この記事をまとめると
■フェラーリのスペチアーレのなかでも究極といえるF40とF50を比較■両車をくわしく見てゆくと成り立ちからメカニズムまで大きく異なる
■技術の革新と希少性でF50が優位ともいえるが断定するのは難しい
F40とF50はどっちがスゴい?
今回編集部から依頼されたのは、フェラーリのスペチアーレ、「F40」と「F50」はどちらがすごいのかという、いささか横暴ともいえる問題に回答を導くことだ。ちなみにフェラーリでは、新車での生産から20年以上を経過したモデルは「クラシケ(クラッシック)」として扱われるから、すでにF40もF50もこのクラシケの仲間入りを果たしたことになる。個人的にはどちらのモデルが誕生したのもつい最近の話のような気がするから、スーパーカーの世界に流れる時間の速さには、いまさらながらに驚かされる。
正確にはF40のデビューは1987年。F50は1995年のことだった。F40が発表された1987年はフェラーリが設立されて40年目にあたる年であり、F40はそれを記念した限定車として開発されたもの。
その発表会にも立ち会っていたエンツォ・フェラーリがF40に求めたのは、フェラーリの原点にある、コンペティツィオーネ(レーシングカー)とストラダーレ(ロードカー)のキャラクターがともに備わるスパルタンなモデルであったと、そのチーフ・エンジニアであったニコラ・マテラッツィはのちに語っている。
当初は300台程度の限定車となる予定だったF40は、エンツォの死後さらに人気を高め、最終的には1311台を(諸説あり)生産。限定車としての台数は大きいが、エンツォが最後に直接開発を指示したモデルというバリューは、F40のストーリーを語るには欠かせないピースだ。

いっぽうのF50は、それから10年後の1997年ではなく、1995年のデビュー。このときフェラーリは、349台とF40よりもはるかに小さな限定台数を掲げ、設立50年となる1997年に最後の1台をデリバリーするというプランを明らかにした。その開発に直接ゴーサインを出したのは、エンツォの子息であるピエロ・フェラーリ。

F40と同様にピニンファリーナによってスタイリングされたボディは、さらに空力的に洗練され、見た目の迫力もF40のそれとは明らかに雰囲気が異なるものとなった。これもまた、F40とF50の間にある8年間という時間の流れを象徴するものであることはいうまでもないところだ。
両車のメカニズムは根本的に異なる
F40とF50では、そのメカニズムも大きく変化している。

対するF50は、当時のF1マシンであった412T2がそうであったように、CFRP製のモノコックタブを基本構造体として、それに513馬力を発生する4698ccのV型12気筒自然吸気エンジンをリジッドマウントする基本設計を採用していた。

そのV型12気筒エンジンは走行中の応力を負担する構造体の一部としての役割も担っていたが、それも412T2と同様の構造となる。当然のことながら、V型12気筒エンジンからのバイブレーションはモノコックタブを介してドライバーに直接伝わり、F40の5速に対して6速化されたMTをシフトするなかで、官能的な音とともにスパルタンな印象を生み出した。

じっさいの運動性能は、フェラーリ自身の公称値によれば、最高速がF40で324km/h、F50では325km/h。0-100km/h加速は、同様の比較で5.5秒、3.87秒という数字が発表されている。
現在では世界のオークションシーンでF40ならば300万ドル(約4億5000万円)以上、さらに希少性の高いF50では500万ドル(約7億5000万円)以上の価格で取り引きされることもある両モデル。参考までに、発売当時の日本での新車価格はF40が4000万円、F50は5000万円という数字だった。
F40とF50、すごいのはどちらなのか。そろそろ結論を導かなければならない頃だが、いまだに個人的にはその答えを見出すことはできないというのが正直なところ。スーパースポーツとしての新しさ、そして斬新なエンジニアリングと希少性でF50を採るのか。結論を迫られれば最終的にはそう答える自分がいるような気もするが。