マシンのメンテナンスは往年の名エンジニア!

世界各地でシリーズ戦が組まれ熱戦が展開されていた「ポルシェ・カレラカップ」。ヨーロッパを転戦する同シリーズは「ポルシェ・カレラ・スーパーカップ」としてプロ・チーム/プロ・ドライバーも参戦する世界一ハイレベルな「ワンメイクレース」として知られていた。



F1グランプリが開催されるウィークエンドに前座レースとして開催されるケースが多く、とくにモナコGPやスパ・フランコルシャンで開催されるベルギーGPは人気があり注目度も高い。

第一志望のモナコGPラウンドでの参戦チャンスを失った僕は、このベルギーGPラウンドでの参戦権を得て、ポルシェのヴァイザッハ研究開発センターでのテストもこなし、スパ・フランコルシャンへと乗り込んだ。



例によってドイツのフランクフルト空港に降り立ち、三菱自動車の現地駐在所から広報車を借りて、コブレンツ、ケルン経由で約300km離れたスパ・フランコルシャンに向かった。



ポルシェ側が用意してくれたホテルはサーキットからほど近い森の奥深くにあり、歴史を感じさせる佇まい。ジム・クラークやグラハム・ヒルなど往年の名レーサーの定宿でもあったと聞く。このときはポルシェのスタッフ用に貸し切りであり、バーではポルシェウェアのメカニックやスタッフがすでにビールを囲んで盛り上がっていた。このホテルからサーキットまではグランプリのときだけ通行が許される特別なルートがあり、グランプリウィークの混雑下でも渋滞に会わずにパドックまで行けるという。



翌朝、初めての走行に間に合うようパドックへ向かう。天気はどんよりと曇り、夜間に雨が降ったようで路面はウエット。関係者用駐車場は泥濘、足もとはドロドロだ。ここで迂闊にも尻もちをつき、背負っていたバッグのなかのパソコンを壊してしまう。スパ・フランコルシャンは不安定な天候が特徴で「スパウェザー」として過去多くのレーサーを悩ませてきた歴史がある。僕は走る前からスパウェザーの洗礼を受けてしまったわけだ。



ポルシェ・スーパーカップのパドックはF1GPチームとは完全に隔離され、離れた旧パドックに設置されている。そこには参戦各チームの大規模なガレージテントが設営されていて、フロアは綺麗に床材が敷き詰められ車両整備が始まっている。



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僕はポルシェ社のトレーラーハウスで担当エンジニア氏に挨拶。白髪でメガネをかけた初老の彼は、なんとノルベルト・ジンガー氏! そう、ポルシェ917や956、962などル・マンを何度も制したレーシングポルシェの生みの親とも言えるジンガー氏だ。僕も1989年にポルシェ962Cでル・マンに参戦した時に挨拶をしたことがある。そんな超有名なジンガー氏が僕とバニラ・イクス(ジャッキー・イクス氏の愛娘)、もうひとりアメリカから遠征してきたという北米カレラ・カップチャンピオンのG・ジャネット選手の計3名を担当してくれるという。



駐車場から天気の洗礼! 中谷明彦が「スパ・フランコルシャン」で体験した「恐怖」と「歓喜」



マシンのメンテナンスは完璧にしてあるとのことで、シート合わせに向かう。ポルシェのワークスカラーに彩られた2台に僕とバニラが乗るのだが、近づくとヴァイザッハでシェイクダウンした新車にバニラの名前が。僕のマシンはところどころ塗装がはげていてブレーキのディスクローターも使い込まれていた中古品。日本人ゲストドライバーにはいい思いはさせてくれないようだ。



ヴァイザッハのテストでバニラとのタイム差を比較検証され(僕のほうが速かった)、彼女が先行できるようなパッケージングをしてきたのだなと気がついた。そんなことならヴァイザッハで手を抜いて走ればよかった。

しかし、文句は禁物だ。その場所に居られるだけでも有り難いのだ。しかも伝説のジンガー氏とセットアップについて語り合えるなんて感激しかない。



駐車場から天気の洗礼! 中谷明彦が「スパ・フランコルシャン」で体験した「恐怖」と「歓喜」



ゲストドライバーのなかではトップでゴールするも……

走行は金曜日に45分間のプラクティスが1本と予選1が行われる。土曜は予選2、そして日曜日決勝という流れ。プラクティスはウエットでのスタートとなる。レインタイヤを履きコースインするが、初めてのサーキット。右も左もわからず、路面のウエットパッチなどを確認しつつ走行開始。しかし、歴戦の他車は初めから全開走行だ。



