
新潟県長岡市に「摂田屋」という土地がある。特定の家・屋号のことではなく、長岡市にある地名だ。
この摂田屋は中山道の高崎宿(群馬県)から寺泊宿(新潟県)を結び上杉謙信の関東遠征の際にも利用された旧三国街道に面し、新潟の中でも古くから酒や味噌、醤油などの醸造が盛んな地域だった。
ちなみに摂田屋の語源は「接待屋」だといわれている。旧三国街道を行き交う人々の休憩所があり、集落で接待したことに由来するようだ。
『機那サフラン酒』のふるさと
摂田屋にはかつて『機那サフラン酒』を製造する機那サフラン酒製造本舗があった。この酒造会社の社屋はサフラン酒などの製造・販売で財を成した吉澤仁太郎から連なる吉澤家の旧宅である。
吉澤仁太郎は1863(文久3)年、古志郡定明村(現長岡市)の農家に生まれ、独自に酒造りを研究し、明治中期、二十歳をすぎた頃にサフラン酒の製造を始めた。1894(明治27)年には、酒造家が集まる摂田屋に移り住んだといわれる。
この摂田屋の機那サフラン酒製造本舗で、母屋の豪奢な造りより一層目を引くのが、正面右隣にある土蔵である。60歳を超えた吉澤仁太郎が、1926(大正15)年頃に、なまこ壁と極彩色のこて絵を施した「こて絵蔵」を建てた。
土蔵入り口の扉、窓の塗り戸などに鳳凰や十二支などの「こて絵」が施されている。まさに機那サフラン酒といえば「こて絵」と想起できるほど、酒どころ新潟にあって、機那サフラン酒最大の広告“棟”といっていいだろう。
なお、土蔵は2006年に主屋や醸造蔵、石垣などとともに、国の登録有形文化財に登録され、長岡市によって観光整備が進んでいる。
薬用酒として全国に販路を拡大
そもそも機那サフラン酒とは、どのような酒なのか。サフランをはじめ桂皮、丁子などの植物・生薬で調整したリキュール。アルコール度数14度の薬用酒である。

吉澤仁太郎は機那サフラン酒の販路を、新潟から東北・北海道へと広げていった。ハワイにまで進出したとされる。おそらく薬用酒として有名な『養命酒』に肩を並べるまでに成長したのだろう。一代で富を築いた吉澤仁太郎は、その栄華を誇示するように旧家社屋を拡充し、土蔵などに豪華絢爛な「こて絵」を施した。
ただし、いつ機那サフラン酒製造本舗が酒造りを行わなくなったのか、正確なことはわからない。わかっているのは、吉澤仁太郎の晩年に吉澤家が立ち上げた事業会社が機那サフラン酒の製造を継承したことだ。
2代目の吉澤仁太郎が創業した酒造会社に継承
現在、機那サフラン酒を製造しているのは新潟銘醸という酒造会社である。機那サフラン酒を最初に製造した吉澤仁太郎は1941(昭和16)年に亡くなっているが、新潟銘醸は吉澤仁太郎の他界に前後して、2代目の吉澤仁太郎が1938(昭和13)年に創業した会社である。
会社としての機那サフラン酒製造本舗は承継されなかったが、その製造技術は2代目吉澤仁太郎が譲り受けたということになる。
2代目吉澤仁太郎は有志ら数名と、当時の新潟県村松町(現五泉市)にあった二つの酒蔵を集約し、設立したのが新潟銘醸である。
新潟銘醸は機那サフラン酒の製造を受け継ぐとともに、新しい酒造りにも積極的に取り組んでいく。創業の2年後、同県小千谷市の中野醸造という酒蔵(株式会社)を吸収合併し、新潟銘醸の本社も小千谷市に移転した。
以後、新潟銘醸の経営は吉澤家が継いでいく。現在も小千谷市を本社とし、最先端の技術力で新潟の日本酒業界を牽引する会社になった。新潟県の酒造業界で初めて、品質マネジメントシステムに関する国際規格ISO9001:2000の認証を受けた。『長者盛』『越の寒中梅』などの製造を行い、関東信越国税局酒類鑑評会にて最優秀賞を獲得、酒類総合研究所主催の全国新酒鑑評会では金賞を獲得するなど、新潟県でもつとに知られる銘酒酒蔵になった。
吉澤家が創業した機那サフラン酒製造本舗は企業体としてはなくなったが、機那サフラン酒に宿るものづくりの精神は、確実に引き継がれている。
新潟最古の酒造会社のミュージアムも
もう一つ摂田屋で忘れてはならない酒蔵がある。吉乃川株式会社。銘酒『吉乃川』をつくり続けて480年近く、新潟最古の酒造会社であり、日本を代表する酒造会社の一つだ。
480年近い伝統をここでは詳説しきれないので、同社の組織の変遷を追っていこう。吉乃川は1548年(天文17年)の創業。幕末の1865(慶応元)年に泉屋と屋号を変更する。おそらく摂田屋にある「天下甘露水」という井戸を象徴したのだろう。
泉屋は1921(大正10)年に中越醸造という株式会社に組織変更した。翌1922年には中越酒造に商号を変更。吉乃川という商号に変更したのは創業から400年以上経った1973(昭和48)年のことである。
そして2019(令和元)年、摂田屋に酒ミュージアム「醸蔵」をオープンした。醸蔵の建物は、大正時代に建設された「常倉」という倉庫(国登録有形文化財)で、かつては酒の瓶詰作業が行われていたという。

なお摂田屋には、1846(弘化3)年創業の味噌の製造元・星野本店の三階蔵、星野本店から明治期に移築して事業を営み続ける味噌の製造元・星六の土蔵、1842(天保13)年から摂田屋で酒をつくり続ける長谷川酒造の主屋、1831(天保2)年から摂田屋で醤油をつくり続ける越のむらさきの主屋と土蔵などが集積している。
一口に老舗の醸造会社というが、それぞれの製品や技術、伝統をどう受け継いでいくのが最適かを熟慮しつつ、数々の吸収や合併を経てきたことがわかる。
文・菱田秀則(ライター)
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