この記事をまとめると
■米国統治にあった沖縄では右側通行の時代があり1978年7月30日に左側通行へと回帰した■当時の沖縄でバスの運転手をしていた平良 實(たいらみのる)さんに話を聞いた
■ぶっつけ本番の運行で一般ドライバーの逆走も見られるなど苦労が多かった
沖縄が右側通行から左側通行に変わった瞬間の生き証人
戦後、アメリカ合衆国から日本に返還されながらも自動車の右側通行が6年間もの間続いた沖縄県。そんなひとつの国に2種類の交通区分があるという摩訶不思議な状態を一気に是正した日が1978年7月30日。いわゆる「730(ナナサンマル)」です。
昨日と同じ街の風景、同じ道路なのに通行区分がまるっきり逆になってしまった日の話を、当時の沖縄でバスの運転手をしていた東陽バス株式会社の平良 實(たいらみのる)さんに伺うことができました。
現在は社内でバスの配車を担当している平良さんは、1972年に東陽バスに25歳で入社。730当時はドライバーとして勤務していたそうです。当然、右ハンドルのバスは当時未経験。平良さんに限らず、30年以上アメリカ合衆国方式の通行区分が採用されていた沖縄では、大半のドライバーが左ハンドルのクルマしか乗ったことがなかったそうです。
Q.そんななかで大勢のお客さんを乗せて走るバスのドライバーさんはどんな訓練を受けて7月30日を迎えたのでしょうか?
A. 練習する機会は一応ありました。といっても練習期間は7月20日から28日までの間に非番のドライバーが10分くらい、しかもひとりあたりたった1回だけです。場所は西原町(沖縄本島南部の街)の海沿いにある空き地でしたので、建物もコースもありませんでした。だから、ただ左手でシフトチェンジするとかそういうクルマの操作に慣れるだけの10分間です。
要は、逆になる通行区分に対する練習は一度も行っていなかったそうです。まさにぶっつけ本番!

(写真提供=那覇市歴史博物館)
いまでは当たり前の左側通行でも苦労がたくさん!
Q. 実際に7月30日に営業運転をした日のことを教えてください。
A. それはもう大変でした。

現在は広くなった191番の路線だが、変更当時は狭く慣れない右ハンドル車でバス停につけるのは大変だったそうです。
Q. それ以外にどんな点に注意されましたか?
A. いくらこちらが気をつけても慣れない一般ドライバーの逆走はあったので、とくにカーブなどでは細心の注意を払いながら運転しました。家に帰ったとき、「今日も1日無事だった」とホッとしたものです。右折は少々戸惑いましたが、左折にはさほど苦労した感覚はありません。
Q. 当時のことで印象的だったことがあれば教えてください。
A. あの頃の沖縄の道はさまざまな場面で警察が先導するシーンがありましたが、じつはパトカーを運転していたのは本土の警察官で沖縄の警察官は助手席に乗っていました。沖縄の警察官だって慣れていませんでしたから。
(写真提供=那覇市歴史博物館)
Q. 現在も運行している730バスについて教えてください。
A. 現在運行している1台にはこの営業所(馬天営業所)に最後まで残っていた4~5台のなかから状態のいいパーツを組み合わせて1台を残しました。基本、週に1日2便の運行ですからバッテリーが上がってしまうことがありますが、それ以外はいたって好調です。730以前に運行していたバスと比べて車体もがっちりしているし、島独特の塩害にも強いと感じます。
ちなみに1978年といえば、現在も高い人気を誇るサザンオールスターズが6月に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューした年です。そう考えると、アメリカ統治の影響が我が国に色濃く残っていた時代って割と最近なんだと驚くやら、逆にサザンの人気が46年もの間も途絶えなかったことに驚くやら、なんとも不思議な気分です。
現在、沖縄本島では17km弱のモノレール「ゆいレール」が唯一の鉄道で、基本的には超クルマ社会。それだけに公共交通としてのバスの役割は大きく、とくに中南部ではかなり路線網が充実しています。
路線数が多すぎて少々難しいと感じることもありますが、本島の4社共通の1日券や3日券、ゆいレールとのセット券などがあり、使いこなせばかなり財布に優しい沖縄旅も楽しめます。

現在のバス+ゆいレールの1日乗車券は大人3500円。ちなみにバスは記載日のみ有効ですが、ゆいレールは購入後24時間有効です。
沖縄のバス旅に興味があれば、ぜひ現在も運行しているたった2台の730バスを探して、時代の空気を味わってみるのもいいかもしれません。