スパ名物の「オー・ルージュ」を初走行。アップダウンが強烈で、出口のラインがまったく見えない。これは手強そうだ。

2~3度のピットイン・アウトを繰り返し、セッションはあっという間に終了した。サスペンションのセッティングが超柔らかく、ロールが大きくてコーナーではオーバーステアが強い。それをジンガー氏に訴えると「911はそういうクルマだよ」と一笑に伏された。



駐車場から天気の洗礼! 中谷明彦が「スパ・フランコルシャン」で体験した「恐怖」と「歓喜」



ポルシェ社としては僕を勝たせようという意思はなく、より速さを求める提案はすべて受け入れられなかった。何より事故なく無事に走り切ってくれればそれいでいい、ということだ。



次の走行はもう公式予選1で路面はウエット。しかし、それも「スパウェザー」では当たり前。泣き言も良い訳もない。雨は止んでいるが徐々に乾きそうなコンディションだ。まずはウエットタイヤでスタートするが、多くのチームは後半に路面が乾いてスリックで一発のタイムを狙うため待機している。



しかし予選時間は長くはない。2~3周してピットインし初めてのスリック。

途中、勢いあまりプーオンでコースアウトした。グラベルに出てしまいフルカウンター。超高速の下りベントなだけに大クラッシュも覚悟したが、必死でコントロールしスピンもせずにコース復帰できた。そのシーンが丁度モニターに映され、見ていた日本人の知人は「終わったな」と思ったそうだ。ベストモータリングで実践した緊急回避テクニックとほぼ同じ手順で切り抜けることができた。



駐車場から天気の洗礼! 中谷明彦が「スパ・フランコルシャン」で体験した「恐怖」と「歓喜」



その数周後、後ろを走っていた北米チャンピオンは同じ状況に陥り、ガードレールに激しくクラッシュ。マシンは全損になり、彼は救急搬送されてしまった。



駐車場から天気の洗礼! 中谷明彦が「スパ・フランコルシャン」で体験した「恐怖」と「歓喜」



路面の乾いた所を探しながらなんとかいいラップをまとめようとした最終周。高速のプーオンを抜けカンパスに向かっていると背後から超速のトップコンテンダーたちが迫って来てブルーフラッグ。仕方なく3~4台に進路を譲りタイムロスしてしまって終了した。この結果、予選順位は18位。バニラ・イクスの後塵を拝することになった。



土曜日の予選2で挽回すべく準備をするが、土曜日はさらなる大雨となる。雨は激しさを増し、コースインするのも危険なほど。多くのチームは出走せず待機している。僕はコースを覚えるためにコースインしたが、各所でハイドロが発生して覚えるどころではなく、タイムアタックもできずにセッションは終了してしまう。



そして翌日曜日。もう決勝である。天気は快晴。さすがスパウェザーである。不運なドライバーはこの天候に徹底的に翻弄される運命だ。



決勝はいきなり初めてのスリック&ドライ路面でのスタートとなった。後位からのスタートなので離されないように付いて行くしかない。



決勝のスタートは第一コーナーとなるラ・ソースで渋滞が発生するのが常。

追突しないように気をつけながらクリアし、オー・ルージュへ。ドライ/スリックだとどんな速度で抜けられるのかわからないまま進入。3コーナーでちょいブレーキしてアクセルワークしながら駆け上がる。続くケメル・ストレートはスリップを使い、使われ横並び。2台くらいにパスされてル・コンブへ。



ここで驚かされたのは前方に居並ぶすべてのカップカーがカウンターを当ててドリフトさせながら走行していたことだ。自分もその速度ではリヤの流れを抑えられずカウンターステア走行している。その流れのまま超高速コーナーのプーオンもドリフト走行! それは肝も縮まるような恐ろしいシーンだった。前を走るのはバニラ氏。付かず離れずの位置でラインを盗もうという作戦にした。



最終ラップのラ・ソースで前を走っていたバニラ氏がスピン。それを交わして順位を上げ総合15位でフィニッシュした。ジンガー氏メンテの3台のなかではトップフィニッシュとなったのだが、総合では下位で満足出来る結果ではなかった。



駐車場から天気の洗礼! 中谷明彦が「スパ・フランコルシャン」で体験した「恐怖」と「歓喜」



後日、このスーパーカップに参戦していた某チーム監督から翌シーズンのオファーが届いた。彼は僕がル・マンに参戦した時のブルン・ポルシェのチーム監督だった。嬉しいオファーだったが年間参戦費用4千万円のスポンサーフィーを獲得できず、スパウェザーの霧の如くチャンスは消えていった。

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