この記事をまとめると
ポルシェとは何かについて解説



■「ポルシェは研究所だ」と説明することができる



■その所以や歴史について解説する



ポルシェは博士の「研究所」から始まった

「ポルシェってなに?」女の子のなにげないつぶやき。ですが、これはポルシェの核心を衝くような言葉にほかなりません。普通のメーカーであれば「フェラーリって高いの?」とか「日産マーチって乗りやすい?」みたいな言葉になるかもしれませんが「なに?」とくると、こう答えざるを得ません「ポルシェは研究所だよ」と。



なにしろ、創業当時は「ポルシェ博士の原動機・車両の設計・コンサルティング会社」(Dr. Ing. h.c. F. Porsche GmbH, Konstruktionen und Beratungen für Motoren und Fahrzeugbau)という事務所としてスタートしながら、今やポルシェの名を冠したクルマは年間30万台以上が売れているのです。つまり、ポルシェは博士の「研究所」からすべての端を発したと考えると、ポルシェというブランド、もちろんクルマまでが理解しやすくなるはずです。



「ポルシェとは」と聞かれたら「研究所」と答えるのが正解! 単...の画像はこちら >>



似たようなベクトルとしてあげられるのがフェラーリ。あそこは「レーシングチーム(スクーデリア・フェラーリ)がレース参戦のためにクルマ売り始めた」わけで、クルマづくりはあくまでビジネスと割り切っていたのです。ポルシェ博士も理想のエンジン、最高の車両を追い求めて設計・開発を進めた結果が現在のブランドを築き上げたわけで、決して「クルマわんさか売って儲けよう!」というモチベーションではなかったはず。



ところで、1930年代には「研究所」も興し、売れっ子だったフェルディナンド・ポルシェ博士ですが、ナチスのために戦車やら国民車(いわゆるフォルクス・ヴァーゲン)を設計した戦犯として戦後に収監されてしまいました。

その間に息子のフェリー・ポルシェらが設計・開発を引き継いでポルシェ初の市販車356が生まれたのですが、搭載されたエンジンは空冷水平対向4気筒エンジン。すなわち、博士が1910年代に航空機用として設計・開発したユニットの発展型です。また、ご存じのとおりRRというレイアウトも、国民車開発のノウハウが活かされていることは言うまでもありません。



「ポルシェとは」と聞かれたら「研究所」と答えるのが正解! 単なる自動車メーカーじゃないその姿とは



この356はアメリカでバカ売れして、発足したばかりのポルシェAG、つまり自動車(販売)メーカーの屋台骨を支えたのでした。さらに、45年になり国民車がVWビートルとして市販されると研究所に莫大なパテント料が入ることに。ちなみに、フェルディナンド・ポルシェ博士が国家社会主義ドイツ労働党員だったため、「ナチとズブズブの関係」などと思われがちですが、前述の通り売れっ子だった博士の技術と名声を「ヒトラーが利用した」というのが事実に近いところではないでしょうか(ヒトラー発注の国民車は成功したものの、戦車は大失敗を喫しています)。



356を売っている時代からレース参戦に注力

残念ながらポルシェ博士は356の次に誕生した希代の名車911を目にすることなく没していますが、この911こそ息子のフェリーや、孫のブッツィ、そして元フォルクスワーゲングループの総帥フェルディナンド・ピエヒといった「研究所」の主要メンバー(であり、ポルシェ一族)によって作られたもの。つまり、博士が遺したレガシーと呼んでも差し支えないでしょう。だいたい、クルマのネーミングに設計番号をあてこんでいる時点でマスタングやセリカといった車名をつけるメーカーとは趣が大いに異なっていますよね。



ただし、ポルシェにしても「クルマが売れる」という成果に対しては貪欲で、そのためには「レースに勝つこと」が手っ取り早いと、356を売っている時期から気づいていたようです。「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」や「ミッレ・ミリア」、あるいは耐久レースの頂点「ル・マン24」といったメジャーレースへの社内チーム(ワークス)参戦に加え、カスタマーチームや草レースのユーザーにさえ便宜を図ったのでした。結果はご存じの通り破竹の勢いで勝利を重ね、狙い通りの成果を得ることに。



「ポルシェとは」と聞かれたら「研究所」と答えるのが正解! 単なる自動車メーカーじゃないその姿とは



そして、ポルシェはレースを広告塔として考えるとの同時に「開発環境」と捉えていたことも見逃せません。レースからのフィードバックを市販車に活かしたのは、やはりポルシェが先鞭をつけていたのではないでしょうか。映画「フォード vs フェラーリ」で、ヘンリー・フォード二世は「クルマを売るためのレース参戦」を目論み、見事フェラーリに勝利するもののGT40のテクノロジーが市販車にフィードバックされたかどうか寡聞にして筆者は知りません。



一方のポルシェはターボ(917/30)やニカジルコーティング(917)などレースで実証された技術を市販車にも採用。しかも、それらを設計・開発していたのは、ヘルムート・ボット、ハンス・メッツガー、はたまたノルベルト・ジンガー(当然、全員が博士です)といったフェリー・ポルシェ博士の薫陶を受けた「ポルシェの頭脳」と呼ばれた面々です。それゆえか、964に初めて搭載されたオートマ「ティプトロニック」のいささかクセのある味付けも「ポルシェの頭脳を乗りこなす」などと表現されたことがありましたっけ。



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また、ご存じない方もいるでしょうが、「研究所」たるポルシェは他メーカーからの依頼による技術開発にも積極的に携わっており、その利益は総売り上げの10%に及ぶともされています。およそ、ポルシェと関係(取引)のないメーカーの方が少ないくらいなので、もしかするとアナタの愛車にだってポルシェの息がかかっている可能性も大いにあるのです。



こうした背景をもとに歴史を重ねてきたポルシェですから、クルマという領域にとどまることなく、一般的な「ブランド」という地位を築き上げたのではないでしょうか。でなければ「ルイ・ヴィトン」や「シャネル」のように、クルマを知らない女の子がつぶやくものでもありますまい。クルマの良し悪し? それは「研究所」が作ったもの以上でも以下でもありません。シャネルやディオールの良し悪しを気にする女の子がいないのと同じ理屈、といったらフェルディナンドやフェリーに失礼かもしれませんがね。