歴史を重ねてきたモデルだけに神格化されている部分もあるが、はたして新車で販売されていた時期の評価はどうだったのか。

齢54歳、リアルタイムにAE86の盛り上がっていく様子見ていた筆者にとって、AE86に関する最初の記憶は「リーズナブルなFR車」というものだった。



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筆者が運転免許を取得してクルマ遊びを楽しんでいた1980~90年代のバブル期におけるAE86の評価は50万円以下で買えるクルマだったからだ。



ボロボロのAE86を入手して、スプレー缶で自家塗装するなんていうオーナーも少なくなかったし、クラッシュしてしまったときには”箱変え”といって古いボディを捨てて、エンジンやリヤアクスルなどチューニングしたパーツを移植するといった手法もあったほど。ある意味、使い捨て感覚のスポーツカーだったのだ。



また、AE86といえば『頭文字D』の影響から白黒2トーンカラーのスプリンタートレノ、通称「パンダトレノ」が人気の中心という印象もあるかもしれないが、それ以前の時代においてもパンダトレノの人気が圧倒的だったかといえば、そうした印象は薄い。



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AE86が新車で登場した時の印象を振り返る



たしかにリトラクタブルヘッドライトのトレノを支持する声もあったが、ユーザーの多くは固定ヘッドライトのレビンを選んでいた。

また、ボディカラーについても広告などの訴求色は赤黒2トーンであることが多く、白黒より赤黒のほうが人気があったと記憶している。



個人的に憧れたのは、モデル後期に登場した黒ベースにゴールドのアクセントを入れた”ブラックリミテッド”だった。



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レビン、トレノともにボディ形状は2ドアと3ドアが設定されていたが、一部のモータースポーツユースを除くと後者が人気だった。じつは1.6リッターエンジンを積んだAE86のなかでもグレードによってリヤブレーキがドラム式である場合とディスク式を採用しているものがあり、当然ながら人気を集めたのは後者のグレード。上級グレードのデジタルメーターも憧れの装備というのが1990年代前半までの空気感だった。



さらに言えば、当時のAE86についてはけっして速いという印象を持っている人は多くなかった。



意外に遅いがそれゆえドリフトしやすかった

直線だけでいえば1.3リッターターボのトヨタ・スターレットのほうが速い印象もあったり、トータルパフォーマンスでも1.6リッターの「ZC」エンジンを積んだホンダ・シビック/CR-Xのほうが上を行っていると言われていたりしたものだ。まして1990年代前半にはホンダがVTECエンジンを搭載したシビック/CR-Xを誕生させ、AE86は「遅いかもしれないけれどFRだから楽しいんだ」とオーナーが強がるモデルという雰囲気さえあった。



ちなみにAE86の心臓部としてお馴染み「4A-G」エンジンの最高出力はグロス表示で130馬力。ホンダのVTEC「B16A」エンジンはネット表示で160馬力と勝負にならない。ネット表示はグロス表示を8掛けしたくらいの数字になると言われているが、その係数を考慮するとAE86の最高出力は110~120馬力程度ということになる。実際、ノーマル車を運転した印象はそれくらいのパワー感しかなかった。



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4A-G



そもそもAE86がトータルでの速さにおいて不利だったのはエンジンパワーが足りなかっただけではない。リヤが5リンクリジッドという古い形式のサスペンションだったことに起因している。



簡単にいうと、ノーマル状態および当時の稚拙なチューニングを受けた状態では、AE86のメカニカルグリップは低かった。パワーをしっかりと路面に伝えることが難しいシャシーだったと表現してもいいだろう。



しかし、後輪グリップが低いということはリヤが滑りやすいということであり、ドリフトのしやすさにつながる。



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AE86にとってドリフトというのは速く走るために欠かせないファクターだが、それは低グリップというウィークポイントをカバーするためのテクニックだったという面もあったのだ。



そうしてAE86が華麗にドリフト走行している様が、日本にドリフトブームを生み出したのは間違いない。4A-Gエンジン特有の獣が吠えているようなグォ、クワッといった吸排気音も相まって、ドリフトをするならAE86でキマリという流れを作っていった。



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それでも初期のドリフトブームにおける憧れのモデルはS13系の日産シルビア/180SXだったのも事実。ドリフトブームにおいても、当初のAE86はリーズナブルな入門マシンという位置づけであることに変わりはなかった。



そこそこ売れたはずのAE86が、いまや希少価値の高い旧車となってしまったのは、筆者世代のドライバーがラフに使ってしまったせいだとすれば申し訳ないと思ってしまうが、そうしたエントリーモデルでありながら、正しいチューニングとスキルフルなドライバーが乗ることで驚くほどのパフォーマンスを発揮するポテンシャルを持つことがAE86を伝説化させたのかもしれない。