の記事をまとめると
■フェラーリなどを手掛けるピニンファリーナがデザインした日本車を紹介



■1960年代から日本車に既に関わっていた



■ここで紹介したクルマ以外にも数多く手掛けている



日本車も手掛けた名門ピニンファリーナのデザインを振り返る

自動車を筆頭とする工業製品のデザインを担当する企業として、多くのクルマ好きにも認知されているピニンファリーナ。日本のデザインが劣っているというわけではないが、やはり海外のデザイナーの発想は日本人にはないものも多く、印象的なデザインを多くリリースしているのはご存じのとおりだ。



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今回はそんなピニンファリーナがデザインを手掛けた日本車を独断と偏見でピックアップ。

意外なピニンファリーナデザインのクルマもあるかもしれない。



1)日産ブルーバード(2代目)

残念ながら現在はその名前が途切れてしまったブルーバードだが、古くからスポーツセダンとして知られる1台だ。そんなブルーバードにスポーツセダンとして知られる「SSS」が設定された2代目モデルこそ、ピニンファリーナがデザインを担当したモデルである。



理解できなければ凡人? 自動車界のオシャレ番長「ピニンファリーナ」が手がけた意外な日本のクルマ3選



のちの510型にも引き継がれる楕円のグリル内に配された4灯ヘッドライトは非常に精悍なもので、この世代から北米のほか欧州にも輸出がスタートするなど、日産の海外進出においても重要なポジションを担うモデルとなっていた。



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しかし、日本国内ではピニンファリーナが手掛けた欧州テイスト溢れるリヤ下がりのデザインが理解されずに販売は低調となってしまい、ライバル関係にあったコロナの後塵を拝する結果となってしまったのである。そのため、1966年に実施されたマイナーチェンジのタイミングでリヤセクションを水平基調のものへリデザイン。しかし販売が好転することはなく、翌年には3代目へとバトンタッチすることになってしまった。



販売されたら歴史が変わったかもしれないコンセプトカーも監修

2)三菱コルトCZC

2000年で国内販売を終了した三菱のコンパクトカー、ミラージュの後継車種として2002年に登場したコルト。ダイムラークライスラーとの共同開発で生まれたこのモデルは、「まじめ、まじめ、まじめ」のキャッチコピーとともに、コンパクトカーの本質を追求したモデルとして一定の評価を集めていた。



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このコルトのデザインを手掛けたのはピニンファリーナではなく、当時の三菱のデザイン部門のトップだったオリビエ・ブーレイ氏であり、同時期のランエボやグランディスにも用いられた「ブーレイ顔」は良くも悪くも話題となった。



ではピニンファリーナは何を担当したのかというと、それは2006年に欧州で販売されたクーペカブリオレ版の「コルトCZC」だったのだ。じつはピニンファリーナは車両をコンバーチブル化するにあたってのリデザインも得意としており、かの有名なシティカブリオレもピニンファリーナの作品だ。



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コルトCZCもコルト本来の丸みを帯びたデザインを崩すことなく、クーペカブリオレ化がなされており、テール周辺も調和がとれていることが分かるだろう。



残念ながら日本では販売されなかったのは、リデザインだけでなくルーフの架装までもがピニンファリーナの工場で行われており、輸出のコストがかかってしまうという判断だったのかもしれない。



3)ピニンファリーナ(ホンダ)アルジェント・ヴィーヴォ

1995年の東京モーターショーに設けられたピニンファリーナブースに展示されたのが、水銀という意味を持つアルジェント・ヴィーヴォだ。ノーズ部分やステアリングにホンダのエンブレムが備わることからもわかるように、ホンダとピニンファリーナの友好関係の証として共同開発されたモデルだった。



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アルミ製のスペースフレーム構造のシャシーにはホンダのSOHC直列5気筒2.5リッターエンジンが縦置きされ、後輪を駆動するとアナウンスされていたが、奇しくも向かいのホンダブースにはS2000の基となった「SSM」が展示されていた。



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つまり、この2台のコンセプトモデルは兄弟車関係にあると言え、アルジェント・ヴィーヴォは市販こそされなかったが、ピニンファリーナが手掛けた日本車と言って差し支えないだろう。

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