当初はシンプルなNISSANの文字がメインのデザイン
日産のロゴマークの新しいバージョンが商標登録されたことが明らかになり、どうやら19年ぶりにCI(コーポレート・アイデンティティ)が変わるらしい。新しいロゴはスマートフォンの画面でも見やすい、2次元化された単色のもの。かなりシンプルでクラシックな感じのデザインだが、世界的に2次元化したロゴはトレンドになりつつあるので、おそらく来年にでもこのロゴマークに変わるだろう。
日産の前身はダット自動車で、1933年に設立された自動車製造株式会社が、翌1934年に日産自動車株式会社に商号変更。オールドファンにはおなじみの赤い丸とブルーのライン、白いNISSANの文字が入ったトリコロールカラーのマークは、ダットサン時代のものを継承したものだ。
・1950年代
そんな日産の初期のロゴから見ていくと、例えば、1959年の国産初の縦目四灯を採用した、日産トラック680型についていたロゴは、赤バックにシルバーのNISSANというエンブレム。
ちなみに、この頃の日産トラックは「○80」という三桁の数字が車名で、モデルチェンジごとに、3桁目の数字が増えていった。680は、日産の6代目の大型トラックになる。

・1960年代
1960年になると初代セドリック(30型)が登場。このセドリックには、シルバーの筆記体で「Nissan」のロゴが入っていた。初代セドリックは、日産初のモノコックボディ(一体構造車体)で、縦型デュアルヘッドランプや前傾気味のAピラーなど、当時のアメ車のスタイルを取り入れているが、れっきとした純国産乗用車だった。

一方、スカG伝説を作り上げた二代目スカイライン、S50型シリーズ(1963~1968年)では、黒のベースを銀で縁取り、文字は銀のNISSANというタイプを採用。本来は1.5リッターの直4エンジンを乗せるために作った車体に、グロリアの2L直6エンジンを無理やり積んだ2000GT(S54B)も誕生。1964年の第二回日本GPで、ポルシェ904GTSに迫った初代スカGにして、元祖『羊の皮をかぶった狼』のエンブレムもこれ。(写真は1500デラックス)

現在のマークはゴーン体制に変わってから登場
・昭和から平成へ
時代は少し飛んで80年代。1981年に登場した6代目スカイライン、R30のころは淵が黒でベースがシルバー、文字が黒というタイプのロゴを使用(写真はシルビア)。

このR30スカイラインでは、ついにDOHCが復活。「4バルブなくしてDOHCは語れない」というコピーをつけ、「DOHC」や「TURBO」のステッカーを貼るのが流行。オイルショック以来、本格的にレースにカムバックしたスカイラインも、このR30だった(スーパーシルエット/グループC)。

そして昭和のラストのころには、シルバーの円、黒い横棒のなかに銀のNISSANというタイプも出てくる。1988年の3代目オースターなどがその時代のクルマ。U11型ブルーバードのプラットフォームの流用で、ややスポーティなイメージ。「ユーロフォルマ」というエアロパーツ装着モデルもあったし、ターボモデルもあったが、国内では印象の薄い一台……。ただヨーロッパでは人気があった(輸出名はブルーバード)。

平成元年・1989年といえば、スカイラインGT-R(R32)復活の年。R32GT-Rには、シルバーの文字だけ浮かび上がらせたシンプルな「NISSAN」のロゴが貼られていた。「90年代までに技術世界一を目指す」=901活動も始まっていて、R32スカイラインだけでなく、S13シルビアや、P10プリメーラ、Z32フェアレディZ、A31セフィーロなど、出来のいいクルマが多かった、日産の黄金時代でもあった。

そのP10プリメーラ(1990年)には、いまのロゴマークに近い、銀の中抜きの円と、銀の横棒に黒のNISSANの文字というロゴがついている。

1999年、経営難が続く日産はルノーと資本提携し、ルノーの傘下へ……。カルロス・ゴーンが会社を率いるようになり、2001年に現行の立体的なロゴにチェンジ(社内コンペで検討された)。P12プリメーラやF50シーマから、このロゴを採用して今に至る。

新しい2次元的なロゴマークは、おそらく来年登場の新型フェアレディZとともに本格的に採用されることになりそうだ。新しいロゴを採用し、新しい時代を迎える日産が、元気とかつての栄光を取り戻せるよう、大いに期待したいところだ。